第九十話 クシナダと刀也
実戦形式の修練が一段落した後。
刀也は修練場の隅で、一人木刀を構えていた。
先ほどの動きを思い返しながら、ゆっくり足を運ぶ。
右へ踏み込み。
木刀を振り下ろす。
素早く後ろへ下がる。
「迅の風が来るのがこの辺りで……」
刀也は誰もいない場所を見た。
「紅葉の斬空が通ったら、俺は左から攻める」
もう一度、最初から動く。
しかし途中で足が止まった。
「次は……」
「道満が結界を張るから……」
頭の中で順番を整理していると、背後から声がした。
「考えることは大事じゃ」
刀也が振り返る。
そこには黒い着物姿のクシナダが立っていた。
腰には二本の刀。
腕を組み、静かに刀也を見つめている。
「クシナダ様」
刀也は姿勢を正した。
クシナダは歩み寄り、木刀の先を指で軽く押す。
「昨日のお主は何も考えず敵へ飛び込んだ」
「今日は仲間の位置も、次の動きも考えておる」
「よい変化じゃ」
「はい」
刀也は照れくさそうに笑う。
「でも動く前に考え込んじゃって……」
「それでよい」
クシナダは静かに頷く。
「最初から考えず正しく動ける者などおらぬ」
「まず頭で考える」
「どう動く」
「いつ踏み込む」
「仲間はどこにおる」
「頭の中で組み立てるのじゃ」
刀也は真剣に聞き入る。
「じゃがな」
クシナダは腰の刀へ手を添えた。
「剣士は時として、頭より先に動かねばならぬ」
「頭より先に?」
「うむ」
「敵の刃が目の前まで来てから」
「右か左か考えていては遅い」
「身体が先に答えを出すのじゃ」
その瞬間。
クシナダの指が刀也の額へ伸びた。
「うわっ!」
刀也は反射的に顔を引く。
指は鼻先でぴたりと止まった。
「今のようにな」
刀也は目を丸くする。
「俺……何も考えてなかった」
「そうじゃ」
「危険を感じ」
「身体が勝手に動いた」
クシナダは刀也の胸を軽く突く。
「剣も同じじゃ」
「何度も」
「何度も」
「何度も繰り返す」
「同じ構え」
「同じ足運び」
「同じ太刀筋」
「身体へ染み込ませる」
クシナダは地面へ一本の線を引いた。
「敵がここへ踏み込めば半歩下がって受け流す」
もう一本線を引く。
「仲間がここから攻めるなら、自分は反対へ回る」
さらに刀也の足元を指した。
「敵が自分を見た瞬間」
「仲間が動きやすい場所へ誘導する」
刀也は線を見つめる。
「全部覚えるんですか」
「覚えるだけでは足りぬ」
クシナダは首を振る。
「身体が勝手に動くまで繰り返すのじゃ」
刀也が顔を上げる。
「連携もですか」
「うむ」
クシナダは休憩している道満たちを見る。
「誰が指示を出す」
「誰がどこへ動く」
「どれほどの速さで踏み込む」
「いつ術を放つ」
「まず頭で考える」
「何度も思い描く」
「そして何度も動く」
「動きを直し」
「呼吸が合うまで繰り返す」
クシナダは刀也を見据えた。
「そうして初めて」
「道満が指示した瞬間」
「頭より先に身体が動く」
「迅の足音だけで動きが分かる」
「紅葉の霊力だけで術の位置が分かる」
「それが本当の連携じゃ」
刀也の瞳が輝く。
「すげぇ……」
クシナダは満足そうに頷いた。
「ゆえに」
刀也はごくりと息を呑む。
「まずは素振り千本じゃ」
「そこへ行き着くんですか!?」
近くで聞いていた一葉が思わず声を上げた。
二葉と三葉も慌てて駆け寄る。
「クシナダ様」
「昨日実戦を終えたばかりです」
「いきなり千本は多すぎます」
「腕を痛めてしまいます」
クシナダは平然と答える。
「最初から千本を全力で振らせるつもりはない」
「一振りごとに姿勢を見る」
「疲れれば休ませる」
「崩れた太刀筋を直す」
「数だけ振っても意味はない」
三姉妹は顔を見合わせた。
「それでも千本は……」
どう止めようか悩んでいると――
「はい師匠!」
刀也の元気な声が響く。
三人が振り向く。
刀也は木刀を構え、目を輝かせていた。
「教え方すっごく分かりやすいです!」
「考えた動きを何度も繰り返して身体に覚えさせる!」
「考えるより先に動けるようにする!」
「連携も皆で繰り返せばいい!」
クシナダの口元がわずかに緩む。
「ほう」
「分かったか」
「はい!」
「立身刀也」
「お主、見どころがあるぞ」
「ありがとうございます!」
その場にいた者たちは顔を見合わせた。
一葉が小声で言う。
「クシナダ様のお話を聞いて……」
二葉が続ける。
「分かりやすいと言う人が……」
三葉が笑いをこらえる。
「初めて見ました」
三人は思わず吹き出した。
「何で笑うんだよ!」
刀也が首をかしげる。
「いえ」
「刀也君とクシナダ様」
「本当に相性がいいんだなと思いまして」
「そうか?」
刀也は嬉しそうにクシナダを見る。
「師匠!」
「早速お願いします!」
「よかろう」
クシナダは大きく頷く。
「正面打ち百本」
「袈裟斬り左右百本ずつ」
「逆袈裟左右百本」
「胴払い百本」
「突き百本」
刀也は指を折る。
「八百本?」
「残り二百本は連続動作じゃ」
「なるほど!」
刀也は木刀を構える。
「お願いします!」
「始め!」
「一!」
木刀が勢いよく振り下ろされる。
「腰が高い!」
「はい!」
「二!」
「腕だけで振るな!」
「足から力を伝えよ!」
「はい!」
「三!」
修練場へクシナダの厳しい声と、刀也の元気な返事が響き渡る。
その様子を見て晴真が笑った。
「刀也君、すごく楽しそう」
道満も微笑む。
「理屈を理解してから身体で覚える」
「極端だけど刀也には合っているね」
迅は腕を組んだまま言う。
「連携も反復か」
紅葉が尋ねる。
「あなたも参加しますか」
「素振り千本はしない」
迅は即答した。
「だが連携の反復は必要だ」
道満も立ち上がる。
「刀也の素振りが終わったら」
「昨日の陣形をもう一度確認しよう」
「何度でも」
「全員が自然に動けるようになるまで」
刀也は素振りを続けながら叫ぶ。
「俺もやる!」
「その前に千本じゃ!」
クシナダの声が飛ぶ。
「はい師匠!」
元気な返事が修練場へ響いた。
自分の弱さを知った刀也は。
考えることを覚え。
そして今。
考えたことを身体へ刻み込む、新たな修練を始めた。




