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たまたま編4 作戦、始動

「まず」

 お母様が、人差し指を一本立てた。

「手紙のお返事を書きなさい」

「はい」


 それは分かる。

 返事を出さないわけにはいかない。


「そして、こう書くの」

「はい」


 お母様の口元が、いたずらっぽく緩んだ。


「最近、素敵なカフェを見つけました」

 私は首を傾げる。

「はい?」

「ぜひおすすめしたいです、って近況を書くの」


 なるほど。

 ただのお店の紹介。

 それだけなら不自然ではない。


「そして――」

 お母様は身を乗り出した。

「手紙を出したあと、あなたはそのカフェに頻繁に行くの」

「はい」

「だってお気に入りのお店なんですもの」

「はい」

「だから、あなたはいつも通り、そこに"たまたま"いるだけ」


 私は素直に頷いた。

 ここまでは理解できる。


 だが、お母様はそこで満面の笑みを浮かべた。


「そこへ、お仕事中の中佐様がやって来るの」

「はい?」

「慣れない町で喉が渇くでしょう?」

「はい?」

「そういえば、リリアーヌ嬢がおすすめしていた店があったな、と看板を見つける」

「はい?」

「そして扉を開ける」


 お母様は両手を広げ、芝居がかった声を出した。

「ややっ、ご令嬢!」

 私は嫌な予感しかしない。

「偶然ですね!」

 お母様は満足そうに頷いた。


「ほら」

「白々しくないですか!?」


 思わず叫んでしまった。


 お母様は一拍置いてから、

「白々しいわよ」

 と、きっぱり言った。


「認めるんですか!?」

「もちろん」


 涼しい顔で紅茶を口に運ぶ。


「でもね」

「はい」

「世のご令嬢とご令息は、案外こんなものよ」


 私は絶句した。

「ええ……」

 もっとこう、優雅で気品あふれる駆け引きをしているものだと思っていた。

 まさか"偶然を演出する作戦"とは。

 貴族社会、思った以上に泥くさい。


 その時だった。

 新聞を読んでいたお父様が、小さく咳払いをした。


「わしと母さんは三回失敗した」

 私は吹き出した。

「三回も?」

「うむ」

 お父様は新聞を畳み、指を折り始める。


「一回目」

「はい」

「母さんが待っていた」

「はい」

「わしが来なかった」

 お母様がむっと頬を膨らませる。

「忘れてたのよ」

「訓練だったんだ」


「二回目」

「はい」

「わしが待っていた」

「はい」

「母さんが来なかった」

 今度はお父様が少しだけ拗ねた顔になる。

「雨だったのよ」

「一言ほしかった」


「三回目」

 私は身を乗り出した。

「今度こそ成功ですか?」

「偶然会えた」

「おお!」

 思わず拍手しそうになる。

 だが。

「と思ったら」

「はい」

「お互い別の用事で急いでいた」


 私は机に突っ伏した。

「なんなんですか、それ……」


 お母様が声を立てて笑う。

 お父様も照れくさそうに笑っていた。


 そんな二人を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなる。


 完璧な恋愛なんて、最初からなかったのだ。


 市場で待ちぼうけを食らい。

 約束を忘れ。

 雨に降られ。

 すれ違い続けて。

 それでも今は、こうして二人並んで笑っている。


「だから安心なさい」

 お母様が優しく言った。

「恋する娘は、みんな少し馬鹿になるものよ」


 私は固まった。

「こっ……」

 顔が一気に熱くなる。

「恋なんてしてません!」


 父と母は、ぴたりと動きを止めた。

 そして。

 二人そろって、すっと視線を逸らした。


「…………」


 否定してくれない。

 その反応が、一番恥ずかしい。


 私はごまかすように便箋を引き寄せ、ペンを握った。


 けれど、一行目を書いたところで手が止まる。


 『レオン様へ』


 それだけで胸がどきどきしてしまった。


◇◇◇


 筆が止まった。

 完全に止まった。


「どうしたの?」


 お母様が後ろから覗き込む。


 私は困り切った顔で振り返った。


「お母様」

「なに?」

「この町に」

「ええ」

「素敵なカフェなんてありません~!」


 部屋が静まり返った。


 ヴァレブランにあるのは、大衆食堂と酒場くらい。

 王都のような、おしゃれな喫茶店など一軒もない。


 お母様は遠い目になった。


「王都じゃないものね……」


 二人そろって肩を落とす。


 その時。

 新聞から顔を上げたお父様が、何気なく言った。


「角のお茶屋はどうだ?」


 私とお母様は同時に振り向いた。


「お茶屋さん?」


 街道沿いにある、小さなお茶屋。

 団子とお茶が名物で、旅人が一息ついていく店だ。

 素朴で、気取ったところは何一つない。


「素敵かと言われると……」

「微妙ですね」

「微妙ね」


 三人の意見が、きれいに一致した。

 お父様だけは平然としていた。


「だが、町で一番茶がうまい」

 それもまた事実だった。


 お母様はしばらく考え込んだ末、ふっと顔を上げる。


「そこにしましょう」

「本当に?」

「本当よ」


 真剣そのものの表情で、お母様は言い切った。


「恋愛に必要なのは」

「はい」

「雰囲気じゃないわ」

「はい」

「気合いよ」


 ……たぶん違う。

 私は心の中だけで、小さくつぶやいた。


 それでも便箋に向き直り、静かに筆を走らせる。


『最近、町のお茶屋さんによく行きます。団子がおいしいんです』


 少し考えて、もう一文添える。


『旅人の方もよく立ち寄る、のんびりしたお店です』


 書き終えると、お母様とお父様が左右から覗き込んだ。


「普通ね」

「普通だな」


 私は嬉しくなって、小さく頷く。

「普通です」


 それでよかった。


 白百合の幻姫ではなく。

 学園中の噂の令嬢でもなく。


 団子のおいしいお茶屋さんを勧める、ごく普通の十八歳。

 そんな私の手紙を、この人になら読んでもらいたい――そう思えたのだった。


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