第百十三話 大龍王と仙童
御堂家の修練場
この日は朝から、いつも以上に多くの人が集まっていた。
一年一組の生徒たち
御堂家の者たち
そして――
学園長の御堂若陽
勝田正臣
神門玄
西御門紫苑
麻賀多影行
鏑木与乃
鏑木柔次郎
江原鈴花
学園の教師たちまで顔を揃えている。
さらに麻賀多道秀をはじめ、立身刀斎 立身刀真 神門玄の父 神門蓮雅 西御門家 麻賀多本家 岩富家 裏佐倉の重鎮たちも次々と姿を見せていた。
晴真の父桜晴真 西御門紫月 神門深月をはじめとする公安部の面々
「なんか今日すごいね」
晴真が周囲を見回す。
刀也も目を輝かせる。
「強そうな人ばっかじゃん!」
「そこしか見てないのかよ」
迅が呆れる。
だが――
今日はそれだけではなかった。
「おお 童たち!」
聞き覚えのある声が響く。
晴真たちが振り返る。
そこには土浮丸がいた。
そしてその隣には――
見覚えのない男が立っていた。
背はそれほど高くない。
ずんぐりむっくりとした体格。
丸い顔。
太い眉。
いかにも人の良さそうな笑みを浮かべた中年男だった。
豪太が目を見開く。
「まさか……」
男がにかっと笑う。
「おう!」
「俺だ!」
豪太の顔がぱっと明るくなる。
「豪斎様!」
「ブハハハハ!」
男――豪斎が腹を抱えて笑う。
「人の姿も悪くねぇだろ!」
「豪斎様 元気になったんですね!」
晴真も嬉しそうに駆け寄る。
「ああ!」
豪斎は大きく頷いた。
「お前らのおかげでこの通りよ!」
そして一年一組を見渡す。
「改めて礼を言うぜ」
「俺を助けてくれてありがとな!」
豪太が少し慌てる。
「豪斎様が俺なんて言っていいんですか!?」
「いいんだよ!」
豪斎が豪快に笑う。
「こっちの姿の時は俺で通してんだ!」
「そうなんだ……」
晴真が納得する。
土浮丸が隣でため息をついた。
「姿が変わると口まで軽くなるのぉ」
「爺さんに言われたくねぇよ!」
「誰が爺さんじゃ!」
「どう見ても爺さんだろ!」
「なんじゃと!」
一年一組から笑いが起こる。
その時――
「おーい!」
さらに賑やかな声が聞こえてきた。
「晴真ー!」
「あっ!」
晴真の顔が明るくなる。
「井野丸様!」
井野丸が笑いながらやって来る。
その隣には鬼童丸もいた。
「いやぁ今日も晴真君は元気そうで何より!」
鬼童丸が軽い調子で手を振る。
「どうもどうも!」
「裏佐倉一の美男子 鬼童丸でーす!」
沙羅が遠くから叫ぶ。
「誰も聞いてねぇよ!」
「沙羅さん酷くない!?」
鬼童丸が泣きそうな顔をする。
その足元では――
「キュイーン!」
小桜が嬉しそうに井野丸へ駆け寄っていた。
「おお!」
井野丸が顔を綻ばせる。
「小桜!」
小桜は井野丸の周りをくるくる回る。
「キュイーン!」
「元気そうじゃなぁ!」
井野丸がしゃがみ、小桜の頭を撫でる。
「少し大きくなったか?」
「キュイ!」
「そうかそうか!」
井野丸は本当に嬉しそうだった。
「晴真と一緒によう頑張っておるようじゃな」
「キュイーン!」
晴真も笑う。
「小桜 井野丸様に会えて嬉しいんだね」
「キュイ!」
その微笑ましい光景を皆が眺めていた――
その時だった。
ふっと。
修練場の空気が変わった。
誰かが声を掛けたわけではない。
霊力が爆発したわけでもない。
それでも――
自然と皆の視線が一方向へ向いた。
そこに。
一人の老人が立っていた。
長い白髪。
白い髭。
古びた着物。
手には一本の杖。
一見すれば、どこにでもいそうな老人だった。
だが――
誰もそうは思わなかった。
立っているだけ。
それだけなのに。
感じる。
只者ではない。
いや――
この場にいる誰よりも遥か昔から存在してきたような。
重く。
深い気配。
晴真も思わず姿勢を正した。
「誰だろう……」
道満も老人を見つめる。
