たまたま編1 迷子の令嬢と草むしりの軍人
ヴァレブランの石畳を、私はのんびりと歩いていた。
着ているのは、いつものワンピース。
履き慣れた靴。
見慣れた街並み。
王都へ出かける時とは違う。
飾り気などほとんどない、町娘と変わらない格好だった。
行き先は八百屋さん。
母に頼まれた夕飯の買い出しである。
白百合の幻姫とやらがするような、高尚なお仕事ではない。
でも、我が家ではこれが当たり前だ。
家族みんなで家事を分担して、助け合って暮らしている。
私はそんな毎日が嫌いではなかった。
通りの向こうから、軍服姿の一団が歩いてくるのが見えた。
思わず目で追ってしまう。
――軍人さん。
その瞬間、胸の奥に、ある人の顔がふっと浮かんだ。
(中佐さん、今頃どうしてるのかな)
私は思わず足を止めた。
……いや。
別に会いたいとか、そういう意味じゃない。
たぶん。
そういえば、今は待命中だと言っていた。
待命にも色々あるらしい。
まとまった休暇をもらう人。
次の任務を待つ人。
そして、やらかした人は――。
私は、オペラの時での会話を思い出した。
◇◇◇
「監禁中なんですか?」
思わず聞いてしまったことがある。
今思い返しても恥ずかしい。
あの時、中佐さんは少し吹き出してから苦笑していた。
「それでしたら、お見合いの許可は下りません」
「……ですよね」
あまりにもその通りだった。
実際には、人事局へ毎日出勤しているらしい。
少将のお手伝いをしたり。
新兵でもできるような雑務を任されたり。
書類を届けたり。
別の部署へ使い走りをしたり。
そして。
一番衝撃だった仕事。
『特に仕事がない日は、朝から敷地内の草むしりです』
思い出した瞬間、口元が緩む。
軍人さんが草むしり。
必要なのは分かる。
大切なのも分かる。
誰かがやらなければならない仕事だということも。
でも。
砦の英雄。
大会戦を生き抜いた人。
王都中が知る軍人。
そんな人が。
軍帽をかぶったまま、しゃがみこんで黙々と雑草を抜いている。
想像した。
……駄目だった。
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
通りかかったパン屋のおばさんが、不思議そうな顔でこちらを見た。
私は慌てて咳払いをする。
危ない。
完全に変な人だった。
◇◇◇
変だな。
少し前まで。
縁談なんて現実味がなかった。
英雄なんて、物語の向こう側の人だった。
なのに今は。
軍服を見るだけで思い出してしまう。
私は首を傾げた。
これって、何なんだろう。
◇◇◇
空は高く澄み渡っていた。
暑すぎず、寒すぎず。
風が心地いい。
……草むしり日和だ。
また思い出してしまう。
軍人さんが草むしり。
やっぱり面白い。
帰ったら、庭の草取りでもしようかな。
お母様も喜ぶだろう。
そんなことを考えながら、私は歩いた。
歩いて。
歩いて。歩いて――。
ふと顔を上げる。
「あれ?」
見覚えがない。
私は立ち止まった。
左右を見回す。
知らない店。
知らない家。
知らない通り。
「……え?」
嫌な汗が背中を伝う。
慌てて振り返る。
さっきまで歩いてきた道を見る。
……分からない。
完全に迷っていた。
「うそ……」
どうして。
八百屋へ行くだけだったのに。
必死に記憶をたどる。
途中までは覚えている。
軍人さん達を見かけた。
それから――。
(あ……)
私は思い出した。
無意識に。
軍人さん達が歩いてくる方向へ、そのまま角を曲がっていた。
なんで?
中佐さんがいるわけでもないのに。
……もし、いたら。
少しくらい嬉しかったかもしれない。
そこで、私はぴたりと固まった。
(今、私……何を考えた?)
顔が、一気に熱くなる。
違う。
そういう意味じゃない。
ただの知り合いに偶然会えたら、挨拶するくらいの。
そんな意味で。
……たぶん。
でも。
もし本当に中佐さんがいたら。
「こんにちは」
くらいは言うだろう。
「今日は草むしりなんですか?」
なんて、笑いながら聞くかもしれない。
……あれ?
それって。
私。
会いたいって思ってるの?
胸の奥が、そわそわと落ち着かない。
自分の心なのに。
泥水をかき回したみたいに、何も見えなくなってしまう。
好きなのか。
違うのか。
分からない。
本当に分からない。
でも――。
「まずい……」
現実が戻ってきた。
帰りが遅くなる。
お母様に怒られる。
しかも私は、まだ八百屋さんにすら着いていない。
「どうしよう……」
青ざめて辺りを見回す。
白百合の幻姫。
学院伝説。
冷徹なる賢女。
その実態は――。
買い物の途中で、迷子になった十八歳だった。
……これは。
誰にも知られてはいけない。
絶対に。




