第7章:【集中】射抜かれる恍惚!エルフの弓使いと不快な標的
王都の片隅、「マゾヒスト・アイアン」の受付には今日も、種族特有の悩みを抱えた客が訪れる。 ミラが、ゼノスが床に這いつくばって書いた「ミラさん専用・罵倒ボキャブラリー辞典(全500ページ)」をシュレッダーにかけていると、尖った耳を不安げに揺らす一人の女性が現れた。
現れたのは、エルフの弓使い・リナ。彼女は森の守護者としての誇りを持っていたが、最近は深刻な「イップス」に悩まされていた。
「……お願い。私のこの震える手を止めてほしいの」 リナは背負った弓を握りしめ、消え入りそうな声で訴えた。
「いらっしゃいませ。入会ですか? 繊細なエルフの心と一緒に、その中途半端なプライドも入り口の植え込みに埋めてきてください。肥料にすらなりませんが」 ミラの、相手の繊細さを土足で踏みにじるような挨拶が飛ぶ。
リナは潤んだ瞳で訴えた。 「……私はもう、的を射抜くのが怖いの。集中しようとすればするほど、『外したらどうしよう』という恐怖に襲われて、手が震えてしまう。エルフでありながら弓を外すなんて、死ぬより恥ずかしいことだわ……!」
「恥、ですか。ならちょうどいいですね」 ミラは事務的にトレーニングルームの奥を指し示した。 「あちらに、恥という概念を母親の胎内に置いてきた男がいます。彼を標的だと思って弓を構えてごらんなさい。あまりの不快さに、『外してあいつを生き延びさせるくらいなら、一撃でこの世から消し去りたい』という強烈な殺意が、あなたの震えを止めてくれるでしょう」
リナが震える足取りで扉を開けると、そこには案の定、エルフの美的感覚を根本から破壊する光景が広がっていた。
「あぁ……! 視線! 誰かに見られているというこのプレッシャー! 監視という名の精神的拘束が、私の筋肉をバキバキに硬直させるぅぅ!」
ゼノスは、上半身裸で自らを目隠しし、不安定なバランスボールの上で片足立ちになりながら、「いつどこから飛んでくるかわからない親父ギャグの幻聴」に怯えて悶絶するという、極限の精神修行を行っていた。
「ゼノス、仕事です。的を射抜くのが怖いという、臆病なエルフのお嬢様ですよ。あなたの『最も射抜きたくなる顔面』を差し出して、彼女の集中力を(殺意で)研ぎ澄ませてあげなさい」
「はぅっ! ミラさんの声! 私の脳髄を直接射抜く、氷の矢のような快感……!」
ゼノスはバランスボールから転げ落ちると、四つん這いでリナの前に這い寄り、自らの喉元を大きく晒した。
「エルフ様……! 素晴らしい弓だ! その弦が奏でる死の旋律を、私のこの不浄な肉体で受け止めたい! さあ! 標的の前に私が立ちます! 私は今から、あなたの集中力を極限まで乱す『究極の邪魔者』になります!」
「なっ……何をするつもり!?」
ゼノスはリナのわずか数歩前、矢の軌道上にわざとらしく立ち塞がると、クネクネと体をくねらせ始めた。
「さあ! 狙ってください! 私は今から、あなたが矢を放つ瞬間に合わせて、最高に寒い親父ギャグを耳元で囁き続けます! 外せば私はあなたの元へ這い寄り、このオイルまみれの体で全力の抱擁を捧げましょう! さあ! 『エルフ(えるふ)』が、『選ぶ』のは、私の『エルボー(えるぼー)』か!? はぁ、最高に狙いづらい!」
「……今の、マイナス98度ですね」 ミラが背後から、リナの耳元に冷たい息を吹きかける。 「リナさん。外せば、あなたの神聖な弓の歴史に『変態との抱擁』という消えない汚点が刻まれます。このゴミを消し去る方法はただ一つ、その震える指を止めて、奴の眉間に風穴を開けることだけですよ」
「……っ! この……この救いようのない変態めがぁぁ!」 リナの心の中で、恐怖が激しい「殺意」へと塗り替えられた。 ゼノスの不快な動き、鼻につく親父ギャグ、そして迫りくる抱擁の恐怖。それらがリナの雑念をすべて削ぎ落とし、ただ一つの目的――「この男を視界から消す」ことへと彼女を集中させた。
リナの手の震えが止まった。 彼女の放った矢は、ゼノスの耳元をわずか数ミリでかすめ、背後の的のど真ん中を貫いた。
「ひぎゃあああ! 惜しい! 今、死の風が私の頬を優しく撫でた! 絶命という名の究極のエクスタシーまであと一歩だったのにぃぃ!」
「……もう一本よ。次は、絶対に当てるわ」 リナの瞳には、かつての森の守護者としての鋭い光が戻っていた。いや、それ以上に、冷徹なハンターとしての凄みが加わっていた。
一時間後、リナは汗を拭いながら、しかし確かな手応えを感じてトレーニングルームを出てきた。
「お疲れ様でした、処刑人さん」 ミラが、リナに(指先でつまむように)入会特典の冷えたハーブティーを渡す。 「あんなゴミを狙い続けた経験があれば、どんな小さな獲物も止まって見えるでしょう。その集中力を、二度と変態を視界に入れないために使ってくださいね」
「……ありがとう。私、わかったわ。恐怖よりも強いのは、純粋な嫌悪感なのね。あんなもの(ゼノス)を野放しにする恐怖に比べれば、的を外すことなんて些細なことだわ」
リナは力強く、凛とした足取りでジムを去った。その後の狩りで、彼女が一度も的を外さなかったのは言うまでもない。
「ミラさん……エルフ様のあの、私を『害獣』としてしか見ていない冷酷な射貫き……。私の魂に、消えない風穴を空けてくれました……」 「そうですか。そのままその穴からあなたの全人格が漏れ出し、ただの不燃物の塊として廃棄されることを願っています。弓の錆になる前に、そこをどいてください」
「あぁぁ、存在の廃棄! ミラさんによる完全なデリート!」
ゼノスが再び喜びのあまりのたうち回る中、路地裏に新たな迷い子が現れる。それは、囚人に情が湧いてしまい厳しくできないと悩んでいた牢番……ではなく、自らの打った剣を売るのが寂しいと嘆いていたドワーフ……でもない。 次なる客は、死者とばかり話していて生身の人間が怖いと怯える「墓守」。ゼノスの「棺桶の中からのおはようございます」作戦が、彼の社交性を最悪な形で呼び覚ますことになるのだが……それはまた、次のお話。




