おでかけ編2 偉い人たちも喧嘩する
その夜。
夕食も終わり、部屋へ戻ろうとしたところで、不意にお父様に呼び止められた。
「リアンヌ」
その声が妙に真面目だった。
嫌な予感しかしない。
お父様がこういう顔をしている時は、大抵ろくな話ではない。
「少し話がある」
やっぱり。
私は観念して椅子へ座った。
向かいに、お父様も腰を下ろす。
お母様は紅茶を淹れながら、少し離れた席で静かに聞いている。
「もし」
お父様が切り出した。
「今後もヴァイス中佐と会うことになるなら」
その言葉に、少しだけ胸が跳ねた。
――会うことになる。
もう次がある前提なんだ。
そんなことを思いながら聞いていると、お父様は真顔で言った。
「少しは軍のことを覚えなさい」
「難しそうです」
「最低限でいい」
「例えば?」
「階級くらいは」
私は胸を張った。
「覚えてます」
「ほう」
「大将が一番偉い」
「うむ」
「中将も少将も偉い」
「うむ」
「大佐も中佐も偉い」
「そうだ」
「つまり、みんな偉いです」
お父様が額を押さえた。
「違う」
「でも偉いですよね?」
「偉い」
「じゃあ合ってます」
「違う」
難しい。
軍というのは、本当に難しい。
少し考えてから、私は閃いた。
「白百合の幻姫は」
お父様の眉がぴくりと動く。
「そんな俗世の序列を超越した存在です」
ごつん。
軽く額を小突かれた。
「怒るぞ」
「もう怒ってますよね!?」
「怒っている」
私はしょんぼりとうつむく。
「いいか」
お父様は咳払いした。
「例えばヴァイス中佐」
「はい」
「同じ中佐でも、全員が同じ仕事ではない」
「店長さんみたいなものですか?」
「店長?」
「大きなお店の店長もいれば、小さなお店の店長もいます」
少し考える。
「肩書きは同じでも、持っている仕事や権限が違う」
お父様は満足そうに頷いた。
「その通りだ」
少し嬉しかった。
褒められた。
「ヴァイス中佐は今、待命中だ」
「はい」
「だが顔は広い」
「知り合いが多いんですね」
「軍トップの将官達とも話ができる」
私は目を丸くした。
「思ったより凄い人では?」
「最初から凄いと言っている」
……確かに。
私が勝手に普通の店員さん扱いしていただけだった。
◇◇◇
お父様は少し姿勢を正した。
「軍で一番偉い方は知っているな」
「はい」
「ルイ・ド・モンフォール王弟殿下」
それは私でも知っている。
国王陛下の実弟。
王国軍最高司令官。
子供でも名前くらい知っている有名人だ。
「そして」
お父様は続けた。
「ヴァイス中佐は、その王弟殿下の派閥所属ということになっている」
「ええええええっ!?」
私は思わず立ち上がった。
椅子が大きな音を立てて倒れる。
「王弟殿下ですよね!?」
「そうだ」
「軍で一番偉い人ですよね!?」
「そうだ」
「なんで中佐さんが!?」
本当に分からない。
この前まで一緒に、
温泉に閉じ込められた隊長の話で笑っていた人である。
雪かきの話をしていた人である。
平中佐です、と真顔で言っていた人である。
「ただの店長さんだと思ってたら」
私は呆然と呟いた。
「社長さんのお気に入りだったんですか?」
お父様がため息を吐いた。
「訂正する。そのたとえなら社長は国王陛下だ」
「じゃあ副社長のお気に入りだったんですか?」
お父様が苦笑する。
「お気に入り、というほど単純ではない」
少し考えてから続けた。
「ただ、王弟殿下が名前を知っている程度には有名人だ」
私は再び固まった。
普通。
普通とは何だったのだろう。
「遭難した隊長の後始末した人ですよね……」
「違う」
「怒られた人ですよね」
「違う」
「雪かきの人ですよね」
お父様は天井を見上げた。
お母様まで肩を震わせている。
◇◇◇
「次だ」
お父様は気を取り直した。
「軍で二番目」
「上大将ですね」
「そんな階級はない」
即座に否定された。
「参謀本部総長アンリ・ド・ボーヴォワール大将」
「参謀本部って何ですか?」
「軍全体の作戦を考えるところだ」
私は少し考える。
「軍全部の宿題をやる人?」
「出す方だ」
「軍全部の予定表を作る人?」
「少し近い」
「軍全部の頭脳」
「それだ」
ようやく正解した。
「そして、この方は王弟殿下派と対立する派閥の中心人物でもある」
「派閥……」
宮廷の人達は、本当に派閥が好きらしい。
「最近はこちらの勢いが強い」
「どうしてですか?」
「優秀だからだ」
「王弟殿下も優秀ですよね?」
「もちろんだ」
「じゃあどうして?」
お父様は少し考え込んだ。
私は考える。
そして閃く。
「公爵令嬢と侯爵令嬢ですか?」
「……続けろ」
「本当なら公爵令嬢の方が格上」
「うむ」
「でも侯爵令嬢の方が人気者」
「うむ」
「友達も多い」
「うむ」
「だから実際は侯爵令嬢の方が勢いがあるように見える」
お父様はしばらく黙っていた。
「だいたい合ってる」
少し嬉しい。
◇◇◇
「三人目は軍部省次官ギヨーム・ド・ヴィルヌーヴ大将」
私は首を傾げた。
「大将なんですよね?」
「そうだ」
「なのに次官?」
父は頷く。
「大臣は政治家がやる。だから軍人としては軍部省の実質的なトップだ」
「軍部省って?」
「金と人事だ」
私は真顔になる。
お金。
人事。
つまり生きるために必要なもの全部では?
