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「お、おい……おっさん!!」


「…くそっ」


『最新の電子機器もいいですが、やはり信じられるのは何十年経っても問題なく動作する我が国の工芸品だ。このルガーP08だけはどうしても手放せなくてね』


その拳銃は人を殺す道具にも関わらず、見たものに品位を感じさせる見た目をしていた。そこから放たれた弾丸は菊次郎の体内の血管を引き裂きながら腹部を貫き、大量の出血をもたらした。


菊次郎も警戒していたはずだか、まさかここまで直接的な暴力に訴えってくるとは思わず、被弾してしまった。


火を押し付けられたかのように熱を帯びてきた傷口とは対照的に、頭は妙に冷えてくる。


内臓を貫通している。こうなっては自分も助からないし、桃も助けられない。せめて蘭丸だけでもなんとか逃がさねば。


ハイドリッヒがまだ拳銃をこちらに向けていることなんか忘れてこちらに駆け寄ってきた蘭丸を強引に自分の背後に来るよう引っ張った。


拳銃には詳しくないが、射線上に自分がいる限り、ひとまず自分の後ろにいる蘭丸が死ぬことはないだろう。

激痛をこらえながら立ち上がり、ハインリッヒから眼を離さず、背後の蘭丸に向けて声を絞り出した。


「いいかよく聞け…このまま振り返らず【Indiana】に、あの喫茶店まで行くんだ。この時間ならまだ大丈夫だ」


「そ、そんな…俺だけ逃げるなんて、できるわけないだろ!」


「お前に何ができる…、はぁ、はぁ、もう時間はない」


『待ちなさい、そんなこと私が許すとでも』


『お前さんの…許可が必要か?』


『くっくっく、確かにそうですがね、人の話は最後まで聞くものですよ。ランマル君、彼を助ける方法を教えてあげましょうか?』


ハイドリッヒはそう言うと、手元にあった“猿の手”を乱雑に菊次郎と蘭丸の前に放り投げた。


「「!」」


『それに叶えてもらえばいいのです。どういう叶い方をするかは知りませんが、少なくとも助かるのは私自身の身体で証明済みです』


「聞くな、はぁ、やつの口車だ」


たとえ蘭丸がハインリッヒの言う通り に“猿の手”を使おうとも、ハイドリッヒがすべての事情を知った俺たちをそのまま帰すわけがないと、菊次郎は考える。だが今の菊次郎にはそれを蘭丸に伝えて納得させる時間がない。


『くっくっく、だとしてもこの選択肢しかないのですよ、蘭丸くん。』


「くそっ」


本堂を照らす妖炎が頬を燻ぶっているのに、蘭丸の背中流れる汗はやけに冷たい。


蘭丸は示された二つの選択肢を前にして立ち尽くすしすしかなかった。


そうしている間にも、菊次郎の腹から溢れた血は、ポタポタと音を立てながら床に大きく広がり始めている。


もう時間はない。


ハイドリッヒの言う通り、“猿の手”を使って菊次郎を治すのか。そうすれば、 菊次郎も桃も助かる可能性がある。だが “猿の手”を使った自分はどうなるかわからないし、ハイドリッヒが“聖なる盃”で叶えようとしている真なる願いなどロクなもんじゃない。


では菊次郎の言う通り、このまま自分だけこの場から逃げ出すのか。そうすれば、少なくとも自分だけは助かる。だが、菊次郎と桃は助けられないし、ハイドリッヒは今後も、この先、何十年も何百年も若い女性を犠牲にして生き続けるだろう。


どちらを選んでも、待ち受けるのは絶望的な運命。そして笑うのはハイドリッヒのみ。


「どちらかを選ばなければならない」と、心の中で繰り返す声が響く。


しかし、蘭丸はその声に逆らうように、冷静に周囲を見渡した。何かが違う、何かが見落とされている気がした。


自分がどちらかを選ばなくては…本当に?


