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第五話 ヒヨドリ坂のバス停


春。


桜が舞う入学式の朝。


千葉県佐倉市にある坂道――ヒヨドリ坂。


佐倉藩の城下町時代から残る古い竹林の坂道であり、表佐倉の人々にとっては歴史ある観光名所だった。


だが、裏佐倉の者たちにとっては違う意味を持つ。


ヒヨドリ坂。


それは、表佐倉と裏佐倉を繋ぐ境界の一つ。


陰陽眼を持つ者だけが乗ることを許された式神バスが現れる場所。


そして、佐倉陰陽学園へ向かう新入生たちの出発点だった。



桜晴真は、少し大きめの制服を着て坂を上っていた。


男子制服は、学ランと狩衣を合わせたような和洋折衷のデザインだった。


白い立襟の衣に、黒を基調とした上着。


肩には短い外套。


腰には帯と組紐。


下は袴風のスラックスで、足元は地下足袋と編み上げブーツを合わせたような特製靴だった。


「なんか、すごく格好いいな」


晴真は嬉しそうに自分の制服を見下ろす。


一見すると普通の制服。


だが、よく見ると金糸で桜と白蛇の刺繍が施されている。


外套の背には金桜紋と三匹の白蛇。


内側には、御堂家による守護術式が刻まれていた。


金桜眼の持ち主である晴真を守るために作られた、特別な制服だった。


肩には新品の黒革の鞄。


これも学園指定品に見えるが、御堂家の守護術式が刻まれた特別製だった。


危険が迫ると、金色の桜紋が淡く輝き、いざという時には防御結界を展開する。


もちろん、晴真本人はそこまで知らない。


「鞄もかっこいい!」


ただ、無邪気に喜んでいるだけだった。


その鞄には、漆塗りの黒い木札が下がっている。


手のひらほどの大きさの木札には、金色の桜紋と三匹の蛇。


裏面には「桜晴真」の名が金文字で刻まれていた。



「うわぁ……」


晴真は坂の両脇に広がる竹林を見上げた。


風が吹くたびに竹が揺れる。


カサカサ。


サラサラ。


心地よい音が響いていた。


晴真は父・晴臣と母・美咲に挟まれながら、ヒヨドリ坂を上っていく。


「ここがヒヨドリ坂かぁ……」


見上げれば、竹林の奥へと続く細い坂道。


「そろそろだな」


晴臣が言った。


「晴真、木札を手に持ってみろ」


「うん」


晴真が鞄から木札を外して手に持つ。


すると、木札に刻まれた桜紋が淡い金色に輝き始めた。


「光った!」


その瞬間、周囲の景色がゆらりと揺れる。


坂の途中に、薄い光の膜が現れた。


「結界だ」


晴臣が穏やかに言う。


「この先が、ヒヨドリ坂のバス停だぞ」


三人が結界をくぐると、空気が変わった。


同じ竹林なのに、風の匂いも鳥の声も、どこか神秘的に感じる。


そして坂の先には――


古びた木造のバス停が静かに佇んでいた。


「本当にバス停があるんだね」


晴真は驚いたように言った。


晴臣が苦笑する。


「初めて来る人は、だいたいそう言うんだ」


「ここは裏佐倉へ向かう者たちの玄関口みたいな場所なんだ。昔からほとんど姿を変えていない」


晴真は改めてバス停を見つめる。


長い年月を感じさせる木の柱。


色あせた屋根。


どこか懐かしく、不思議な雰囲気が漂っていた。


その時、晴真はバス停に先客がいることに気づいた。


木造の待合所の前に、一組の家族が立っていた。



「あら」


女性がこちらに気づいて微笑む。


「美咲さん!」


千桜(ちさ)さん!」


二人は嬉しそうに手を振った。


「久しぶり!」


「本当に久しぶりねぇ!」


電話ではよく話しているものの、直接会うのは久しぶりだった。


一方、晴臣と道清(みちきよ)は顔を見合わせる。


「おう」


「来たか」


まるで昨日も会っていたかのような自然なやり取りだった。


二人は学生時代からの親友であり、現在も裏佐倉の仕事を通じて頻繁に顔を合わせている。


改まった挨拶など必要ない仲だった。


その横で、晴真は一人の少女に目を向けた。


黒髪の少女だった。


髪は肩くらいで揃えられていて、前髪の奥には優しそうな瞳がのぞいている。


姿勢もきちんとしていて、どこかおとなしい雰囲気だ。