「分からない」
凛が小さく呟く。
「でも……すごい方なのは分かります」
それは大人たちの反応を見れば明らかだった。
正臣。
玄。
紫苑。
道秀。
そして裏佐倉の重鎮たち。
皆が老人へ向き直り、礼節をもって頭を下げていく。
「お久しゅうございます」
「ご無沙汰しております」
ミヅチ。
チヨヒメ。
クシナダ。
土浮丸までも姿勢を正していた。
例外は――
若陽。
そして井野丸。
二人だけだった。
若陽はいつも通り穏やかに微笑む。
「よくお越しくださいました」
井野丸など片手を上げる。
「遅かったのぉ!」
老人が睨む。
「お主は相変わらず騒がしい」
「お主に言われたくないわ!」
一年一組がさらに混乱する。
「何者なんだ……」
刀也が小声で言う。
迅も頷く。
「学園長と井野丸様だけ態度が違うぞ」
そんな中。
老人の視線が晴真へ向いた。
「……」
晴真と目が合う。
老人の目が細くなる。
晴真の瞳をじっと見つめ――
小さく呟いた。
「龍姫の後継者だなぁ」
「え?」
晴真が首を傾げる。
その横で土浮丸が一歩前へ出た。
「香取様」
老人の眉がぴくりと動く。
土浮丸は頭を下げる。
「この度は豪斎を救ってもらいました」
老人が顔をしかめた。
「爺」
「その名前で呼ぶな」
「もう失った海じゃ」
「……すみません」
土浮丸がしゅんとする。
晴真が小さく手を上げた。
「あの……」
二人が振り向く。
「今の話って」
晴真は少し考える。
「印旛沼とかが大昔に内海って呼ばれてて すごく大きな海だったってお話ですか?」
「……」
老人。
土浮丸。
二人の目が丸くなる。
「其方……」
老人が晴真を見る。
「その話を知っておるのか?」
「はい!」
晴真は頷いた。
「表佐倉でも伝えられてます」
「印旛沼は昔 もっとずっと大きな海だったって」
「香取海って呼ばれてた大きな内海があったって」
土浮丸の顔がぱっと明るくなった。
「本当か!」
「はい」
「今でも昔の地形とか歴史を調べると出てきますよ」
土浮丸が嬉しそうに老人を見る。
「聞きましたか!」
「まだ覚えておる者がおるぞ!」
老人も驚いたように晴真を見ていた。
やがて――
穏やかに笑う。
「そうか」
「まだ残っておるか」
その声にはどこか懐かしさがあった。
「わしらはの」
老人がゆっくりと話し始める。
「かつて香取海の守護者だったのじゃ」
晴真が真剣に耳を傾ける。
「遥か昔」
「今の印旛沼も手賀沼も その周囲の低地も」
「大きな海の一部じゃった」
土浮丸も頷く。
「広い海じゃったぞ」
「わしらはその海を守りながら暮らしておった」
老人は遠くを見るような目をする。
「じゃが時とともに海は変わった」
「少しずつ水が引き」
「陸が増え」
「やがてわしらの知っていた海は失われていった」
声が少し寂しそうになる。
「そして表佐倉と裏佐倉が分かれる時」
「稚日霊命様に裏佐倉の守護者として拾われてのぉ」
土浮丸が笑う。
「今に至るというわけじゃ」
老人も晴真を見る。
「まさか今の世で わしらの海を知る者に会えるとは」
穏やかに笑った。
「なんと嬉しいことか」
道満がその会話を聞きながら、老人をじっと見つめていた。
香取海。
稚日霊命。
裏佐倉の守護者。
そして――
土浮丸が敬意を込めて接している存在。
道満の表情が変わる。
「もしや……」
老人を見る。
「印旛大龍王様ですか?」
「えっ!?」
晴真が老人を見る。
「龍姫様のお父様!?」
老人は一瞬だけ目を細める。
そして――
堂々と頷いた。
「いかにも」
その瞬間。
空気が変わった。
「我こそは印旛大龍王」
杖を静かに地面へつく。
「香取海彦命じゃ」
「……!」
若陽の表情が変わる。
井野丸も目を見開いた。
ミヅチ。
チヨヒメ。
クシナダ。
土浮丸。