「…そうか、そうだよな」


「ま、待て!」


蘭丸は静止する菊次郎を振り切り、“猿の手”を拾い上げる。


『そうです、そうですよランマル君。そのまま “猿の手” に願うのです!』


蘭丸の目の前には、野望の成就を確信し勝ち誇った顔のハイドリッヒ。


振り返ると、敗北を悟り膝をつき険しい顔の菊次郎。


その顔を見て、蘭丸は口角を上げた。


「なんて顔してるんだよ、おっさん。あのニヤついた顔面にパンチ、だろ?」


「!」


蘭丸は “猿の手” を握り、目を瞑る。ハイドリッヒに教わることなく、これの使い方は最初に手に持ったときから分かっている。


「三つ目の願いは…目の前のアイツを墓場に送り返せ!!」


『なっっ!き、貴様ぁ!ぐあああああああっ』


「「!」」


ハイドリッヒは耳を塞ぎたくなるような叫び声をあげると、乾き切った泥人形のようにボロボロとて手足の先から崩れ始めた。


持つ指を無くして拳銃を落とし、さらに脚が崩れ始めたハイドリッヒは無様に這いつくばるしかなくなった。


その光景はあまりグロテスクで壮絶なものだったが、ストライカーたる蘭丸は怯むことなくハイドリッヒに向けて駆け出し、拳銃を蹴飛ばし、同時に “聖なる杯”を奪う。


すぐさま引き返すと、境内の淵で池の水を “聖なる杯”で汲んで、自らの血だまりに崩れていた菊次郎を抱き起した。


「ほら、おっさん、これ飲んで」


「んぐっ、んっ、…ぐぅ!!」


「おい、だ、大丈夫かよ」


“聖なる杯” に満ちた水を飲んだ後、苦しみだした菊次郎の様子に蘭丸は狼狽えてしまう。菊次郎の血まみれのシャツをめくると、腹部に1cmほどあった痛ましい銃創が見る見るうちに塞がっていった。


「す、すげぇ…」


「はぁ、はぁ、おい、ちょっと…肩を貸してくれ」


「えっ、あ、うん」


声を掛けられて我に返った蘭丸は、菊次郎をハイドリッヒの近くまで連れて行く。


菊次郎は転がっていた拳銃を痛みをこらえながら拾うとハイドリッヒの頭に向けた。


『…あんた、調子乗ってしゃべりすぎたな。…そして、それ以上に少年に一本取られたな』


『まったくです、お見事ですよランマル君』


もはや両肘、両膝まで崩れ落ちているにも関わらず、穏やかな口調で話すハイドリッヒ。


『桃の居場所を話せ、そうしたら楽にしてやる』


『お気遣いはけっこう、実は痛みは最初だけでした。それよりも残された時間でももう少しお話しましょうか。彼女はここの二階で眠ってもらってますよ』


『呆れたやつだな』


『ハイドリッヒ先生…』


『くっくっく、私をまだそう呼びますか。さて…、私の80年以上続いた奇妙な旅路もこれで終わりですか…』


『勝手に美化するなこの下種野郎、何人もの女の人を無残に殺しておいて…、そこまでして、あんたは何がしたかったんだよ』


『君はドイツ語になると本当に口が悪くなりますね。いやなに、私の願いなんて些細なものでしたよ、過去に…戻って、戦闘機のパイロットとしてあの戦争を戦う。ただそれだけですよ』


レーダーとミサイルとAIが支配する現代の空では失われたロマン。それが存在したのは1930年代、40年代のごくわずかな期間のみ。それを叶えるためにはあの時代に戻るしかなかった。


『そんな、そんなことのために…』


『その若さゆえの無知が羨ましいですよ。どうです?あなたもそう思いませんか?』


『…ノーコメント。そんなことよりもどうして、こいつを選んだんだ?いや、どうしてこの時代になって行動を起こした?』


『別になんともない理由ですよ。何十年ぶりに母国語で会話したので、故郷が恋しくなって、戻りたくなった…、そんなものですよ。たまたまですよ、たまたま』


『たまたま、ね』


『何か特別な理由があるとでも思いましたか?くっくっくっ、…ぐふっ!ごっ!』


まだ身体の崩壊は手足の付け根までだが、先に臓腑にダメージを受けたのか、もはや満足に言葉を紡げなくなったようだ。


『はぁ…、はぁ、、ですが、ランマル君の機転に、…敬意を表して、一点だけ…、教えておきましょう。あの日、…私の手元に“猿の手”がやってきた80年前には既に一度使われていた』


『!』


『くっくっくっ、ごふっ!がっ、…ふーっ、誰がどんな願い事を叶えたんでしょうね?まぁ私と同じでロクでもないことでしょうが…


…ではランマル君、お達者で』


そう言い残して、ラインハルト・ハイドリッヒはこと切れた。そしてその数秒後には胴体も頭部も崩れ落ち、泥だけが残された。


「ふぅ、満足そうな顔で逝きやがって。まったく…なんだか勝てた気がしないな」


「…」


固まって口を開こうとしない蘭丸。短い期間とはいえ、親交のあった人物が目の前で崩れ去るのは少々ショッキングであったか。そもそも中学生の蘭丸にとって、どんな形であれ人が死ぬ瞬間を見ること自体が初めてであった。


「…おい、少年。気にするなよ。ちんけな性犯罪者が惨めったらしく死んだだけさ」


「…そうだね。桃を迎えに行かないと」

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