第百十九話 垣根の無い子供達
御堂家の修練場では、一年一組の生徒たちがそれぞれ大人たちのもとへ集まっていた。
先ほどまでの張り詰めた空気はすっかり消え、あちらこちらから楽しそうな話し声が聞こえている。
その修練場の傍ら
迅、隼人、綾女、茜、桔梗の忍び組の前には一人の男が立っていた。
迅の父――麻倉疾風である。
「いやぁ見事だった!」
疾風は満足そうに笑う。
「五人ともよく動けていたぞ」
「特に三人の周囲を一気に囲んだところ」
「ありゃ良かったな」
茜と桔梗が顔を見合わせる。
「ありがとうございます!」
綾女も静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
その時。
「疾風殿」
後ろから低い声がした。
振り返ると一人の男が歩いてくる。
青菅衆を率いる――青菅鷹人。
隼人の父である。
「おお鷹人殿!」
疾風は何のためらいもなく笑顔で手を上げた。
そしていきなり隼人の肩を叩く。
「いやぁ鷹人殿!」
「隼人君、素晴らしいですな!」
「……は?」
鷹人がわずかに眉を動かす。
疾風は構わず続ける。
「状況判断」
「的確な指示」
「それに戦術眼」
「どれを取っても素晴らしい!」
隼人は少し気まずそうに父を見る。
疾風はさらに笑った。
「ご長男の鷲人殿が優秀なのは有名ですが」
「まさか次男の隼人君までこれほど優秀とは」
「青菅衆は安泰ですな!」
「……恐縮です」
鷹人は小さく頭を下げた。
だが内心では少し困っていた。
鷹人は昔からこの疾風という男が苦手だった。
青菅衆と麻倉衆。
古くから何かと張り合い、犬猿の仲とまで言われる二つの忍び集団。
にもかかわらず、この男は何事もないように話しかけてくる。
しかも自分の息子をこれでもかというほど褒めてくる。
調子が狂う。
苦手だ。
だが不思議と嫌いではなかった。
鷹人は迅へ目を向ける。
「……ご子息の武術もなかなかのものでした」
「迅の?」
疾風は息子を見る。
迅が少し得意そうに胸を張った。
「まぁ武術はぼちぼちですな」
「ぼちぼち!?」
迅が振り返る。
疾風は腕を組む。
「だが忍びとしてはまだまだだ」
「先ほども隼人君の指示より早く動いたり、逆に遅れたりしていただろう」
迅の顔が引きつった。
「やっぱバレてた?」
「当たり前だろ」
「誰がお前の親父だと思ってんだ」
「うっ……」
隼人が横で小さく笑う。
「だから言っただろ」
「うるせぇ!」
「お前は一呼吸早いんだ」
「分かってるよ!」
いつものように言い合いを始める二人。
疾風は豪快に笑った。
鷹人もわずかに口元を緩める。
その時だった。
「随分と賑やかだな」
静かな声が響く。
瞬間。
疾風と鷹人の表情が変わった。
「これは――!」
二人が同時に姿勢を正す。
「宗時殿!」
歩いてきたのは根郷宗時。
綾女の父にして根郷衆の頭。
麻倉衆も青菅衆も、元を辿れば根郷衆から分かれて生まれた忍びの一派。
そして宗時は現在の裏佐倉における忍びの頂点とも言える人物だった。
疾風と鷹人が揃って頭を下げる。
「ご無沙汰しております」
宗時は軽く頷くと五人の子供たちを見た。
「話は聞いた」
五人の背筋が伸びる。
「豪斎様の救出」
「そして先ほどの三当主との立ち合い」
宗時の目が細くなる。
「見事だった」
迅たちの表情が明るくなる。
「忍びは一人で戦うものではない」
「仲間を見て己の役割を知り、必要な場所へ必要な時に動く」
宗時は隼人を見る。
「良い指揮だった」
「はい!」
続いて迅を見る。
「お前もその指示を信じて動いた」
「まだ粗いが悪くない」
「ありがとうございます!」
茜と桔梗にも目を向ける。
「二人の連携も見事だった」
「はい!」
最後に綾女。
宗時は娘の前へ立った。
綾女が少し緊張したように父を見上げる。
宗時は何も言わず、その頭を軽く撫でた。
「よくやった」
「……はい」
いつも寡黙な綾女の頬がほんのり赤くなる。
それでも口元には小さな笑みが浮かんでいた。
宗時はそれ以上何も言わず静かにその場を去っていく。
その背中を見送りながら疾風が笑った。
「綾女ちゃん」
「嬉しそうだな」
「……別に」
「顔、赤いぞ」
迅が言う。
「うるさい」
「痛っ!」
綾女の拳が迅の脇腹へ入った。
隼人たちが笑う。
⸻
一方。
修練場の別の場所では――
ガンッ!
