第八十七話 龍姫と夜叉丸
医務室には、重い静寂が流れていた。
伊都許利命と禍津喰羅の真実を聞き、誰も言葉を発することができない。
その空気の中、ミヅチが静かに口を開く。
「次は――」
「先代の金桜眼について話そう」
晴真たちは息をのんだ。
「その名は、龍姫」
「四百年前、裏佐倉を守った英雄じゃ」
⸻
龍姫は、印旛大龍王の娘だった。
父は太古の海より生まれた龍神。
母は伊都許利命の血を引く人間の女性。
半神半人として生まれた龍姫は、母から受け継いだ伊都許利命の血が強く呼応し、金桜眼を宿した。
晴真とは直接の祖先と子孫ではない。
しかし、同じ伊都許利命へ連なる遠い血族だった。
「性格はのう」
ミヅチは少し懐かしそうに笑う。
「明るく優しく、誰よりも人を思いやる娘じゃった」
「……じゃが」
「危ないと分かっていても、一人で飛び込んでしまうお転婆でもあった」
沙羅が苦笑する。
「どっかの誰かさんみたいだな」
全員の視線が晴真へ集まる。
「え?」
「ぼ、僕ですか?」
「お主じゃ」
ミヅチが即答する。
部屋に小さな笑いが広がった。
その空気が少し和らいでから、ミヅチは再び真剣な表情へ戻る。
「龍姫は金桜眼の力で、幾度も裏佐倉を災いから守った」
「今もなお英雄として祀られ、人々の信仰を集めておる」
晴真は静かに問いかける。
「金桜眼って……」
「どんな力なんですか」
ミヅチは答える。
「金桜眼は、封じる神眼じゃ」
「術式の本質」
「霊力の流れ」
「瘴気の動き」
「すべてを見通し、禍津喰羅に由来する穢れを封じることができる」
銀花も頷く。
「晴真様がお使いになった金桜封印術も」
「爆裂の札も」
「龍姫様が、未来の金桜眼のために残されたものです」
晴真は驚いて札を思い浮かべた。
「あの札も……」
「龍姫さんが」
「そうじゃ」
ミヅチは静かに頷いた。
⸻
「そして」
「龍姫の隣には、いつも一人の男がおった」
「夜叉丸じゃ」
道満と凛が顔を上げる。
「夜叉丸……」
「麻賀多宗家の祖先じゃ」
夜叉丸は人間でありながら、
術。
封印。
武術。
そのすべてを極めた天才だった。
温厚で誠実。
人だけでなく、妖や霊獣からも深く慕われていた。
そして、その瞳には――
銀桜眼。
「銀桜眼は」
「金桜眼を導く支える神眼じゃ」
「霊力の流れを見極め」
「乱れを整え」
「術を正しい形へ導く」
「金桜眼が封じる力なら」
「銀桜眼は浄化へ導く力」
正臣が静かに続ける。
「ですが、銀桜眼は血筋だけでは目覚めません」
「清らかな心」
「積み重ねた修練」
「そして銀桜眼自身に選ばれること」
「そのすべてが必要です」
道満が小さく尋ねる。
「僕や凛にも……」
「可能性はあるんですか」
「ある」
ミヅチは頷く。
「じゃが、誰にも分からぬ」
「銀桜眼に選ばれるかどうかは、未来だけが知っておる」
⸻
部屋の空気が再び静まり返る。
ミヅチは遠くを見るような目で語り始めた。
「龍姫と夜叉丸は互いを深く信頼し」
「裏佐倉を守る伴侶となった」
誰もが信じていた。
二人が共にいる限り、裏佐倉は安泰だと。
しかし――。
四百年前。
裏佐倉を揺るがす大きな災厄が起きる。
その戦いで、龍姫と夜叉丸は命を落とした。
裏佐倉を守るために。
晴真たちは息をのむ。
「その災厄の裏には」
「禍津喰羅教の影があった」
ミヅチの声が低く響く。
「奴らは人の弱い心につけ込み」
「絶望や欲望を利用して瘴気を広げる」
「さらに禍津喰羅の分体や瘴気を人へ宿し」
「依代へ変える術を持っておる」
深月が静かに続ける。
「四百年前にも、一人の巫女が依代となりました」
紫月も頷く。
「ですが」
「その巫女の名も」
「災厄の真相も」
「今はまだ話すことはできません」
晴真は不思議そうに顔を上げる。
「どうしてですか」
正臣が静かに答えた。
「禍津喰羅は、人の記憶や意識へ干渉する危険があります」
「核心を一度に知ることは、かえって危険なのです」
「だから今、伝えられるのは三つだけです」
正臣は指を折る。
「龍姫と夜叉丸が、裏佐倉を守って亡くなったこと」
「四百年前の災厄に、禍津喰羅教が関わっていたこと」
「そして」
「現在も禍津喰羅教が再び動き始めていることです」
誰も言葉を発しなかった。
ミヅチは全員を見渡し、最後に静かに告げる。
「忘れるでない」
「禍津喰羅教は、必ずしも敵の姿で現れるとは限らぬ」
「味方の顔をして近づくこともある」
「そして時には――」
「人の心の中にさえ入り込む」
医務室に重い沈黙が落ちる。
龍姫と夜叉丸。
英雄として語り継がれる二人に起きた本当の悲劇。
その真実は、まだ誰にも語られなかった。




