五歳の社交場と、傲慢な神童
光陰矢の如し。
一〇二歳で世を去った私が、銀髪の幼女ギルティナとして生を受けてから、早くも五年の歳月が流れた。
五歳。
それはこの国の貴族階級において、一つの節目とされる年齢だ。魔力の適性が現れ始め、子供たちが初めて公の社交場へと引きずり出される、いわば『お披露目』の儀式。エリスフォード家の邸宅では、連日、私の五歳の誕生日を祝うという名目の夜会が開催されていた。
「ギルティナ、姿勢が崩れているわよ。背筋を伸ばして、常に微笑みを絶やさないこと」
母様の厳しい言葉が飛ぶ。
私は心の中で(前世では泥をすすって戦場を駆けていたのに、今やシルクのドレスに身を包んで背筋の角度を気にしているなんてね)と苦笑しながらも、完璧な淑女の笑顔を作ってみせた。
精神は一歳を過ぎたあたりで完全に『私』という少女の器に馴染んでいる。かつての荒々しい口調や思考は、この透き通るような銀髪と蒼い瞳、そして細い四肢に見合うように、洗練された女性のものへと昇華された。もちろん、内側に秘めた『剣聖』の魂が錆びつくことなど万に一つもない。
会場には、色とりどりのドレスや礼服に身を包んだ貴族たちが溢れていた。
その中で、私は一人の少女を見つけた。
「あら、ギルティナ」
「ごきげんよう、フィオナ」
一歳のあの日、龍の消失を唯一その目に焼き付けた幼馴染、フィオナ・セレスティアだ。
彼女もまた、この五年間で驚くべき成長を遂げていた。セレスティア家特有の魔力資質が開花したのか、彼女の周囲には常に微かな魔力の揺らぎが漂っている。彼女は私を見るたびに、あの日の出来事を問い詰めたいような、それでいて畏怖しているような、複雑な視線を向けてくる。
「今日のあなたは、一段と『猫を被って』いるわね」
「人聞きの悪いことを言わないで。私はいつだって、淑女として振る舞っているわ」
私たちが小さな火花を散らしていると、不快な笑い声が割って入ってきた。
「ほう、これが噂のエリスフォード家の『人形』か。確かに顔だけは整っているようだが、どうやら魔力の気配が微塵も感じられないな」
声の主は、十歳ほどの少年だった。
煌びやかな装飾が施された法衣を纏い、手には高価そうな魔導杖を握っている。ローゼンブルク王国の重臣、カイル・ヴォルフガング伯爵の長男、ゼノスだ。
十歳にして既に中級魔法を使いこなすと噂される『魔法の神童』。
だが、その瞳には自分より弱い者を見下す傲慢さが醜く渦巻いていた。
「……ゼノス様、でしたかしら。初対面のレディに対して人形とは、随分と野蛮な教育を受けられたのですね」
私は扇子で口元を隠しながら、冷ややかに言い放った。
会場の空気が一瞬で凍りつく。周囲の大人たちが、ひそひそと囁き始める。
「なっ……貴様、誰に向かって口を利いている! 私は次の魔導騎士団長を約束された天才だぞ! 魔力の欠片も感じられない、ただの着せ替え人形が!」
「魔力が感じられないのではなく、貴方にそれを感知する『能力』が備わっていないだけでは? 井の中の蛙ほど、空の広さを語りたがるものですね」
私の挑発は、ゼノスの沸点を易々と越えた。
彼は顔を真っ赤にし、杖を突きつけて叫んだ。
「そこまで言うなら、模擬戦だ! どちらが真に優れた血を引いているか、ここで白黒つけてやる!」
■
社交場の中庭、魔導障壁が張られた訓練場に、多くの貴族たちが集まった。
五歳の少女と、十歳の神童。
体格差も魔力経験も圧倒的なこの対決を、人々はハラハラしながら見守っている。
「ギルティナ、無理はしなくていいのよ」
母様の心配そうな声を背に受けながら、私はドレスの裾を軽く持ち上げ、優雅に一礼した。
武器は持たない。必要ないからだ。
対するゼノスは、勝ち誇った顔で呪文を紡ぎ始める。
「後悔させてやる! ファイアボール!」