派手ではないけれど、可愛らしくて礼儀正しそうな女の子だった。


少女もこちらを見ていた。


「あれ?」


晴真は首を傾げる。


どこかで見たことがある気がする。


すると少女が小さく笑った。


「覚えてない?」


「え?」


麻賀多凛まかた りんです」


そう言って丁寧に頭を下げる。


その仕草を見た瞬間、晴真の頭の片隅に幼い頃の記憶が蘇った。


「あっ!」


「もしかして凛ちゃん!?」


「うん」


凛は少し嬉しそうに頷いた。


「久しぶり」


「うわぁ! 全然分からなかった!」


「晴真くん、昔からそうだよね」


凛はくすりと笑う。


幼い頃、晴臣と道清が会う時には、家族ぐるみで顔を合わせることも多かった。


そのため二人は何度も会っている。


だが最後に会ったのはずいぶん前で、お互い幼かったこともあり、成長した姿ではすぐに分からなかった。


「ご、ごめん!」


「別にいいよ」


凛は優しく微笑んだ。


「改めてよろしくね」


そう言って手を差し出す。


晴真も笑顔でその手を握った。


「うん! よろしく!」



「おーい!」


元気な声が響く。


二人が振り返る。


坂を駆け上がってくる少年がいた。


木刀袋を背負い、元気いっぱいの笑顔を浮かべている。


「間に合ったぁ!」


立身刀也(たちみ とうや)だった。


「俺が一番乗りだと思ったのに!」


刀也は二人を見て目を丸くする。


「全然違ったな。もう二人もいるじゃん!」


刀也は豪快に笑った。


凛が少し苦笑する。


晴真もつられて笑った。


こうして、後に親友となる三人が、初めて同じ場所に集まった。


まだ誰も知らない。


この出会いが、未来の裏佐倉を大きく変えることになることを。



刀也が合流してしばらくすると、バス停の周囲も少しずつ賑やかになってきた。


保護者たちも集まり始めている。


その中でも、ひときわ目を引く老人がいた。


背筋は真っ直ぐ。


年齢を感じさせない鋭い眼差し。


白髪を後ろで束ね、和装に羽織をまとっている。


腰に刀こそ差していないが、ただ立っているだけで只者ではない雰囲気を放っていた。


「爺ちゃん!」


刀也が元気よく手を振る。


老人は眉をひそめた。


「刀也」


「ん?」


「落ち着け」


「え?」


「さっきから動き回りすぎだ」


「だって楽しみなんだもん!」


「だから落ち着けと言っとる」


刀斎(とうさい)は額を押さえた。


「立身家の人間なら、少しは堂々とせんか」


「えー」


「えーじゃない」


周囲から小さな笑いが漏れる。


そんな中、晴臣と道清が老人の前へ進み出た。


そして深々と頭を下げる。


「刀斎様」


「お久しぶりです」


だが刀斎は苦笑した。


「やめんか」


二人が顔を上げる。


「もう隠居の身だ。気を使うな」


刀斎は笑う。


「今はただの孫好きの爺さんじゃよ」


その言葉に周囲が少し和んだ。


刀也は胸を張る。


「そうそう!」


「誰のせいでそうなったと思っとる」


「俺?」


「お前だ」


即答だった。


刀也は首を傾げる。


周囲から再び笑いが起きた。


刀斎は呆れながらも、どこか嬉しそうだった。



そして、刀斎の視線が晴真へ向く。


「ほう」


晴真は思わず背筋を伸ばした。


刀斎はじっと晴真を見つめる。


まるで人を見る達人の目だった。


「桜晴真か」


「は、はい」


「なるほどな」


しばらく見つめた後、刀斎は穏やかに笑った。


「人を惹きつけるものがある」


「え?」


晴真は目を丸くする。


「不思議な子だ」


「そ、そうですか?」


「うむ」


刀斎は頷いた。


「周りに自然と人が集まる。それは才能じゃ」


金桜眼の話ではない。


陰陽術の才能でもない。


ただ、自分自身を見て言ってくれた言葉だった。


晴真の胸が少し熱くなる。


「ありがとうございます」


自然と笑顔になる。


刀斎も満足そうに頷いた。


「うむ」


その様子を見ていた晴臣も美咲も、少し嬉しそうだった。


そして刀斎の視線は凛へ移る。


「こちらは?」


「麻賀多凛です」


凛が丁寧に頭を下げる。


その所作に、刀斎は目を細めた。


