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たまたま編2 中佐さんからの手紙

 家へ戻ると、当然のように叱られた。


「……何をしていたの?」


 お母様は腕を組み、静かな声で尋ねた。

 静かなのが一番怖い。


「言ってごらんなさい」


 逃げ道はない。

 私は視線を泳がせた。


 言えない。

 十八歳にもなって、町で迷子になりました――なんて。


「ええと……」


 頭を必死に回転させる。

 何か。

 何かもっともらしい理由は。


「あの……花屋のお姉さんと」

「うん」

「少し、おしゃべりしてました」


 言った。

 自然だ。

 完璧だ。

 私は天才かもしれない。


 そう思ったのも束の間だった。

 お母様は無言のまま私を見つめている。

 嫌な予感しかしない。


「花屋さんね」

「はい」

「さっき、お菓子のお裾分けを持って来てくださったわ」

 私は固まった。

「今日は一度も会っていないって、おっしゃってたけれど」

 終わった。

 完敗だった。


 私は肩を落とす。


「……ごめんなさい」

「うん」

「迷子になりました」


 お母様が目を丸くした。


「迷子?」

「はい」

「このヴァレブランで?」

「はい」

「十八歳で?」

「……はい」


 しばらく沈黙が流れる。


 叱られる。

 そう身構えた瞬間だった。


 お母様が口元を押さえた。


「……ふふっ」

 笑った。


「お母様?」

「ごめんなさい」

 そう言いながら、全然申し訳なさそうではない。

「ちょっと意外だったもの」

「意外?」

「あなたにも、そういうことがあるのね」


 あります。

 むしろ、しょっちゅうです。

 胸の中でだけ反論する。


 お母様は楽しそうだった。

 本当に楽しそうだった。


 どうしてだろう。


 そのまま何かを思い出したように手を打つ。


「ああ、そうそう」

「はい?」

「あなた宛に手紙が来ているわ」


 私は頷いた。

 手紙くらいなら珍しくない。

 親戚だったり、学院時代の知り合いだったり。

 そんなところだろう。


「ヴァイス中佐から」


 思考が止まった。


「……え?」

「ヴァイス中佐から」


 理解するまで数秒かかった。


「えええええっ!?」


 家中に声が響く。


 お母様は吹き出した。


「そんなに驚くこと?」

「驚きます!」


 どうして?

 何か失礼をしただろうか。


 オペラ?

 食事?

 それとも、白百合の幻姫の話?

 頭の中がぐるぐると回る。


「まず読みなさい」


 お母様は封筒を差し出した。


 上質な紙。

 丁寧な宛名。

 そして。差出人。


 **レオン・ド・ヴァイス**


 その名前を見ただけで胸が高鳴る。


 思い出してしまう。


『普通に話して』

『普通に笑って』

『楽しいです』

『私は、そういう方が好きです』


 頬が熱くなった。


「開けないの?」

「ま、待ってください!」


 心の準備というものがある。


◇◇◇


「お姉ちゃーん!」

「お手紙!?」

「見せてー!」


 ルシアンとクロエが飛びついてきた。


 まずい。

 この家は広くない。

 一応は貴族の屋敷だけれど、秘密を守るには致命的に向いていない。

 逃げ場がない。


 するとお母様が立ち上がった。

「こら」

 二人がぴたりと止まる。

「お姉ちゃん宛のお手紙でしょう?」

「えー」

「だめ」

 そう言うなり、お母様は二人の襟首をひょいと掴んだ。

「お外で遊んでらっしゃい」

「ええー!」

「やだー!」


 ぽいっ。

 二人はそのまま玄関の外へ放り出される。


 見事だった。

 長年の経験に裏打ちされた熟練の技である。


 私は思わず頭を下げた。


「ありがとうございます」

「いいのよ」


 お母様は優雅に微笑む。

 ……ものすごく楽しそうだった。


◇◇◇


 私は深呼吸を一つして、封を切った。


 便箋には、几帳面で読みやすい文字が並んでいる。


 内容は、とても穏やかだった。


 先日はありがとうございました。

 オペラは久しぶりでしたが、とても楽しかったこと。

 終演後、サン=クレール元中将にまた捕まってしまったこと。

 翌日は少将閣下に残業を命じられ、人事局の書類の山と格闘したこと。

「草むしりよりは、まだ書類の方が楽でした」

 そんな一文まで添えられていて、思わず吹き出してしまう。


 社交界の令嬢が夢見るような恋文ではない。

 愛を詩にした一節もない。

 花を散りばめた甘い言葉もない。

 本当に、ただの近況報告だった。


 なのに。

 私は何度も読み返してしまう。


 一度。

 もう一度。

 そして、もう一度。


 気づけば自然と笑っていた。


「ふふっ……」


 不思議だった。


 特別に面白い話ではない。

 それなのに、読むたびに胸が温かくなる。

 まるで、目の前で本人が少し照れくさそうに話しているような気がした。


 そして。

 最後の一文で、私の手が止まる。


 > 追伸

 > 近々、仕事でヴァレブランへ伺うことになりそうです。


「……え?」


 もう一度読む。

 読み間違いではない。


「えええええっ!?」


 再び家中に叫び声が響いた。


 書斎からお父様が飛び出してくる。


「どうした!」


 私は震える手で便箋を差し出した。


 お父様が読み。

 お母様も覗き込む。


 数秒後。

 二人は顔を見合わせた。


「ああ」

 お父様がゆっくり頷く。

「これは大変だ」

 お母様も真顔になる。

「大変ね」


 私は必死だった。


「ですよね!?」

「ええ」

「ですよね!?」


 お母様は真面目な顔で言った。

「お客様用の食器を確認しないと」

 お父様も頷く。

「屋根も見ておこう」

「そこなんですか!?」

 思わず叫んでしまう。


 仕事で来るだけ。

 私に会いに来るわけではない。


 分かっている。

 ちゃんと分かっている。


 それでも。

 もし。

 この町で偶然会えたら。

 また一緒に笑えたら。


 ……嬉しい。


 そんなことを考えてしまう自分がいて。

 私は誰にも見られないよう、そっと手紙を胸に抱きしめるのだった。


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