彼が放った火球は、以前見た警備兵のものよりはマシだった。圧縮率も高く、速度もある。
だが、私からすれば止まって見える。
私は一歩も動かず、首を僅かに傾けるだけでそれを回避した。
「……何ッ!?」
「その程度ですか? 魔力の無駄遣いはおやめなさい。お肌が荒れてしまいますわよ」
「黙れ! ライトニング! ウィンドエッジ!」
次々と放たれる魔法。
私はそれらを、紙一重の回避でかわし続ける。
時に流れるような歩法で、時に風の抵抗を味方につけた身のこなしで。
これは『様子見』だ。この時代の魔法使いが、どれほどの『底力』を持っているのか。
(……やはり、浅いわね。術式に頼りすぎるあまり、魔力の流れが硬直している。敵の動きを予測する想像力も足りない。これでは、ただの射的屋の屋台と同じよ)
五分ほど経っただろうか。
ゼノスの呼吸が荒くなり、魔力の制御が乱れ始めた。
「なぜ……なぜ当たらない! 逃げ回るだけか、卑怯者!」
(……さて。そろそろ、社交を盛り上げるための『幕引き』が必要かしらね)
私は初めて、自分から一歩前へ踏み出した。
その瞬間、ゼノスの目に映る私の姿が、一人の幼女から『死神』へと変貌したはずだ。
私は魔力を練り上げる。詠唱など必要ない。千年前の私がそうであったように、魔力は私の四肢の一部であり、意志そのものなのだから。
「これで終わりだ! エクスプロージョン!」
ゼノスが自暴自棄に放った広範囲破壊魔法。
会場を飲み込まんとする炎の嵐が、私の眼前に迫る。
だが、私は冷静にその火線の隙間を見極め、指先で空間をなぞった。
≪マザン・イチノカタ≫
頭の中でそう唱えた瞬間、私の指先に集束された不可視の魔力刃が、巨大な炎を紙細工のように切り裂いた。
爆発の衝撃は霧散し、左右に分かれた炎が虚空で消える。
「……な、なにが……」
驚愕で硬直するゼノスの懐に、私は瞬時に潜り込んだ。
子供の脚力ではない。魔力による『身体強化』を細胞レベルで施した、神速の踏み込み。
私は彼の喉元に、そっと指先を突きつけた。
もしこれが本物の剣なら、彼の首は既に飛んでいただろう。
「……チェックメイト、ですわね」
静寂が、中庭を支配した。
数秒の後、誰かが上げた感嘆の声を皮切りに、雷鳴のような拍手が沸き起こった。
「素晴らしい! あの魔法をあんな風に防ぐとは!」
「五歳で無詠唱の魔力操作だと!? 伝説の再来か!」
貴族たちは、私という『宝石』の発見に熱狂した。
敗北したゼノスは膝をつき、茫然自失の態で私を見上げている。
私は冷たくなった指先をドレスの中に隠し、何事もなかったかのように微笑んだ。
「ゼノス様、良い運動になりましたわ。貴方の魔法、とても『賑やか』で素敵でした」
それは、勝者による残酷なまでの慈悲。
彼は顔を青くして俯くことしかできなかった。
フィオナが駆け寄ってきて、私の耳元で囁く。
「……あんた、やっぱり一歳の時から何も変わってないわね。化け物」
「あら、お褒めの言葉として受け取っておくわ」
社交場は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
エリスフォード家のギルティナ。
その名が、単なる愛らしい幼女としてではなく、底知れぬ才を持った『神子』として、国中に知れ渡るのに時間はかからなかった。
私は母様の方を向き、ドレスの裾を優雅に広げてお辞儀をした。
「お母様、お腹が空きましたわ。お祝いのケーキをいただいてもよろしいかしら?」
最強の剣聖、五歳。
私の第二の人生の社交は、これ以上ないほど鮮やかな『勝利』で幕を開けたのだ。
そして私の心の中では、次に斬るべき獲物――この広い世界にあるはずの、まだ見ぬ強敵への期待が、静かに、けれど熱く燃え上がっていた。