皆が驚いている。
晴真はきょとんとしていた。
「香取海彦命……」
若陽が珍しく声を漏らす。
「その御名を名乗られるとは……」
井野丸も老人を見る。
「何百年ぶりじゃ?」
「知らぬ」
印旛大龍王――香取海彦命は晴真を見る。
その瞳に。
どこか懐かしいものを見るような色が浮かんでいた。
「我が娘と同じ瞳を持ち」
「我が海を知る者よ」
晴真が自然と背筋を伸ばす。
「其方」
「名を何と申す」
「はい!」
晴真は答える。
「桜 晴真です!」
香取海彦命はその名を口の中で転がす。
「晴真……」
やがて笑った。
「良い名じゃ」
そして――
皆が驚く言葉を口にする。
「晴真」
「其方に我が名を呼ぶことを許す」
「え?」
晴真が目を丸くする。
「香取海彦命と――」
老人は笑った。
「そう呼ぶがよい」
晴真は嬉しそうに頭を下げた。
「はい!」
「ありがとうございます 香取様!」
「……」
修練場が静まり返った。
若陽。
井野丸。
土浮丸。
ミヅチ。
チヨヒメ。
クシナダ。
全員が晴真を見ている。
晴真は首を傾げた。
「?」
銀花も目を丸くしていた。
桜花が肩の上で小声で言う。
「晴真様……」
「なに?」
「またやっちゃいましたね」
「え?」
晴真が周囲を見る。
「僕 またやっちゃったの?」
銀花はすぐ笑顔になる。
「流石晴真様です!」
「大龍王様に認められるなんて素晴らしいです!」
「ええ!?」
晴真だけ状況を理解していない。
だが――
それも無理はない。
印旛大龍王を香取海彦命という名で呼ぶことを許されている者は、ほとんどいない。
稚日霊命。
稚産霊命。
その直接の眷属である若陽や井野丸。
そして遥かな昔からの友である土浮丸。
それだけだった。
真の名を呼ぶ許し。
それは――
友として認めた証。
同時に。
己の守護下へ迎え入れるという宣言でもある。
晴真へ手を出すことは――
印旛大龍王へ手を出すことと同じ。
そんな重い意味があった。
とうの晴真は、まったく気づいていなかった。
「なんでみんなそんな顔してるの?」
「キュイ?」
小桜まで首を傾げる。
香取海彦命はそんな晴真を見て、楽しそうに笑った。
その時――
晴真の肩にいる桜花へ気づく。
「ほう」
「霊童か」
「はい!」
桜花が元気よく頭を下げる。
「桜花と申します!」
「そうか」
香取海彦命は少し考える。
そして懐から一枚の札を取り出した。
「ならば――」
晴真へ差し出す。
「これを其方にやろう」
「えぇ?」
晴真は驚きながら両手で受け取る。
「ありがとうございます!」
その瞬間――
札が強く光った。
パァァァァッ!
「わっ!」
光が晴真の目の前へ集まる。
そして――
一人の少女が姿を現した。
桜花より少し背が高い。
幼い少女の姿。
整った長い髪。
そして小さな眼鏡。
少女は静かに地面へ降り立った。
「……」
明らかに機嫌が悪そうだった。
眼鏡をくいっと上げる。
「大龍王様」
「なんじゃ」
「何の御用ですか?」
「其方にまた面倒を見てもらいたい者がおってな」
少女の眉がぴくりと動く。
「私は以前申し上げましたよね」
深いため息。
「龍姫様以外はもう御免だと……」
「まあそう言うな」
「はぁ……」
少女は諦めたように息を吐く。
「それで」
「どなたですか その者は」
香取海彦命が晴真を指差した。
「そこにおる晴真じゃ」
「……」
少女が振り向く。
晴真を見る。
頭から足元まで。
じぃっと。
まるで品定めするように。
晴真は少し緊張しながらも――
にこっと笑った。
「よろしくお願いします」
その瞬間。
少女の表情が止まる。
晴真の笑顔。
そして――
瞳の奥に宿る金色の桜。
「……」
眼鏡の奥の目がわずかに見開かれる。
その瞳に浮かんだのは――
懐かしさ。
少女はしばらく晴真を見つめた。
