第6章:牢獄の変態、あるいは鉄格子の向こう側の悦び
王都の喧騒を離れた路地裏、今日も「マゾヒスト・アイアン」の受付には、世の中の理不尽に耐えかねた迷い人が訪れる。 ミラが、ゼノスが床に書き残した「罵倒語の活用表」をシュレッダーにかけていると、ガチャガチャと重い金属音を響かせ、一人の男が入ってきた。
現れたのは、王都監獄の看守(牢番)であるハンス。彼は、凶悪犯を監視する強面の男として知られていたが、その表情は情けないほどに沈んでいた。
「……頼む。ワシに、冷徹な『鉄の心』を取り戻させてくれ」 ハンスはカウンターに肘をつき、深い溜息をついた。
「いらっしゃいませ。入会ですか? 慈悲の心と一緒に、その安っぽい正義感も入り口のドブ川へ捨ててきてください。あそこの変態を甘やかすと、この世の終わりが加速しますから」 ミラの、相手の心の傷口に塩を塗り込むような挨拶が飛ぶ。
ハンスは苦悶の表情で訴えた。 「……ワシは看守失格だ。囚人たちの身の上話を聞くたびに情が湧いてしまい、厳しく接することができんのだ。食事が少ないと言われれば自分の分を分け、寒いと言われれば毛布を差し出し……最近では囚人たちから『監獄のお母さん』と呼ばれ、舐められきっておるのだ。このままでは規律が崩壊してしまう!」
「お母さん、ですか。吐き気がしますね」 ミラは事務的にトレーニングルームを指し示した。 「あちらに、情をかける価値など一塵もない、人類の汚点のような男がいます。彼を最も卑劣な囚人だと思って、徹底的に閉じ込め、虐げてごらんなさい。あなたの慈悲の心が、嫌悪感によって瞬時に凍りつくはずです。さあ、冷酷な牢番への一歩を踏み出してください」
ハンスが震える手で扉を開けると、そこには案の定、常人には理解し難い光景が広がっていた。
「あぁ……! 暗闇! この密閉された空間! 社会から完全に隔離され、存在を抹消されているというこの背徳感! 私の筋肉が、孤独という名の酸欠で歓喜の叫びを上げているぞぉぉ!」
ゼノスは自らをトレーニング用の狭いケージ(鳥かご型器具)に押し込み、あえて体に食い込むほどの細い鎖で全身を縛り上げ、「脱獄不可能」な状態を自ら作り出して悶絶していた。
「ゼノス、仕事です。情に脆すぎるお母さん看守様ですよ。あなたの『最も閉じ込めておきたくなる不快さ』を全開にして、彼の甘い考えを粉砕してあげなさい」
「はぅっ! ミラさんの声! 監獄の冷たい石畳の上で、無慈悲に宣告される死刑判決のような快感……!」
ゼノスはケージの中から、鎖に縛られたまま芋虫のようにハンスの足元へ転がり出た。その目は、獲物を狙う獣……ではなく、最も厳しく罰せられることを期待する狂人の熱を帯びている。
「看守様……! 私こそが、王都で最も救いようのない、歩く禁忌です! さあ! 私に情をかける暇があるなら、この鎖をもっときつく締め、私をこの世で最も冷たい独房へ投げ込んでください!」
「なっ……。鎖をきつく? だが、それでは血が止まって痛むではないか……」 ハンスの「お母さん」気質が顔を出す。だが、ゼノスはそれを許さない。
「痛む!? 最高のご褒美だ! ほら、私は今から『監獄の備品を全部食べて、お腹を壊して看守の手を煩わせる』という最低な脱走計画を立てています! 情けをかけるなら、私の口に猿ぐつわをはめて、一生親父ギャグを言えないように封印してください! あ、でもその前に一つ……! 『牢番』が、『ロビー(ろびー)』で、『狼狽』する……! どうですか、この監獄の規律を乱す寒さ!」
「……今の、マイナス95度ですね」 ミラが背後から、氷の針のような声を飛ばす。 「看守さん。この男に情をかけるということは、この世にこれ以上の汚物を放流し続けるという、人類に対する大罪ですよ。早くその鍵で、このゴミの口を永遠に閉ざしてはいかがですか?」
「……っ! この、この救いようのない変態めがぁぁ!」 ハンスの心の中で、何かが音を立てて壊れた。目の前の男は、決して情をかけてはいけない、生命への冒涜そのものだ。
ハンスは震える手でゼノスの襟首を掴み上げ、トレーニング用の狭いロッカーへ力任せに押し込んだ。 「貴様のような男に情けなど必要ない! そこで一生、自分の親父ギャグの寒さに凍えていろ! 食事など抜きだ! 水もやらん! 貴様の存在自体が監獄の恥だ!」
「ひぎゃあああ! 素晴らしい! その冷徹な宣告! 私が……私が『存在そのものが恥』と言われた! 最高の栄誉だぁぁ!」
ロッカーの隙間から溢れ出るゼノスの狂喜に、ハンスは激しい嫌悪感を抱いた。だが、その嫌悪感こそが、彼を「冷酷な看守」へと変貌させていた。彼はもう、囚人の泣き言に耳を貸すことはない。目の前の「ゴミ(ゼノス)」に比べれば、どんな囚人もただの静かな隣人に思えるからだ。
一時間後、ハンスは鉄のような表情でトレーニングルームを出てきた。その歩みは迷いなく、正義の執行者としての冷徹さに満ちていた。
「お疲れ様でした、お母さん。いえ、今は『鉄仮面看守』様ですね」 ミラが、ハンスに(指先でつまむように)入会特典の冷えた水(氷水)を渡す。 「あんなゴミを管理した経験があれば、どんな凶悪犯もただの行儀の良い子供に見えるでしょう。その調子で、監獄の規律を無慈悲に守り続けてください」
「……ああ。ワシはもう、迷わない。あんなもの(ゼノス)を野放しにするくらいなら、悪人どもを全員厳格に管理する方が、世界のためだ」
ハンスは力強く、しかしどこか晴れやかな顔でジムを去った。翌日から、王都監獄の規律は劇的に改善され、囚人たちは「お母さん」が「鬼神」に変わったことに震え上がったという。
「ミラさん……看守さんのあの、私をロッカーに閉じ込める時の『ゴミ捨て場に蓋をする』ような冷淡な手つき……。社会からの完全な拒絶を全身で感じて、私の筋肉が最高密度の孤独を形成しています……」 「そうですか。そのままそのロッカーを溶接して、海に沈める手配を済ませておきます。私の視界から消えるのが、あなたにとって最大の『拒絶』でしょう?」
「あぁぁ、深海への追放! ミラさんによる底なしの蔑み!」
ゼノスが再び喜びのあまりのたうち回る中、路地裏に新たな迷える者が現れる。それは、集中力が続かず的に当てるのが怖いと嘆く「エルフの弓使い」。ゼノスの「標的の前に立ち塞がる究極の邪魔者」作戦が、彼女の命中精度を最悪な形で極限まで高めることになるのだが……それはまた、次のお話。




