たまたま編7 町ぐるみの大作戦??
お茶屋へ向かう道を、私はいつもより少しだけ早足で歩いていた。
今日は少し早めに家を出た。
中佐さんが本当に来るかなんて分からない。
仕事中なのだから、来ない可能性のほうがずっと高い。
それでも、家でじっと待っていることなど、とてもできなかった。
「今日は空いてるといいな」
そんな独り言をこぼしながら角を曲がる。
――そして。
私は、その場で固まった。
人。
人。
人。
見たこともないほどの人だかりがお茶屋の前を埋め尽くしていた。
「……え?」
何かのお祭りだろうか。
いや、今日はそんな日じゃない。
では、どうして。
その時だった。
「来たぞー!」
誰かの大声が響いた。
一斉に何十人もの視線が私へ向く。
「えっ?」
私は反射的に一歩後ずさった。
「なんで、みんな知ってるの!?」
どっと笑いが起きた。
慌てて引き返そうと振り向く。
しかし。
そこにも人。
逃げ道がない。
私は悟った。
王弟殿下の軍勢より。
この町の井戸端会議の情報網のほうが、よほど恐ろしい。
「さあさあ、お嬢」
お茶屋の店主さんが笑いながら近づいてきた。
「奥へどうぞ」
「なんでですか!」
「いいからいいから」
背中を押される。
気づけば、人の壁が自然に左右へ割れ、一本の道ができていた。
私は半ば流されるように店の奥へ進む。
そして、もう一度立ち止まる。
「……なに、これ」
そこだけ、まるで別の店だった。
卓には真っ白な布。
窓辺には季節の花。
いつもの木椅子まで磨かれ、新しい座布団が置かれている。
見慣れたお茶屋なのに、そこだけが小さな貴族の応接室のようだった。
「どうなってるんですか?」
店主さんが胸を張る。
「わが町の看板娘の晴れ舞台だからな」
「私、いつからそんな人になったんですか!?」
また笑いが起こる。
「昔からだよ」
「気づいてなかったのは本人だけ」
「え?」
戸惑う私の前へ、一人の女性が進み出た。
「花は私」
花屋のお姉さんだった。
「初めてのデートでしょう?」
「違います!」
「違わないわよ」
きっぱりと言い切られる。
「せっかくなんだから、少しでも綺麗なほうがいいでしょう?」
そう言って花を見つめる。
豪華な花ではない。
この町でいつも見かける、野に咲く花ばかり。
だからこそ、温かかった。
「……ありがとうございます」
花屋のお姉さんは、少し照れくさそうに笑った。
その時だった。
店の外から大きな声が飛ぶ。
「補給部隊、通過!」
「ああ、あと十分だな」
腕を組んだ八百屋のおじさんがうなずく。
「なんで分かるんですか?」
「見てりゃ分かる」
絶対に分からない。
その横では子どもたちが駆け回っていた。
「北通り通過!」
「第二報!」
「あと五分!」
「目標接近!」
「配置につけー!」
「だから何の配置なんですかー!」
私が叫ぶと、肉屋のおじさんが真顔で答えた。
「恋も戦も、情報が命だからな」
「絶対違います!」
また笑い声が広がる。
笑いが少し落ち着いた頃、私はおそるおそる尋ねた。
「皆さん……面白がってるだけですよね?」
その場が静かになった。
花屋のお姉さん。
八百屋のおじさん。
肉屋のおじさん。
近所のおばさんたち。
みんな顔を見合わせる。
やがて、お茶屋の店主さんが静かに口を開いた。
「半分はな」
「半分?」
「半分は面白い」
「やっぱり!」
また笑いが起こる。
けれど店主さんは続けた。
「残り半分は違う」
その声は、今までとは違っていた。
「お前さん、小さい頃からうちへ来てただろ」
「……はい」
「弟や妹と団子を分け合って」
「はい」
「泣きながら来た日もあった」
思わず顔を伏せる。
「熱を出して帰る途中にも寄ったな」
「……覚えてたんですか」
店主さんは穏やかに笑った。
「忘れるもんか」
周りの大人たちも、小さく笑っている。
「町の子は、みんな町で育つ」
八百屋のおじさんが言った。
「野菜を抱えて走り回ってたお嬢ちゃんが」
肉屋のおじさんが続ける。
「こんな綺麗になったんだからな」
花屋のお姉さんは優しく微笑んだ。
「だから今日は、みんな少し張り切っちゃったの」
店主さんが最後に言う。
「幸せになれよ」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
笑われていると思っていた。
でも違った。
この人たちは、ずっと昔から私を知っている。
だから今日は、自分の娘や妹を送り出すような気持ちで、ここに集まってくれたのだ。
その時だった。
表が一気にざわめく。
「来たぞ!」
八百屋のおじさんが力強く叫ぶ。
「本隊到着!」
子どもたちも一斉に声を張り上げた。
「目標接近!」
「あと一分!」
「配置につけー!」
「だから何の配置なんですかー!」
私の悲鳴と町中の笑い声が、お茶屋いっぱいに響き渡った。