木刀と木刀がぶつかる。
「刀也!」
「踏み込みが浅い!」
「はい!」
立身刀真の指導を受けながら、刀也が何度も木刀を振っていた。
その近くでは太一も刀斎から剣の指導を受けている。
豪太は槍。
紅葉と小夜は薙刀。
それぞれが先ほどの立ち合いで気づいた問題点を確認していた。
そこへ――
「随分と賑やかですね」
三人の大人が歩いてきた。
先頭にいる二人の男を見て豪太が目を丸くする。
そして刀也は――
「あっ!」
顔を輝かせた。
「伯父さん!」
やって来たのは岩富家当主――岩富槍玄。
そしてその弟――岩富槍流。
二人の後ろには刀也の母、立身巴もいる。
巴は槍玄と槍流の妹。
つまり二人は刀也にとって母方の伯父にあたる。
槍玄と槍流は刀斎の前まで来ると丁寧に頭を下げた。
「刀斎殿」
「ご無沙汰しております」
刀斎も笑顔で頷く。
「うむ」
「二人とも元気そうじゃな」
刀真も笑いながら歩み寄った。
「義兄上方」
「お久しぶりです」
「刀真殿も変わらぬな」
刀也も駆け寄る。
「伯父さんたち久しぶりです!」
槍玄が刀也の肩へ手を置いた。
「刀也」
「豪斎様の件、聞いたぞ」
「仲間たちとよく戦ったな」
「はい!」
「それに」
槍玄は刀也の木刀を見る。
「最近、小篠塚流剣術も学び始めたそうだな」
「はい!」
槍玄は嬉しそうに笑った。
「なら今度は岩富の槍も学んでみろ」
刀也の目が輝く。
「いいんですか!?」
「もちろんだ」
「はい!」
「お願いします!」
あまりにも即答だったため槍流が笑う。
「お前」
「前は『俺は刀だけでいい!』って言ってなかったか?」
「前はそう思ってましたけど」
刀也は木刀を肩へ担ぐ。
そして、にかっと笑った。
「俺、クシナダ様みたいに強くなりたいんで!」
「学べるものは全部学ぶつもりです!」
槍玄と槍流が顔を見合わせる。
「ほう」
「言うようになったな」
ところが。
「その前に」
刀也の肩がびくりと跳ねた。
巴が笑顔で立っていた。
「刀也」
「はい……」
「勉強もしっかりやりなさい」
「……はい」
「一学期の通知表」
「何ですか、あれは?」
「うっ!」
刀也が固まる。
太一と豪太が吹き出した。
「刀也」
「お前そんなに悪かったのか?」
「うるせぇ!」
「武術ばっかりやってたんじゃないの?」
「太一まで!」
巴はにっこり微笑む。
「二学期は期待していますからね」
「……はい」
その時。
「あ、あの……」
後ろから声がする。
巴が振り返る。
そこには紅葉と小夜が立っていた。
二人とも妙に緊張している。
「立身巴様」
紅葉が深々と頭を下げる。
「麻賀多紅葉と申します」
小夜も続く。
「木之子小夜です」
「初めまして」
「初めまして」
巴は優しく微笑んだ。
二人が緊張するのも無理はない。
薙刀を学ぶ者ならば、裏佐倉で立身巴の名を知らぬ者はほとんどいない。
立身家へ嫁ぐ以前から名を馳せた薙刀の達人。
紅葉と小夜にとっては憧れの人物だった。
巴は二人を見つめる。
「先ほどの立ち合い」
「見ていましたよ」
「えっ?」
二人の背筋が伸びる。
巴は微笑む。
「とても良い薙刀でした」
紅葉の目が輝く。
「本当ですか!?」
小夜も嬉しそうに巴を見る。
「ありがとうございます」
「ただし」
二人が再び緊張する。
巴は紅葉を見る。
「紅葉さんは攻める時、少し力が入りすぎます」