「参謀本部がお父さんなら」
お父様は説明した。
「軍部省はお母さんだ」
なるほど。
「お父さんが計画を立てる」
「うむ」
「お母さんがお金ないから駄目と言ったら終わり」
お母様がくすりと笑う。
「まあ、そんな感じね」
そして軍には、その人を中心にした第三の派閥まであるらしい。
「気付いたらクラスの中心になっている子みたいなものだ」
そう聞いて、私は何となく想像できた。
目立たない。
でも困ったことがあると皆が相談しに行く。
気付けば人が集まっている。
そんな人は学院にもいた。
「この三つが、今の軍の大きな流れだ」
私は指を一本ずつ立てる。
「王弟殿下派」
二本目。
「参謀本部総長派」
三本目。
「軍部省次官派」
「そういうことだ」
私は少しわくわくしてきた。
学院よりずっと大きい。
でも、どこか似ている。
◇◇◇
「この人達って」
私は尋ねた。
「仲が悪いんですか?」
お父様は少し笑った。
「そうとも言えん」
「でも派閥なんですよね?」
「例えばだ」
お父様は私を見た。
「今日のルシアンとクロエ」
私ははっとした。
昼間の出来事が蘇る。
「喧嘩していただろう」
「はい」
「仲は悪いか?」
私は首を振る。
「いいえ」
おやつは分け合う。
手も繋ぐ。
泣けば慰める。
それでも喧嘩はする。
「クロエは母さんを喜ばせたかった」
「はい」
「ルシアンは約束を守りたかった」
「はい」
「どちらも悪くない」
「そうですね」
「軍のトップも、案外そんなものだ」
私は黙った。
「もちろん利権もある」
お父様は静かに続ける。
「権力争いもある」
「はい」
「だが、全員が悪人というわけではない」
その言葉が、不思議なくらい胸に残った。
学院でもそうだったのだろうか。
私はずっと、派閥なんて面倒だと思って避けてきた。
誰が誰の味方で、誰が敵なのか。
そんなことは知らなくてもいいと思っていた。
でも。
本当に、私は見ようとしていただろうか。
正しい者同士でも、ぶつかることがある。
善意と善意でも、譲れないことがある。
昼間の弟と妹が、まさにそうだった。
「お父様」
「ん?」
「私……」
言葉を探す。
「学院で色々見ていたつもりでした」
「うむ」
「でも」
私は苦笑する。
「何も見えていなかったみたいです」
お父様は少しだけ目を細めた。
「それでいい」
「え?」
「今、気付いたんだろう」
私は静かに頷く。
「なら十分だ」
その声は、とても穏やかだった。
私は膝の上で手を重ねる。
少将夫人は言っていた。
――誰の味方にもならない白百合の幻姫。
違う。
そんな立派なものではない。
私はただ、何も知らずに逃げていただけだった。
でも。
だからこそ、今なら少しだけ分かる気がする。
人は、一つの噂だけでは分からない。
英雄も。
派閥も。
そして、きっと自分自身も。
少し補足します。
参謀本部総長という語は一般的ではないです。
知識がある人なら「参謀総長」が正と思うでしょう。
ところが知識なければ「参謀総長」と「総参謀長」の区別はつかないとも思いました。
司令官がいてそのスタッフの参謀。
このイメージなせいで「参謀総長」はあまり偉く見えません。
「統合幕僚会議議長」とかは、この世界では海軍ですら独立してないので使えません。
「軍令部総長」は日本だと海軍のイメージ強すぎです。
悩んだ末、参謀本部総長という語になりました。
軍を会社に例えたら社長は国王。
とか。
大臣は政治家がやるので現役軍人としては次官がトップ。
とか。
いわゆるシビリアンコントロール。
20世紀に入ってからの、現代の考え方です。
近代をイメージしてる作中世界ではそぐわないかもしれません。
軍の暴走を止められず滅亡した大日本帝国を知る身としては、ここははっきりさせとこうと思った次第です。
軍を会社に例えたなら株主総会が議会。
とも書こうかと思いましたが、さすがに蛇足だったので消しました。
私なんぞより知識が豊富な方がおいでかと存じますが。
このあたりのツッコミはご容赦お願いいたします。




