英雄誕生編1 要塞陥落!
その日の午後だった。
玄関の扉が勢いよく開く。
「お姉ちゃん!」
飛び込んできたのはルシアンだった。
息を切らしながら、一枚の新聞を高々と掲げている。
「号外だって!」
私は思わず立ち上がった。
号外。
その一言だけで胸がざわつく。
前線。
レオン中佐。
良い知らせだろうか。
それとも――。
嫌な想像を振り払うように、私は新聞を受け取った。
大きな活字が目に飛び込んでくる。
**『ガルドン要塞陥落!』**
私は、その場で固まった。
ガルドン要塞。
隣国グランヴァール王国が誇る、難攻不落の軍事要塞。
「十万の軍勢が十年かけても落とせない」
そんな大げさな言葉が、本気で語られるほどの巨大要塞だ。
それが――落ちた。
「な、何があったの!?」
思わず声が裏返る。
お父様も新聞を覗き込み、お母様もクロエも集まってきた。
記事を追う。
『戦端が開かれると同時に敵防衛線の一部を突破』
うん。
『そのまま電光石火の勢いで進撃』
……うん?
『敵に体勢を立て直す隙を与えず』
え?
『要塞内部へ突入』
ええ?
『その日のうちに陥落』
「ええええっ!?」
思わず新聞を持ったまま叫んでしまう。
そんなこと、ある!?
要塞って何!?
お父様も眉間に皺を寄せた。
「普通はないな」
「ですよね!?」
記事はまだ続いていた。
『この歴史的勝利を可能とした我が軍の秘密兵器――』
私は思わず、ごくりと唾を飲み込む。
秘密兵器。
新型砲?
飛行船?
装甲列車?
なんだろう。
続きを読む。
『その名も――』
私は息を止めた。
『自転車』
沈黙。
「…………え?」
一拍遅れて。
「えええええっ!?」
家中に悲鳴が響いた。
「自転車!?」
「自転車だな」
珍しくお父様まで困惑している。
「要塞を!?」
「要塞を、だな」
「自転車で!?」
「自転車で突破したらしい」
意味が分からない。
新聞は得意満面に解説を続けている。
『従来の騎兵を凌ぐ機動力を発揮!』
「馬より速いの!?」
『馬と違い餌を必要とせず、補給負担を大幅に軽減!』
「それは確かにそうだけど!」
『短期間の訓練で誰でも使用可能!』
「そんなに!?」
『敵は予想外の速度に対応できず――』
私は頭を抱えた。
難攻不落の要塞。
歴史的大勝利。
秘密兵器。
自転車。
並べると急に威厳がなくなる。
クロエが首を傾げる。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「なあに?」
「中佐さん、自転車乗れるのかな?」
私は想像してしまった。
漆黒の軍服。
深く被った軍帽。
冷徹な表情。
国家の命運を背負う英雄。
そのレオン中佐が。
真剣な顔で、
必死に、
しゃかしゃかしゃかしゃか、とペダルを漕ぎ、
「一陣の風」になって要塞へ突撃していく姿を。
駄目だった。
「あははははは!」
笑いが止まらない。
「お母様!」
私は涙を拭いながら叫んだ。
「正解は『一陣の風』だったじゃありませんか!」
黒塗りだらけだった手紙。
あの黒塗りが、全部「自転車」で繋がってしまった。
目の前ではルシアンが、
「やっぱり英雄だー!」
と言いながら、自転車を漕ぐ真似をして部屋中を走り回っている。
お母様は胸を張っていた。
「だから言ったでしょう? 私の勘は当たるのよ」
「お母様、それは違います!」
笑い声が家中に響いた。
遠い戦場から届いた知らせは。
何よりも強烈で。
何よりも我が家を笑顔にする。
最高の「一陣の風」だった。
◇◇◇
笑いながら記事を読み進める。
そして、私は再び手を止めた。
『作戦を立案し先陣を率いた最大の功労者
――レオン・ド・ヴァイス大佐』
……大佐?
私は首を傾げた。
「あの、お父様」
「なんだ」
「レオン・ド・ヴァイス大佐という、中佐さんと同姓同名の方がいらっしゃるんですか?」
お父様は新聞をひったくるように受け取った。
そして。
深々と頭を抱える。
「そんなわけあるか」
「え?」
「本人だ」
私はぽかんと口を開けた。
「でも、中佐さんですよ?」
「昨日まではな」
昨日まで?
新聞を見る。
何度見ても。
**大佐**と書いてある。
「いつ昇進したんですか?」
「分からん」
お父様まで困ったように眉をひそめる。
しばらく記事を読み込み。
やがて、小さく呟いた。
「……なるほど」
「え?」
「これは、おそらく二階級特進だ」
その言葉に、私は首を傾げた。
「二階級特進?」
「普通は認められない」
「え?」
「というより――」
お父様は苦々しい顔で続ける。
「本来は、戦死した者に贈られることがほとんどだ」
私は完全に血の気が引いて固まった。
手元で広げた新聞の紙面が、ガタガタと震える。
自分の手が震えているのだ。
「じゃあ……じゃあ、まさか中佐さん、要塞は落としたけど、ご自身は……っ!」
声が完全に恐怖で裏返る。
するとお父様は、慌てて激しく首を振った。
「記事の続きを読め!」
私は震える指で続きを読む。
『大佐は現在、陥落した要塞の戦後処理を指揮しており――』
「生きてる……!」
思わず椅子にもたれかかった。
「よかったぁ……」
心臓が止まるかと思った。
お父様は新聞を畳みながら言う。
「だからこそ、こうしたんだろう」
「こうした?」
「生きている人間を一度に二階級昇進させるのは前例がない。」
少し苦笑する。
「だから軍部省は、『実は作戦開始前に中佐から大佐へ昇進していました』という形に書類を操作したんだ。」
「そんなことできるんですか!?」
「佐官の昇進辞令は一般公開されてないからな。」
そして。
お父様は静かに新聞を机へ置いた。
「彼は、おそらく少将になる」
私は固まった。
「少将って」
「うむ」
「軍のベスト16の?」
父は少し考えた。
「彼が昇進したら、17番目になるな」
「誤差です!」
私は天を仰いだ。
「また話が大きくなってる……」
その呟きに。
今度ばかりは、お父様も、お母様も、誰一人として否定できなかった。
補足します。
リアンヌは笑ってますが、要塞を自転車で攻略したというのは実例があります。
太平洋戦争の初戦、シンガポール要塞です。
かつて日露戦争で日本軍が散々な目にあわされた旅順要塞。
それに勝るとも劣らない要塞のはずでした。
日本軍は銀輪部隊と名付けられた自転車部隊で電撃戦を実施。
最後は「全面降伏イエスかノーか」で知られるハッタリで
降伏に追い込んでいます。
さすがに一日で落としたというのはやりすぎかもしれませんが。
決して荒唐無稽な話ではないと思っていただきたいです。




