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「ふーっ」
他に誰もいない部屋。菊次郎はソファに寝そべりながら、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
日に1本吸うか吸わないかの彼にしては珍しく、灰皿の上には押し付けたタバコがすでに5本ほど。
「はぁー」
そして辛気臭い溜息とともに、ソファから身を起こしもせずに6本目を押し付けた。彼も自分自身との付き合いが長い。20代のころには見て見ぬふりをしていた感情も自覚することが出来る。
菊次郎がこの雑居ビルのオフィスを寝床にするようになったのは一浪して帝都大学に入学した15年ほど前。
だがここに出入りするようになったのはもう5年ほど遡る。当時、このオフィスは『白銀探偵事務所』と怪しげな看板を掲げていた。
当時、中学生だった菊次郎はひょんなことからここの部屋の先代の主、白銀藤之助と知り合ってからというもの、自分の家よりも過ごした時間が長いのではないかというほど入り浸った。
白銀藤之助という人物は三十半ばでありながら、子供がそのまま大きくなったような男で、親からまとまった資産を受け継いだのを良いことにろくに定職に就いたこともなく、挙句の果てに探偵を生業としていた道楽人である。
もちろんそんな男が探偵として浮気調査やペット探しなど、俗っぽい依頼など引き受けるわけもない。
日本中、いや世界中の都市伝説やオカルトを聞きつけては、ロマンを追い求めて飛び回っていた。しょうがなく探偵事務所の看板を掲げていたが、本当はトレジャーハンターを名乗りたかった。
大人から見れば社会不適合のロクデナシだが、中学生の菊次郎にとってはいささか刺激が強すぎた。
菊次郎はもともと内向的で、外で遊ぶよりもマンガやライトノベルを嗜み、その世界の中で自分を活躍させる妄想を楽しむような少年だった。
そんな夢見がちな少年が、物語から飛び出してきたような、世界をまたにかける“トレジャーハンター”なんかに出会ってしまったのだ。
周りの友人や大人に関わるなと忠告しても聞き入れようとしなかった。
藤之助もきらきらと目を輝かせながら自分を慕ってくれる菊次郎を可愛がった。もともと社会からの爪弾き者、他者からの好意的な感情に飢えていたのだろう。
年は20歳近く離れていたが、2人はお互いにとって代えがたい友人であり、相棒であった。
そして菊次郎は藤之助とともに警察も気づいてないような数々のオカルト事件を人知れず解決し、歴史の影に埋もれていた宝物や曰くつきの呪物を見つけ出していた。
この部屋で2人で戦利品を眺めながら、次のお宝を見つけ出す計画を一晩中語り合った。
菊次郎にとって宝石や黄金よりも輝かしい青春の日々。
そしてある日、菊次郎はすべてを失った。彼の世界を。
2人で見つけ出した宝物の一切も、相棒である藤之助も。残ったのは空っぽの部屋だけ。
大学生になり、この部屋を譲り受けた後も、この部屋に積極的に誰も呼ぶ気にはなれなかった。
親友の岡野も、桃の母親も。
大学を卒業し、つまらない社会人として生きてきた10年間でも。
別に好きでもないタバコを日に一本だけ線香代わりに吹かして、寝るための部屋。
家具も必要最低限しか置かず、モノトーンでどこか陰鬱たるこの部屋は菊次郎にとって、藤之助の墓標のようなものだった。
いや、菊次郎はいつまでもしみったれた気持ちに浸っていたいから、この部屋に彩りを加えずにいたのかもしれない。
そんな部屋が十日ほど前から、十数年ぶりに賑わいを取り戻した。
菊次郎はもう一本タバコに火を付けた。彼には珍しいチェーンスモーク。
桃、そして蘭丸。
二人の若者は陰鬱なこの部屋と菊次郎の人生に新たな風を吹き込んだ。
一人暮らしのいつもの夜なのに、二人が帰った後の部屋はやけに静かだ。
菊次郎は自分の鬱々たる気分の理由をわかっている。
「ふぅ…、まったく俺は何してんだろうなぁ、銀さん…うわっ!な、なんだ!」
ノスタルジックに微睡んでいたところに、この部屋では聞き慣れない電子音が鳴り響いた。
スマホやインターホンでもない。鳴り止まない音の発生源をたどれば、そこにあったのはGPSの受信機。
「これは…金閣寺?」
誰もが知る京の名所。 GPSが指し示す場所は確かにその場所だった。
「…」
これまでGPSの発信機は金属製の箱に入れられていたために信号を送受信できていなかったと考えていた。ハイドリッヒに仕掛けてから全く役目を果たしていなかったのに、急に作動し始めたのだ。
それが何を意味するのか。ハイドリッヒの意図は明らかだ。こっちを誘っている。時計を見れば午後10時。繁華街以外の往来から人々が消え始める時間帯。いつもこの時間だ。妖しく怪しいモノたちの時間。
「…、っ!」
急に部屋のドアが開く音をした。不用心なことに菊次郎は普段から鍵を閉めていない。
「俺だよ、おっさん。こんな時間にごめん」
