第8話:墓場の社交術、あるいは棺桶からのモーニングコール
王都の喧騒が届かない、影の濃い路地裏。ジム「マゾヒスト・アイアン」の受付には、死人のような青白い顔をした一人の青年が立っていた。 ミラが、ゼノスが「ミラさんの歩いた後の空気を瓶詰めにする方法」を書き記した怪文書をシュレッダーにかけていると、その青年が震える声で話し始めた。
「……生きた人間が、怖いんです。墓守の仕事ばかりしていたら、死者の方がよっぽど聞き上手で……」 現れたのは、王都霊園の墓守・セト。彼は死者と対話することに慣れすぎたあまり、生身の人間と目を合わせるだけで心臓が止まりそうになるほどの対人恐怖症に陥っていた。
「いらっしゃいませ。入会ですか? その腐りかけの社交性と、墓土にまみれた小心さを入り口の供え物置き場へ捨ててきてください。あそこの変態は、死神すらドン引きして回れ右するレベルの生気(性癖)の塊ですから」 ミラの、生者への敬意が欠片も感じられない毒舌が炸裂する。
セトはおどおどしながら訴えた。 「……でも、生きてる人は急に動くし、予測不能なことを言うから……。墓地のように、静かで動かないものだけを相手にしていたいんです」
「静かで動かないもの、ですか。ならちょうどいいですね」 ミラは事務的にトレーニングルームの端にある、特注の「筋力トレーニング用棺桶」を指し示した。 「あの中に、死体よりも動かず、死体よりも害がない(と思いたい)ゴミが詰まっています。あなたが最も得意な『墓守の仕事』だと思って、その蓋を開けてごらんなさい。生身の人間が、いかに『関わりたくない汚物』であるかを脳に刻み込めば、恐怖なんて消し飛びますよ」
セトが震える手でトレーニングルームへ入り、静まり返った棺桶の前に立った。 (……大丈夫。これは仕事だ。いつも通り、死者を弔うように蓋を開けるだけだ……)
セトがゆっくりと棺桶の蓋を押し開けた、その瞬間。
「おはようございます! そして、私を暗闇から救い出してくれてありがとうございますぅぅ!」
「ひぎゃああああああ!」
棺桶の中から、上半身裸で全身に「死後硬直をイメージした高反発ゴム」を巻き付けたゼノスが、バネ仕掛けのように勢いよく飛び出してきた。その顔は恍惚とした汗で濡れ、セトの至近距離で鼻息を荒くしている。
「あぁ……! この解放感! 埋葬という名の完全拒絶から、無理やり引きずり出されるこの背徳感! 私は今、世界で最も『お呼びでない生者』として再誕した気分だぁぁ!」
「ゼノス、仕事です。生身の人間が怖くてたまらない、ひきこもり墓守様ですよ。あなたの『最もコミュニケーションを取りたくない異常性』をぶつけて、彼の恐怖心を嫌悪感で上書きしてあげなさい」
「はぅっ! ミラさんの声! 墓石に頭を打ち付けられるような、硬質で冷徹な快感……!」
ゼノスは棺桶から這い出ると、四つん這いでセトの足元に纏わりついた。 「墓守様……! 私は今から、あなたの『最も苦手なタイプ』の人間になります! 予測不能! 厚かましい! そして、物理的に不快! さあ、私を独り言の相手にしてください! 私は今から、あなたの耳元で、この世で最も不要な個人情報と、氷点下の親父ギャグをマシンガントークし続けます!」
「や、やめてくれ! 私は静かにしていたいんだ!」
「いいえ! 静寂は死者にのみ許された特権! 生きている私は、あなたに構ってほしくてたまらないんです! さあ、聞け! 『墓守』が、『捗り』すぎて、『薄ない(儚い)』夢を見る……! どうですか、この墓の下まで追いかけてくるような寒さ!」
「……今の、マイナス100度ですね」 ミラが背後から、セトの肩に冷たい手を置く。 「セトさん。このゴミは、あなたが蓋を閉めない限り、永遠にあなたの後を追いかけて親父ギャグを囁き続けますよ。生身の人間が怖い? 違いますね。あなたが本当に恐れるべきは、この『変態という名の現実』から逃げ出す、あなた自身の弱さです」
「……っ! この……この、棺桶に戻れ、この変態野郎ぉぉ!」 セトの心の中で、恐怖が「激しい拒絶」に塗り替えられた。 ゼノスの予測不能な動き、耳を汚すギャグ、そして無駄に仕上がった筋肉。それらがセトのコミュ障を無理やり破壊し、生きるための「生存本能」を呼び覚ました。
セトは驚くべき怪力でゼノスの胸ぐらをつかむと、彼を棺桶の中に叩き込み、全力で蓋を閉めてその上に座り込んだ。
「二度と出てくるな! お前みたいな奴と話すくらいなら、街中の酔っ払いと喧嘩する方がマシだ! この、生ける公害が!」
「ひぎゃあああ! 素晴らしい! その強引な埋葬! 私が……私が『生ける公害』として封印された! 最高の孤独だぁぁ!」
棺桶の中から響くゼノスの歓喜の振動を感じながら、セトは激しく呼吸した。 不思議なことに、あれほど怖かった「他人」が、今はもう怖くない。これほどまでに終わっている「人間」を相手にした後では、外にいる普通の人々が、天使のように温厚で知的な存在に見えてきたからだ。
一時間後、セトは憑き物が落ちたような晴れやかな顔でトレーニングルームを出てきた。
「お疲れ様でした、死体愛好家さん」 ミラが、セトに(指先でつまむように)入会特典の除菌スプレーを渡す。 「あんなゴミを埋葬した経験があれば、どんな厄介な隣人もただの静かな隣人に見えるでしょう。その調子で、生者の世界に復帰してください」
「……ありがとう。私、ようやく分かったよ。人間が怖いんじゃない、あの変態が異常なだけなんだ。明日からは、ちゃんと街の人に挨拶してみるよ」
セトは力強い足取りで、光の差す路地裏へと帰っていった。
「ミラさん……墓守さんのあの、蓋を閉める時の『不燃ゴミの日まで待てない』という殺意……。密閉された暗闇の中で、私の性癖が真空パックされました……」 「そうですか。そのまま真空状態で腐敗が進み、二度とこの世に悪臭を放たないことを祈っています。床が汚れるので、這いずり回らないでください」
「あぁぁ、完全密閉! ミラさんによる永遠のサヨナラ!」
ゼノスが再び喜びのあまり棺桶の中で暴れる中、路地裏に新たな迷い人が現れる。それは、支持率低下と罵倒される恐怖に震える「政治家(街長)」。ゼノスの「反対派リーダーごっこ」が、彼の政治家生命を最悪な形で再燃させることになるのだが……それはまた、次のお話。
次回から毎週土曜日更新予定です。




