英雄誕生編8 三通の手紙
「それで」
レオンは居住まいを正した。
「ご用件は何でしょうか」
クレルモン大将は机の上に置かれていた封筒を一通取り上げると、何とも言えない表情でこちらへ差し出した。
「これだ」
「……手紙、ですか」
受け取った封筒を眺める。
軍の公文書ではない。
見覚えのない封蝋が押されている。
差出人も書かれていなかった。
「大将になってまで郵便屋の真似をさせられるとは思わなかった」
クレルモン大将は大きくため息をつく。
「そんなに重要な手紙なんですか」
「重要だとも」
即答だった。
そして、遠い目になる。
「どれだけ偉くなっても、カミさんは怖い」
……なるほど。
レオンはすべてを理解した。
これは軍命ではない。
クレルモン夫人命令である。
大将ですら逆らえなかったのだ。
封を切る。
中から便箋を取り出した。
そして。
思わず目を瞬かせる。
「……三通?」
「そうだ」
クレルモン大将は愉快そうに頷いた。
最初の一枚を開く。
差出人を見た瞬間。
心臓が一拍だけ止まった。
**マリアンヌ・ド・ベルクレール**
思わず二度見する。
間違いない。
元妻だった。
なぜ。
どうして今になって。
恐る恐る本文へ目を落とす。
書かれていたのは、たった一行だけだった。
『また女を泣かせたら社会的に抹殺されると思え』
レオンは紙を見つめた。
しばらく見つめた。
もう一度見つめた。
何と言えばいいのか分からない。
隣ではクレルモン大将が肩を震わせていた。
「何て書いてある?」
「……見ない方がよろしいかと」
『また』。
その二文字が胸に刺さる。
一度目は知っている。
離婚だった。
あれは間違いなく自分が悪い。
仕事ばかりを優先し、家庭を顧みなかった。
あの時のことは今でも申し訳なく思っている。
だが。
二度目?
誰を泣かせるというのだ。
……いや。
考えるまでもなかった。
一人しかいない。
レオンは静かに額を押さえた。
どうして知っている。
いつ知り合った。
いつ仲良くなった。
女性という生き物は、本当に分からない。
気を取り直して二通目を開く。
差出人。
**モンフォール少将夫人。**
嫌な予感しかしなかった。
本文を読む。
『あなたの心は何処にありや。
全世界は知らんと欲す』
レオンはゆっくりと天井を見上げた。
……全世界。
そこまで広げなくてもいいではないか。
本当に。
勘弁してほしい。
どうして自分の婚約話が世界規模になっているのか。
理解できない。
横を見る。
クレルモン大将は楽しそうに笑っていた。
絶対に知っている。
知っていて黙っている。
そういう顔だった。
レオンは諦めて三通目へ手を伸ばく。
差出人を見た瞬間だった。
胸がどくんと鳴った。
**リリアーヌ・ド・モンテル**
自然と姿勢が正される。
向かいではクレルモン大将が、実に愉快そうな顔でこちらを見ている。
無視した。
静かに封を開く。
便箋いっぱいに綴られていたのは、特別な話ではなかった。
ヴァレブランの町のこと。
ご家族のこと。
弟や妹が相変わらず元気なこと。
いつものお茶屋のこと。
旅人が立ち寄り、団子を食べ、笑って帰っていくこと。
読んでいるうちに。
自然と頬が緩んでいた。
思い浮かぶ。
あの町並み。
賑やかな市場。
そして。
あの店先。
最後の一文で、手が止まる。
『もう一度、あのお店で』
レオンは固まった。
もう一度読む。
見間違いではない。
ゆっくり読み返す。
やはり同じだった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
嬉しい。
飛び上がりたくなるほど嬉しい。
だが。
目の前にはクレルモン大将がいる。
軍の最高幹部の前で飛び跳ねるわけにはいかない。
拳を握る。
込み上げてくるものを、必死で押さえ込む。
もう一度。
あの町で。
あのお茶屋で。
団子を食べながら話せる。
その光景を思い浮かべるだけで、自然と笑みがこぼれそうになる。
「おい」
クレルモン大将が声を掛けた。
「はい」
「顔」
「……顔、ですか?」
「気持ち悪いぞ」
失礼だった。
しかし。
反論はできなかった。
自覚があったからだ。
「……失礼いたしました」
「いや、別にいい」
クレルモン大将は楽しそうに笑っている。
どうやら全部お見通しらしい。
その時だった。
コンコン、と扉が叩かれる。
「両閣下、お時間です」
従兵だった。
クレルモン大将が立ち上がる。
「行くぞ」
「はい」
レオンも立ち上がった。
三通の手紙を丁寧に重ね、胸ポケットへしまう。
一番安全な場所だった。
これから向かうのは、軍部最高幹部会議。
大将、中将が一堂に会する、王国軍最高の会議である。
普通なら緊張して当然だ。
実際、少し前までの自分なら胃が痛くなっていただろう。
だが今は違う。
胸ポケットの中の一通が、不思議なくらい心を軽くしてくれていた。
――もっとも。
会議室で待っている面々を思い浮かべると、その安心も長くは続かなかった。
ガルドン要塞を落とすより。
あの部屋を無事に出てくる方が、よほど難しい気がしてならなかった。
少将夫人の手紙。
元ネタは、たぶん世界で有名度トップ5に入る軍事電文、
太平洋戦争の後半レイテ沖海戦でのものです。
ワールド・ワンダーズ(世界の不思議)を
「全世界は知らんと欲す」と訳した約70年前の人、
センスが凄すぎます。
「全世界は知らんと欲す」は今の口語体に直すと
「全世界は知りたいと願っている」なのですが、
「全世界は知らないとそっぽ向いてる」と誤読する人が増えて来てるでしょう。
たった70年ほど前ですが、言語とは変化するものだとしみじみ思います。




