不調な令嬢
昨夜の嫌な予感は、思わぬ形で現実となった。
深い眠りの底、意識が真っ白な空間に浮かび上がった時、そこには一人の青髪の女が立っていた。
かつて私に転生を押し付けた、あの女神だ。
「またあんた? 夢にまで出てくるなんて、よっぽど私に執着してるのね」
私は夢の中でも不遜に笑って見せた。
だが、女神の表情には慈悲も余裕もなかった。ただ、冷徹なまでの拒絶がその瞳に宿っている。
『ギルティナ・エリスフォード。……いいえ、名もなき剣聖よ。今すぐ剣を持つことをやめなさい』
「はあ? 何を言い出すかと思えば。私が剣をやめる? 冗談はやめてもちょうだい」
『これは警告ではない。宣告です。……諦めなさい。あなたが剣を振るえば振るうほど、この世界の理は歪み、あなたは破滅へと近づく。大人しく、与えられたハズレとしての人生を受け入れ、静かに余生を過ごしなさい』
女神の言葉は、頭の中に直接突き刺さるような重圧を伴っていた。
けれど、私は一歩も引かない。一〇二年の人生、そして今の十五歳の自由。その全ては私の剣と共にあったのだから。
「断るわ。当たり前じゃない。自由に生きるって決めたけど、私にとって剣は道具じゃないの。私そのものよ。それを捨てろだなんて、死ねって言ってるのと同じよ!」
女神の眉が、ピクリと跳ねた。静かだった空間に、激しい怒りの波動が吹き荒れる。
『……愚かな。神の温情を無下にするというのですね。ならば、好きにするがいいわ』
女神の姿が、霧のように霞んでいく。最後に残されたのは、氷のように冷たい声だった。
『後悔しても知らないわよ。……あなたの最強が、いつまで続くかしらね』
「待ちなさいよ!」
叫んだ瞬間、視界が弾けた。
■
「……はぁ、はぁっ……」
気がつくと、私は寮のベッドの上で飛び起きていた。
全身に嫌な汗をかいている。窓の外は、まだ明け方の薄暗い紫色の空が広がっていた。
なんなのよ、あいつ。わざわざ夢にまで出てきて不吉なことを。
心臓の鼓動が異様に速い。
何事もない。身体に傷があるわけでも、魔力が消えたわけでもない。
けれど、何かが決定的に変わってしまったような、言いようのない不快感が胸の奥にこびりついて離れなかった。
■
その日のギルティナは、いつになく静かだった。
いつもなら朝からフィオナと軽口を叩き合い、屋台の香りに目を輝かせているはずの彼女が、一言も発さずに廊下を歩いている。
「……ちょっと、ギルティナ。あんた本当に大丈夫? 顔色が真っ青よ」
心配そうに顔を覗き込んでくるフィオナに、私は力なく笑ってみせた。
「……大丈夫よ。ちょっと、変な夢を見ただけ」
「そう? それならいいけど……」
教室に入っても、私の沈黙は続いた。
そんな私を見て、昨日まで私の規格外な行動に怯えていたクラスメイトたちが、ヒソヒソと陰口を叩き始める。
「見てろよ、あのエリスフォード。急に大人しくなりやがって」
「昨日の筆記でゼロ点取って、ようやく自分の立場をわきまえたんじゃないか?」
「結局、実技がまぐれだったって気づいたんだろ。ハズレ剣士はハズレらしく、隅っこで震えてればいいんだよ」
普段の私なら、誰がハズレですって? と笑い飛ばしていただろう。
けれど、今の私にはそんな気力も湧かなかった。女神の『後悔しても知らない』という言葉が、呪いのように耳の奥で反響し続けていた。
■
午後の実技授業。
演習場に集まった生徒たちの前で、シルビア先生が木剣を配っていく。
「今日は対人戦だ。各々、適当な相手を見つけて組みなさい。ただし、一昨日のように装置を壊すような真似は厳禁だぞ」
先生の視線が私に向けられたが、私はただ無言で木剣を受け取った。
「おい、エリスフォード! 俺が相手になってやるよ!」
名乗りを上げたのは、魔法科の男子生徒だった。
昨日、私がオートマタを破壊したのを見て、一番悔しそうにしていた取り巻きの一人だ。
「……いいわよ。お願い」
私はいつもの細剣ではなく、貸与された木剣を構えた。
構えに隙はない。はずだった。
対峙した瞬間、奇妙な感覚に襲われた。
あれ? 重い……?
手の中にあるはずの木剣が、まるで鉄の塊のように重く感じる。
それだけではない。足元がおぼつかない。重心の取り方が分からなくなるような、三半規管が狂ったかのような目眩。
「いくぞ! ファイア・バレット!」
相手が放った初級魔法。
普段の私なら、瞬きする間に切り裂くか、微動だにせず回避できる程度のものだ。
「……っ!?」
身体が動かない。
脳が動けと命令を出しているのに、筋肉がそれに反発するように硬直する。
私は辛うじて木剣で防ごうとしたが、軌道がわずかにズレた。
ボッ!
「あぐっ……!」
炎の弾が私の肩をかすめ、衝撃でたたらを踏む。
「ははっ! なんだよ、今の鈍臭い動きは!」
「やっぱり一昨日のあれは、何かの間違いだったんだ!」
周囲から嘲笑が上がる。
私は歯を食いしばり、もう一度構え直した。
今度はこっちから行く。
足に魔力を集中させ、アクセル・ステップ――。
出ない!?
魔力が練れない。
体内のマナが、まるでヘドロのように重く、巡りを拒否している。
踏み込みは甘く、私はただ突っ込むだけの無様な姿を晒した。
「そらよっと!」
相手のカウンター気味の回し蹴りが、私の腹部にめり込む。
「カハッ……!」
地面を転がり、土埃にまみれる。
視界が揺れる。
見下ろしてくるクラスメイトたちの嘲笑。シルビア先生の、怪訝そうな、あるいは失望したような眼差し。
「ギルティナ!」
フィオナが駆け寄ろうとするが、審判役の生徒に制止される。
「……嘘でしょ。私が、こんな相手に……?」
私は震える手で地面を掴んだ。
身体が自分のものじゃないみたいだ。
剣の振り方、魔力の回し方。一〇二年間、魂に刻み込んできたはずの感覚が、砂の城が崩れるように指の間からこぼれ落ちていく。
女神の言った通りだ。『あなたの最強が、いつまで続くかしらね』この言葉、嘘ではないわね。
これは、神が仕掛けた悪意ある呪いか。
それとも、私が理に抗った代償なのか。
「……く、そっ……」
私は泥まみれのまま、立ち上がることができなかった。
段々と、世界が私を拒絶し始めている。
誇りも、技術も、その全てが手の届かない場所へと遠ざかっていく。
ハズレ枠の剣士。
その本当の意味が、今、牙を剥いて私に襲いかかっていた。
陽光が照らす演習場で、私一人だけが、底の見えない暗闇へと引きずり込まれていくような、そんな絶望的な予感が全身を支配していた。
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