おでかけ編4 オペラの招待状
数日後。
私は庭で洗濯物を干していた。
平和だった。
ルシアンとクロエは庭を走り回り、お母様は縁側で繕い物をしている。
お父様は机に向かって何やら書類と格闘中だ。
うん。
平和である。
ここ数日、軍の偉い人の名前を山ほど聞かされたけれど、結局あれは別世界の話だ。
私は私。
貧乏子爵家の長女。
今日も変わらない一日――。
そう思っていた。
その時だった。
ガラガラ、と馬車の音が聞こえる。
しかも。
うちの前で止まった。
家族全員の動きが止まる。
……嫌な予感がする。
とてもする。
御者が馬車から降りてきた。
見たことのない立派な制服。
見たことのない立派な馬車。
そして、見たことのない美しい紋章。
お父様の顔色がさっと変わる。
「……あれ」
「知ってるんですか?」
父は小さく息を呑んだ。
「王立歌劇場の紋章だ」
「歌劇場?」
なんでそんなところから。
御者は恭しく一通の封筒を差し出した。
厚手の封筒。
金の箔押し。
見るからに高そうだ。
お父様が受け取り、お母様も隣から覗き込む。
そして。
二人とも固まった。
「……お父様?」
返事がない。
怖い。
すごく怖い。
私は恐る恐る封筒を受け取った。
中には一枚の招待状。
王立歌劇場 特別公演
二名様ご招待
「へえ……」
オペラだ。
学園で一幕だけ鑑賞したことはある。
でも、本格的な公演なんて見たことはない。
すごそう。
私はさらに続きを読む。
そして。
ある一行で思考が止まった。
同席者
レオン・ド・ヴァイス中佐
「ひゃっ」
変な声が出た。
私は何度も何度も見返す。
でも。
何度見ても書いてある。
レオン・ド・ヴァイス中佐。
「な、なんでですか!?」
「少将夫人ね……」
お母様が遠い目をした。
「絶対そうだわ」
私も全力で頷く。
間違いない。
他に思いつかない。
封筒の中には、もう一枚小さな便箋が入っていた。
嫌な予感しかしない。
恐る恐る広げる。
流れるような美しい文字。
若いお二人に、素敵な時間を過ごしていただきたく、今回は王都でも評判の演目をご用意いたしました。
お返事を楽しみにしております。
追伸
幻姫様なら、きっとお似合いになりますわ。
私はその場に崩れ落ちた。
「まーだ言ってるーーーっ!!」
庭で遊んでいた弟妹が慌てて駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん!?」
「どうしたの!?」
大丈夫じゃない。
全然大丈夫じゃない。
お母様は招待状を見つめたまま呟いた。
「王立歌劇場……」
お父様も遠い目をしている。
「一生に一度行けるかどうかという場所だな……」
私は首を傾げた。
「どうしたんですか?」
お母様が真顔になる。
「ドレスよ」
「……あ」
その一言で全部思い出した。
王立歌劇場。
普段着なんて論外。
前回のお見合い。
触るのも怖いドレス。
宝石。
髪飾り。
化粧。
そして。
鏡の中にいた知らない美人。
「……また、やるんですか」
お母様はにっこり微笑んだ。
「またやるの」
私は泣きそうになった。
◇◇◇
そして当日。
私はお母様と再び少将邸を訪れた。
そして連行された。
「さあ、頑張りましょうね!」
少将夫人は今日も絶好調だった。
頑張るのは夫人であって、私ではないと思う。
前回と同じ部屋。
前回と同じ侍女さんたち。
そして。
前回と同じ絶望感。
私は深々と頭を下げた。
「お願いします」
「はい」
「前回みたいに爆盛りしないでください」
部屋が静まり返る。
侍女さんたちが顔を見合わせる。
少将夫人が首を傾げた。
「爆盛り?」
「なんかこう……」
私は両手をぶんぶん振る。
「本来の三倍くらい美人になるやつです!」
侍女さんたちが吹き出した。
笑い事じゃない。
前回は本当に別人だった。
「今回は自然でお願いします!」
「自然?」
「ナチュラルです!」
私は必死だった。
「私はですね」
自分を指差す。
「一山いくらで売られているリンゴなんです」
断言する。
「だから、高級果物店のショーケースに飾られる高級リンゴみたいにするのはやめてください!」
侍女さんたちが肩を震わせている。
だから笑い事じゃない。
◇◇◇
三十分後。
私は恐る恐る鏡を見た。
……固まる。
「いかがでしょう?」
侍女長が微笑む。
確かに。
前回ほどではない。
宝石は控えめ。
化粧も薄い。
髪型も自然。
派手ではない。
決して派手ではない。
それなのに。
「どうして……」
私は震える声で言った。
「どうして、こうなるんですか……」
鏡の中には。
柔らかな笑みが似合いそうな、美しい少女がいた。
前回のような『幻姫』ではない。
もっと自然。
もっと親しみやすい。
それでも。
十分すぎるほど綺麗だった。
少将夫人は満足そうに頷く。
「やっぱり素材がいいのよ」
「違います」
「違わないわ」
「違います!」
話が通じない。
私は鏡を指差した。
「私は一山いくらのリンゴなんです!」
「ええ」
「なのに!」
私は悲痛な声で叫んだ。
「一個だけ磨き上げられて、ピカピカにワックスをかけられて、真っ赤なリボンまで巻かれて、飾られてるじゃないですか!」
私は両手をぶんぶん振る。
「これじゃ詐欺です!!」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
侍女さんたちが一斉に吹き出した。
少将夫人まで肩を震わせて笑っている。
「もう!」
「だって!」
「そんな真剣な顔でリンゴのお話をされても!」
みんなひどい。
私は本気で困っているのに。
◇◇◇
やがて馬車の準備が整う。
少将夫人は満足そうに私を見つめた。
「完璧ね」
完璧じゃない。
全然、完璧じゃない。
だって。
今日こそは。
中佐さんに言わなければならない。
『白百合の幻姫なんて、ただの勘違いです』
『私はそんな立派な人間じゃありません』
そう伝えるつもりだった。
……でも。
鏡の中の私は。
どう見ても、その言葉を信じてもらえそうな姿ではなかった。
「……これ、絶対に詐欺ですよね」
誰にともなく呟くと。
少将夫人は、にこりと微笑んだ。
「さあ、ヴァイス中佐がお待ちよ」
私は小さくため息をつき、覚悟を決めて馬車へ向かった。
考えてみれば。
人生で初めてだった。
家族以外の男性と二人で出かける。
しかも相手は。
レオン・ド・ヴァイス中佐。
私は深呼吸した。
緊張する。
とても緊張する。
でも。
不思議と嫌ではなかった。
前回会った時。
最初は怖かった。
軍人。
英雄。
新聞に載る人。
そんな印象だった。
けれど。
実際は違った。
泣きそうでした。
怒られました。
降格されました。
そんな話を困ったように笑いながら話す人だった。
そして。
私が「凄いと思います」と言った時。
少しだけ。
本当に少しだけ。
嬉しそうな顔をした。
あの顔を思い出す。
自然と頬が緩んだ。
「リアンヌちゃん?」
少将夫人が不思議そうに見る。
私は慌てて首を振った。
「なんでもありません」
たぶん。
嘘だった。




