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たまたま編3 たまたま作戦??

 私は、もう一度手紙へ視線を落とした。


『近々、仕事でヴァレブランへ伺うことになりそうです』


 たった一行。

 それだけの追伸だった。


 それなのに、胸の奥がふわりと落ち着かない。


「……家に来るってこと?」


 思わず、小さくつぶやく。


 家。

 我が家。

 この家。


 頭の中に光景が浮かんだ。

 玄関の前に立つ中佐さん。

 出迎えるお父様。お母様。

 そして、私。


 その情景を想像しただけで、胸がどきどきした。

 ものすごく、どきどきした。


 その時だった。


「幸せになってねぇ……」


 隣で、お母様が目元を押さえていた。


「……え?」


 思わず振り返る。


「お、お母様?」

「いいのよ……」

 いや、全然よくなさそうだった。


 目が潤んでいる。


「お母様?」

「大きくなったわねぇ……」

 なぜ泣きそうになっているのだろう。


 そこで、私ははっとした。


 まさか。

「正式なお申し込み!?」


 お母様はハンカチを取り出した。


「そんな気がするの」

「しません!」


 力いっぱい否定する。

 お母様は聞いていない。

 まったく聞いていない。


「生まれた時はあんなに小さかったのに……」

「まだ何も決まってません!」


 その時だった。


「わしは認めんぞ!」


 今度はお父様だった。


 私は固まる。


 え。

 まさか。

 伝説の。

 ――娘はやらん。

 あれをやるつもりなの?


「お、お父様……?」


 恐る恐る尋ねる。


「まさか」

「うむ」

「娘はやらんを?」

「違う」

 即答だった。


 …違うんだ。


 お父様は腕を組み、真面目な顔になる。


「仕事で、と書いてあるだろう」

「はい」

「仕事で」

「はい」

 お父様は手紙を指さした。

「そんな一大事を」

「はい」

「仕事のついでにされたら」

「はい」

 眉がぴくりと吊り上がる。

「さすがのわしも怒る」


 私はぽかんとした。


 ……正論だった。


 お母様も素直に頷く。


「確かに」

「だろう」

「確かに」


 珍しく夫婦の意見がぴたりと一致した。

 私は思わず笑ってしまう。


 そしてもう一度、便箋へ目を落とした。


『近々、仕事でヴァレブランへ伺うことになりそうです』


 やっぱり、ただの一文だ。


 それだけなのに。

 会えるかもしれない。

 そう思うだけで、胸が少し弾む。


 仕事だから。

 私に会いに来るわけじゃない。

 ちゃんと分かっている。

 それでも。

 嬉しかった。


◇◇◇


「……家に来るというのは、まだ早い気がします」


 思わず本音が漏れる。


 お父様は大きく頷いた。

「うむ」

 珍しく全面的に同意された。


 すると、お母様が口を開く。

「じゃあ、こちらから行く?」

「え?」

 次の瞬間。

「公務中の軍人に押しかける気か!」

 お父様が机を叩いた。

「仕事中だぞ!」

「そうですね」


 反論できない。

 正論だった。


 お母様は肩をすくめる。


「冗談よ」


 ……半分くらいは本気だった気がする。


 私は首を傾げた。


「じゃあ、どうすればいいんでしょう」


 素直に尋ねる。


 すると、お母様の口元がゆっくりと吊り上がった。

 その笑顔を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。


「白百合の幻姫様は」

「やめてください」

「世情に疎いわねぇ」


 にんまり。

 完全に悪い顔だった。


「ここで使うのはね」

「はい」

「貴族に代々伝わる秘伝の奥義よ」


 そんなものあるの?


「その名も――」


 わざと間を置く。


「たまたま作戦」


「……たまたま?」

「たまたま」


 お母様は実に真剣な顔で説明を始めた。


「偶然、同じ店にいる」

「はい」

「偶然、同じ道を歩いている」

「はい」

「偶然、同じ催し物に来ている」

「はい」

 一本、指を立てる。

「全部、たまたまよ」


 絶対違う。

 お父様も同じことを思ったらしい。


「それは仕込みと言う」


 お母様は華麗に聞き流した。


「例えばね」

「はい」

「中佐様が仕事で町へ来るでしょう?」

「はい」

「あなたは、たまたま市場へ買い物に行くの」

 私は首を傾げる。

「でも、市場にはいつも行っています」

「だから自然なのよ」

 お母様は得意げだった。

「そのあと、たまたま広場を歩く」

「はい」

「たまたま中佐様と会う」


 私はますます首を傾げる。


「そんなにうまくいきます?」


 お母様はにっこり笑った。


「いかないわ」

「え?」

「大体失敗するものよ」


 お父様が吹き出した。


「そうなのか」

「そうなの」


 お母様はどこか懐かしそうな目になる。


「昔ね」

「はい」

「お父様と偶然会おうと思ったことがあるの」


 お父様が嫌そうな顔をした。


「……やめろ」

「市場で三時間待ったわ」

「やめろ」

「結局、来なかったの」


 私は思わず吹き出した。


 お母様は遠い目をする。


「あの頃の私はね」

 少し照れくさそうに笑って。

「白百合の幻姫様より、ずっと不器用だったのよ」


 お父様も小さく笑う。

 お母様も笑う。

 その笑顔は、昔を思い出している夫婦の顔だった。


 なんだか少しだけ、羨ましい。


 お母様は優しく私を見つめる。


「だから安心なさい」

「はい?」

「恋する娘は、みんな馬鹿になるものよ」

「こっ……!」


 一気に顔が熱くなる。


「恋なんてしてません!」


 必死に否定する。


 すると。

 父と母は、まるで打ち合わせでもしていたかのように、同時にすっと視線を逸らした。


「…………」

「…………」


 その反応が。

 何よりも私の心を深くえぐるのだった。


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