扉を開けたのは数時間前に買えたはずの蘭丸であった。
「な、なんだ、お前か。驚かせるなよ…。どうしたんだ、こんな時間に」
「いや、特に用事があるってわけじゃないんだけど、家に居ても妙に落ち着かなくて。母さんが夜勤に行ったから。って、この音もしかして?」
「あぁ、そうだ。ついさっき、反応し始めた。まったくお前もなんてタイミングに来たんだ」
「これって、金閣寺?どうすんの?今から乗り込むの?」
「確実に罠だな。俺たちは警察でもないんだ。拳銃なんてもの持ってないのに相手が有利な状況に踏み込むわけもにもいかない」
「なんかお札や十字架とかで戦うんじゃないの?」
「そんな便利なものはないし、お前は俺がそんなものを扱えるような徳の高い人間に見えるか?」
「まぁ、見えないけど。じゃあ昔はどうしてたの?」
「そこはまぁ…機転やらなんやらで。そもそも荒事になることなんて、めったに…。いや、それはどうでもいい。とにかく、何かをするにしても明日の朝になってからだ。遅いから今日はもう帰れ。いや、バイクで送ってく、まったく中学生がこんな時間に」
「ちょっと待ってよ、ハインリッヒ先生はなんで“こんな時間に”?俺達が誘いに乗らないことなんて、わかるだろうに。先生は朝まで呑気に待ってるわけ?」
「それは…」
蘭丸の的を得た指摘に、菊次朗は言い淀んでしまう。
「だろ?先生は俺達を呼ぶ必要があるし、何か俺たちを呼ぶ仕掛けがあるんだよ」
「仕掛けって…。…おい、少年。今日も桃と帰ってたよな、桃はちゃんと家に帰ったか?」
「え、いや、いつもの交差点で別れたけど……まさか、モモが!?」
「ちょっと待て…くそっ!電話に出ない」
「そんな…もう寝てるだけじゃ」
「桃はこんな時間に寝ないし、風呂やトイレにもスマホを持っていくタイプだ」
「なら早く金閣寺に行かないと!先生は朝まで待つつもりはないかもしれない!」
「…」
「おっさん!」
焦ってまくし立てる蘭丸に対し、考え込み何も言葉を発さない菊次郎。
「いいか、少年。俺はお札も十字架も持っていない。けどなんにも準備せずに突っ込むわけにもいかない」
「準備って何さ?」
「今の状況が何がまずいって、相手の思惑が何もわかっていないところさ。ちょっと待ってろ、電話をかける…『岡野か?』」
『なんだい紫、こんな時間に』
『どうせ店長室に引きこもってただけだろ?それより20年前に行方不明になった女バスの先輩の写真が欲しいんだ。お前のことだから、すぐ出てくるだろ?』
『まぁ、そうだけど…すぐ送るよ』
『助かるよ』
『いいよ。…どうせ、事情は今は教えてくれないんだろ。昔からそうさ』
『すまんな』
『写真はいいけど、モモちゃんやあの男の子を危ない目に合わせてないだろうね』
『そ、それは…』
『…呆れた。銀さんと同じじゃないか。ちゃんと責任とりなよ、大人として』
「あっ、切りやがった…。あのやろ…、お、写真が来た」
「今さら20年前の写真があって何になるのさ?」
「桃から、飯田サオリと二人で撮った写真を貰ってたろ?その写真、今出せるか?…そう、その写真。それを見て、どう思った?直感的に」
「どうって…、普通の写真にしか見えないよ、強いて言うなら二人は似た雰囲気だから友達になったのかなって」
「そう、それなんなんだよ。俺もそう思ったんだ。ただ自信がなかったんだ、“年をとると若い子がみんな同じように見えてくる”ってやつかと思った。けど、年が近いお前が見ても、二人は似てる。それにこれを見てみろ」
「!」
「20年前に行方不明になった“若葉あかり”さ。彼女も似てるだろ?目が大きくて、眉毛がはっきりしていて、唇…というか口が大きい。さらに3人ともあまり化粧っ気がなくてポニーテールで、いかにもスポーティーな外見だ」
「…。オーケー、わかった。3人とも似てるのは分かったけど、それがどう関係してくるの?」
「似たような女子高生が3人だ。つまりこれは奴の“性癖”さ」
「…こんな時に何を言ってんの?」
中学生の蘭丸は男同士とはいえ、性的な話題をすることに対して嫌悪感を抱いていた。 真面目な話をしていると思ったら、急に下品な話をし始めた菊次郎を睨みつけた。
「落ち着けって、つまり、奴は“性犯罪者”ってことさ。
今まで俺らは奴のことを超常的な“モンスター”だと考えている節があった。俺らじゃ太刀打ちできないようなね。けど、どうだ?ちんけな性犯罪者と思えば、やりようがある気がしてくるだろ」
「オーケー、それもわかった。けど、やりようがある“気がする”だけだろ」
「それでもマシなもんさ。よし、お前は鍵を閉めてここにいろ、今から家に帰るよりはマシだ」
「ちょっと待ってよ。一人で行く気?」
「お前こそ付いて来る気だったのか?馬鹿を言え、子供に何ができる?いいな、ここで大人しくしてろよ」
「あ、ちょっと待っ…、ああもう!」
菊次郎は蘭丸を有無を言わせず部屋に残して、扉を閉めた。そして、バイクを走らせる。月光が荘厳に、そして妖しく照らす金閣寺へと。