「薙刀は力だけで振るものではありません」
「間合いと体捌きをもっと意識すると、あなたの長所がさらに生きます」
「はい!」
今度は小夜。
「小夜さん」
「はい」
「あなたは相手を見る力が素晴らしいですね」
「攻撃を受けてから返す動きもとても丁寧です」
「ですが――」
巴は優しく続ける。
「受けることを考えすぎています」
小夜が目を見開く。
それはクシナダにも指摘されたことだった。
「相手の動きが分かるのなら」
「自分から間合いを支配することも覚えなさい」
「はい!」
巴は満足そうに頷く。
「ここでは時間が足りませんね」
「二人とも」
「今度、立身道場へいらっしゃい」
二人が固まる。
「え……?」
「よろしいのですか!?」
「もちろん」
「しっかり指導してあげます」
紅葉と小夜は同時に頭を下げた。
「お願いします!」
「よろしくお願いします!」
そして二人は顔を見合わせる。
ぎゅっと互いの手を握った。
「小夜さん!」
「うん!」
憧れの人物から直接指導を受けられる。
二人は隠しきれない笑顔で喜び合っていた。
巴はそんな二人を微笑ましそうに見つめる。
⸻
その少し離れたところでは。
「槍は腕だけで突くな」
槍流が槍を構えていた。
「足」
「腰」
「肩」
「全部の力を一本の穂先へ集める」
「おお……!」
豪太が目を輝かせる。
槍流が一歩踏み込む。
シュッ!
穂先が鋭く空気を貫いた。
「すげぇ!」
「もう一回お願いします!」
「ははは」
「いいぞ」
「何度でも見せてやる」
豪太は食い入るように槍流の動きを見つめる。
そこへ。
「豪太!」
聞き慣れた声がした。
「あっ!」
豪太が振り返る。
「父ちゃん!」
やって来たのは豪太の父――岩名豪大だった。
豪大は槍流の姿を見ると、すぐに深々と頭を下げる。
「槍流様」
「息子へご指導いただきありがとうございます」
「いやいや」
槍流は笑う。
「この子は筋がいい」
「何より槍が好きなのが伝わってくる」
豪大の顔がみるみる崩れていく。
岩名流槍術。
その源流は岩富流槍術にある。
岩富家は裏佐倉の槍術において宗家とも言える存在。
その岩富家の師範から息子が直接指導を受けている。
「うっ……」
豪大の目から涙がこぼれた。
「お、おい」
槍流が困る。
「泣くほどのことか?」
「ありがとうございます……!」
「本当にありがとうございます……!」
「父ちゃん!」
豪太が慌てる。
「泣くなよ!」
「だってよぉ……」
豪大は袖で涙を拭う。
「お前がこんな立派な人たちに教えてもらえるなんて……」
「父ちゃん嬉しくてよぉ……」
「もう!」
豪太は頭を掻く。
「ほんっと涙もろいなぁ!」
「お前が生まれた時も泣いたんだぞ!」
「それ今関係ねぇだろ!」
「初めて槍持った時も――」
「父ちゃん!」
どっと笑いが起きる。
刀也も太一も、紅葉も小夜も。
槍玄や槍流、刀真や巴まで笑っていた。
修練場のあちらこちらで。
親から子へ。
師から弟子へ。
そして流派を越えて技が伝えられていく。
かつては互いに競い、時には反目してきた一族や流派。
それでも子供たちはそんな垣根など気にすることなく、互いの技を学び、助け合い、強くなろうとしている。
その姿を見ながら、大人たちもまた少しずつ変わり始めていた。
裏佐倉の未来を担う子供たちは。
もう自分たちの流派だけを見てはいなかった。




