小悪魔少女と二度目の夏
長いようで短い梅雨の季節が明けた。うだるような蒸し暑さ。俺たちの時代がやってきたとここぞとばかりに合唱を響かせる蝉の鳴き声。
空高く昇った太陽は気温を少しでも下げようとアスファルトに撒かれた水をあっという間に蒸発させ、外出する人々の肌を焼いていく。
外を歩く人々は日差しを避け、少しでも涼しい木陰に身を寄せ合いながら目的地へと歩を進める。
そんな人々の中にはここ数日の快晴に負けないほど輝かしい満面の笑みを浮かべながら歩道を歩いていく一人の少女の姿があった。
「ふんふっふ~ん」
上機嫌に鼻歌を歌いながら歩む少女の足取りはとても軽く、まるで遠足に出かけている幼い子供のように全身から発せられる喜びが、その歩みに表れているようである。
「お兄さん、お兄さん! 早く早く! そんな調子じゃ置いていっちゃいますよ~」
己の後ろを僅かに遅れて進む一人の少年に向かって少女は顔を振り向かせて呼び寄せる。そんな少女の姿を見た少年は苦笑しながらも、少女の呼びかけに応えて少しずつ開いた距離を埋めていく。
「焦らなくったって図書館の開館までまだ時間はあるぞ陽菜。
これだけ暑いんだ。そんな調子で今からはしゃいでると図書館に着いた途端にバテても知らないからな」
少年から陽菜と呼ばれた少女は、少年の口ぶりから自分だけが今日の日を楽しみに待ち望んでいたのかと感じ、プクッと少しふてくされたように頬を膨らませた。
「もう! なんだか私だけが一緒に過ごせるのを楽しみにしていたみたいじゃないですか……。
お兄さんは今日のお出かけが楽しみじゃなかったんですか?」
この春、小学校を卒業した陽菜は地元の中学校へと進学をした。真新しい制服に袖を通し、初々しさと幼さが残っていた彼女だったが春から夏へと季節が移り変わるのと同じように、少しずつその見た目も変化していった。
普段は学校指定のセーラー服を着ている陽菜だが、夏休みに入った今は年相応にオシャレがしたいのか、年相応のブランドTシャツに藍色のデニムのハーフパンツ、それから日射病対策にと姉である千沙都が手渡したキャップを浅く頭に被り、今の時期にふさわしい過ごしやすい服装でありながら、外出していても恥ずかしくない格好をしていた。
幼さを残しながらも同年代の少女よりも少しだけ進んだ成長が見られる体は、まるで手にしてはいけない禁断の果実が少しずつ熟していく過程を眺めているようだ。
そんな果実から発せられる甘い誘いに釣られる様に、彼女と年が近い通行人の少年たちがすれ違いざまに次々と視線を向けていく。
無自覚のうちに人を誘惑する小悪魔の素質を感じさせる少女に末恐ろしさを感じながら、彼女との開いていた距離をゼロに縮めて向けられる視線の数々から少女の盾になる少年、晃一。
「ったく……気持ちはわからなくないけど露骨すぎるだろ。まあ、俺も同じ年だったらそうなってたろうけどさ」
「どうかしましたか、お兄さん?」
「なんでもないって。陽菜はまだ知らなくていいよ」
今はまだ幼く恋を知らないであろう陽菜に、できればこのまま無垢なまま育って欲しいと保護者の気分を胸に抱きながら晃一は告げる。
歩幅の狭い陽菜に歩く速度を合わせた晃一。その姿は誰が見ても仲のいい兄妹そのものだった。
「お兄さん! お兄さん!」
「どうした?」
並んで歩くことしばらく。後十分ほどで目的地である市営の中央図書館に辿り着く距離まで進んだところで隣を歩く陽菜が興奮した様子で晃一に向かって手を差し出す。
一瞬、それが何を意味しているのかわからなかった晃一だが少しして彼女の言わんとせんことを察すると困った様子で呟いた。
「ええ……マジか。陽菜、本気か?」
「本気です! だいたいお兄さんはズルいです! ここ最近は千沙都お姉ちゃんにばっかりかまって、せっかく家族になれたのに全然私に構ってくれなかったじゃないですか」
「それはあいつのテスト勉強を見るためであって……」
「勉強が終わった後だって二人で毎日外に出かけて遊んできてたじゃないですか!
私だって遊びたかったのに、お父さんに出ちゃいけないって言われて我慢してたんですから」
「そりゃ、陽菜はまだ今年中学生になったばかりだし」
「卑怯です! 私とお兄さん三つしか年が違わないのに。たった三つで何が変わるんですか!」
「そりゃ、学年とか色々と……」
「知りません。そんな言い訳聞きたくありません。今日は今まで千沙都お姉ちゃんにばっかり構っていたお兄さんに埋め合わせしてもらうんですから、お兄さんは私の言うことを聞いてくれないと困ります」
プリプリとへそを曲げて言うことを聞いてくれるまではテコでもこの場を動かないと困った態度を見せる陽菜。そんな彼女の様子を可愛らしく思いつつ、晃一は我ながら陽菜には甘いなと感じながら彼女の要望を聞き入れる。
陽菜から差し出された手に、空いている己の片手を伸ばして小さな彼女の手を優しく握りしめる。
「ほら、これでいいか? まったく、千沙都といい春日家は手を繋ぎたがる習性でもあるのかよ……」
愚痴を呟きながらもどこか嬉しそうな様子の晃一。そんな彼と同じように求めていた要望が受け入れられた陽菜は先ほどよりもさらに眩しい笑顔を彼に向けて見せた。
「えへへ。ありがとうございます、お兄さん!」
そうして二人は仲良く手を繋いで目的地の図書館に向かって一緒に歩んでいく。
二人が新しい家族となって早くも半年近くの月日が流れた。そんな彼らの関係は雲ひとつない今日の空のように明るく、良好なものだった。
――夏が始まる。新しい関係を迎えて初めての夏。
そして、二人が最初に出会った時と同じように眩く輝く太陽が昇った、あの夏が……。