そして香取海彦命へ向き直る。
「大龍王様」
「なんじゃ」
「承りました」
ミヅチたちの顔が一斉に引きつる。
「げっ」
「む……」
「……」
沙羅が三人を見る。
「なんだよお前ら」
ミヅチが顔を逸らす。
「いやぁ……」
「妾たちはあやつが苦手でのぉ」
「なんで?」
「昔からの知り合いなのじゃ」
クシナダが苦い顔をする。
「龍姫様とわしら四人で よう説教を喰らった」
「神の眷属が式神に説教されてたのかよ」
沙羅が笑う。
「笑い事ではないぞ!」
ミヅチがむくれる。
その時――
少女が三人をきっと睨んだ。
「ミヅチ様」
「はい」
「チヨヒメ様」
「はい……」
「クシナダ様」
「……なんじゃ」
眼鏡の奥の瞳が鋭くなる。
「龍姫様の時のように」
「余計な悪さを教えないでくださいね」
三人が揃って顔を逸らした。
「わ わらわは何も……」
「妾もじゃ」
「わしも知らぬ」
「信用しておりません」
「「「酷い!」」」
周囲から笑いが起こる。
しかし――
少女は別の者たちを見ると、表情を一変させた。
優しい笑顔。
「珠代様」
「銀花様」
「一葉様 二葉様 三葉様」
深く頭を下げる。
「お懐かしゅうございます」
そして――
ミヅチたちをちらり。
「日々御三方のお世話 お察しいたします」
「ちょっと待つのじゃ!」
チヨヒメが頬を膨らませる。
「妾は面倒などかけておらぬわ!」
「わしもじゃ!」
ミヅチも不貞腐れる。
クシナダも腕を組む。
「わしまで一緒にするでない」
少女は完全に聞き流した。
香取海彦命が愉快そうに笑う。
「ほっほっほ!」
そして晴真を見る。
「この者は春花」
少女が一礼する。
「仙童の春花と申します」
晴真が首を傾げる。
「仙童?」
「そうじゃ」
香取海彦命が説明する。
「仙童とは霊童が長い年月をかけて成長し」
「さらに力と知識を蓄えた末に生まれ変わる式神じゃ」
晴真が桜花を見る。
「じゃあ桜花もいつか?」
「可能性はある」
「わぁ!」
桜花の目が輝く。
「私も春花様みたいになれるんですか!?」
春花が桜花を見る。
「日々きちんと学び修練を重ねれば」
「いずれは」
「頑張ります!」
桜花が拳を握る。
香取海彦命は続ける。
「春花にはわしの知識も多く教授してある」
「陰陽術」
「式神」
「神々」
「裏佐倉の歴史」
「多くのことを知っておる」
春花が眼鏡を直す。
「晴真様を正しく導かせていただきます」
「よろしくお願いします!」
晴真が頭を下げる。
香取海彦命は穏やかに笑った。
「これは豪斎を救ってくれた礼じゃ」
そして――
声を少し強める。
「同時に」
「晴真がわしの守護下にあるという証でもある」
その言葉に大人たちの表情が再び変わった。
晴真は素直に頭を下げる。
「ありがとうございます 香取様!」
「うむ」
春花が晴真の前へ出る。
「晴真様」
「はい!」
眼鏡をくいっと上げる。
「私が責任を持って」
「立派に導かせていただきます」
「……はい」
笑顔。
なのに――
眼鏡の奥の目が少し怖い。
晴真はなんとなく背筋を伸ばした。
肩の上で桜花がくすっと笑う。
「晴真様」
「またやっちゃいましたね」
「桜花まで……」
その瞬間――
春花が桜花を見る。
「桜花」
「はい?」
眼鏡の奥の瞳が光る。
「あなたもですよ」
「え?」
「晴真様と一緒に」
「一からきちんと学んでいただきます」
「…………」
晴真と桜花が顔を見合わせる。
「晴真様……」
「うん……」
二人は同時に苦笑した。
「大変そうだね」
「はい……」
その様子を見て――
香取海彦命は豪快に笑う。
ミヅチたち三人だけは。
遠い昔を思い出したように――
揃って顔を引きつらせていた。
神門玄の父が神門紫玄となっていましたが
誤りで神門蓮雅が正しいです。
訂正いたしました。