「ほう」


しばらく見て、ふっと笑う。


「こりゃまた、将来が楽しみな子だな」


凛は少し照れた。


「ありがとうございます」


その後ろで、道清と千桜が嬉しそうな顔をしていた。


「もったいないお言葉です」


道清が頭を下げる。


「まだまだ未熟な娘ですが」


「いや」


刀斎は首を振る。


「人柄は隠せん。立派に育っとる」


道清の表情が少し緩んだ。


普段は無口な父親だが、娘を褒められるのはやはり嬉しいらしい。


千桜もにこにこしている。



そんな様子を見ていた晴真は、そっと父の袖を引いた。


「父さん」


「ん?」


「あの人、誰?」


小声で尋ねる。


晴臣は少し驚いた顔をした。


「ああ、そうか。知らないよな」


「立身刀斎様」


晴臣が静かに言う。


立身流一刀流宗家(たちみいっとうりゅう)だ」


「宗家!?」


晴真は思わず声が大きくなった。


「しっ」


「ご、ごめん」


晴臣は苦笑した。


「今は隠居されたがな」


「すごい人なの?」


「すごいなんてもんじゃない」


晴臣の隣で道清も頷く。


「裏佐倉で刀斎様を知らない者はいない」


「そんなに?」


「俺たちが学生の頃も、伝説みたいな存在だった」


晴真は驚いた。


だが、目の前の老人は、ただ優しそうな祖父にしか見えない。


刀也が元気いっぱいに話しかけている姿も、普通の孫と祖父だった。


「へぇ……」


晴真は少しだけ、刀斎を見る目が変わった。



その頃、少し離れた場所では、美咲と千桜が楽しそうに話していた。


「久しぶりねぇ」


「本当」


「凛ちゃん、大きくなったわね」


「晴真くんも」


二人は笑いながら、初めて会った日のことを思い出していた。


まだ晴真も凛も生まれる前。


ある春の日。


桜美咲は、夫の晴臣に連れられて初めて裏佐倉を訪れていた。


御堂家との関係がぎくしゃくしていた頃で、晴臣が美咲を裏佐倉の知人たちに少しずつ紹介していた時期だった。


「緊張しなくていいぞ」


「するわよ」


「みんな良い人だから」


「その言葉が一番信用できないんだけど」


そんなやり取りをしながら訪れたのが、麻賀多道清の家だった。


そこで出会ったのが、道清の妻――千桜だった。


「初めまして」


「初めまして」


二人は顔を見た瞬間、同時に首を傾げた。


「……あれ?」


「え?」


不思議だった。


初対面のはずなのに。


まるで昔から知っている人に再会したような感覚があった。


「どこかで会ったことあります?」


美咲が思わず尋ねる。


千桜も困ったように笑った。


「私も同じこと思ってました」


晴臣と道清は顔を見合わせる。


「知り合いだったか?」


「いや、初対面のはずだが」


結局、会ったことはなかった。


だが二人はすぐに打ち解けた。


好きな食べ物。


子供の頃の話。


家族の話。


気づけば初対面とは思えないほど話が弾んでいた。


「今度、表佐倉のお店を案内しますね」


「本当ですか?」


「美味しいお菓子屋さんがあるんですよ」


「ぜひ」


その日から交流が始まった。


晴臣と道清が親友だったこともあり、家族ぐるみの付き合いになっていく。


そして数年後。


美咲に晴真が生まれ。


千桜に凛が生まれた。


二人は抱いた我が子を見せ合いながら笑った。


「絶対仲良くなるわ、この子たち」


「私もそう思います」


その予感は当たることになる。


ヒヨドリ坂のバス停で再会した晴真と凛は、親たちが願った通り、大切な友人になっていくのだった。



その時。


ヒヨドリ坂に春風が吹き抜けた。


竹林が揺れる。


サラサラ。


サラサラ。


その音に混じって、どこからともなく鈴の音が聞こえた。


リン――。


リン――。


刀斎がふと顔を上げる。


晴臣も。


道清も。


そして陰陽眼を持つ子供たちも。


一斉に坂の上を見た。


「来るな」


刀斎が静かに呟く。


いよいよ。


裏佐倉へ向かう式神バスが現れようとしていた。

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