第11章:不眠の絶叫、あるいは不協和音のエクスタシー
王都の広場、本来なら人々の心を癒やすはずの調べが、不気味な静寂に包まれていた。「マゾヒスト・アイアン」の受付には、美しい竪琴を抱えた一人の女性が、自身の指先を見つめて震えていた。 ミラが、ゼノスが「ミラさんの瞬きの回数をバイナリデータ化して解読した日記」をシュレッダーにかけていると、彼女は消え入りそうな声で口を開いた。
現れたのは、吟遊詩人のメロディ。彼女の歌声には強すぎる魔力が宿っており、聴く者を強制的に深い眠りへと誘ってしまう「安眠の呪い」に等しい才能を持っていた。
「……もう、歌うのが怖いの。私が心を込めて歌えば歌うほど、観客は皆、心地よさのあまり泥のように眠り込んでしまう。私の歌は、誰の心にも届かず、ただの『子守唄』として消えていくだけなの……!」
「いらっしゃいませ。入会ですか? その無駄に高い芸術性と、湿っぽい情緒を入り口の側溝へ流してきてください。あそこの変態を眠らせるには、歌声よりも物理的な鈍器による打撃の方が効率的ですから」 ミラの、音楽の母性すら拒絶する冷酷な挨拶が響く。
メロディは涙ながらに訴えた。 「……私は、皆を情熱的に躍らせたい、魂を震わせたいの! でも、どうしても安らぎの魔力が漏れ出してしまう。どうすれば、この呪いのような癒やしを打ち破れるの!?」
「打ち破る、ですか。簡単なことですよ」 ミラは事務的に、トレーニングルームの壇上に設置された「強制覚醒ライブステージ」を指し示した。 「あそこに、どれほど心地よい調べを聴かせても、自身の性癖という不協和音で脳を掻きむしり続ける、生ける騒音公害がいます。彼の前で歌ってごらんなさい。あなたの癒やしの歌が、いかに『不快な生命力』の前に無力であるかを知れば、綺麗事ではない真実の絶叫が引き出せるはずですよ」
メロディが震える手で竪琴を奏で始めると、ステージの前には、音楽を聴く態度としては最低最悪な男が陣取っていた。
「あぁ……! 旋律! この調和のとれた美しい音が、私の歪んだ精神を矯正しようと迫ってくる! 浄化という名の精神的去勢が、私の筋肉を拒絶の炎で焼き尽くすぞぉぉ!」
ゼノスは、上半身裸で耳に「超高感度集音器」を装着し、メロディの歌声をあえて増幅して脳に直接流し込んでいた。さらに、眠気に襲われるたびに自らの太ももを鋭い針で刺し、「眠らせてたまるかぁぁ!」と叫びながら悶絶していた。
「ゼノス、仕事です。観客を寝かしつけてしまう、無自覚な催眠術師様ですよ。あなたの『世界一寝付きの悪い野次馬』としての醜態を見せつけて、彼女の優しすぎる旋律を粉砕してあげなさい」
「はぅっ! ミラさんの声! 私の鼓膜を氷のピックで掃除されるような、鋭利な調律……!」
ゼノスはステージの最前線で四つん這いになり、メロディを見上げて卑屈な笑みを浮かべた。 「詩人様……! 素晴らしい歌声だ! その癒やしは、私のような汚物にとっては何よりの猛毒! さあ、もっと私を眠らせようとしてください! 私はそのたびに、あなたの歌の合間に最高に空気を読まないヤジと、地獄のような親父ギャグを全力で叩き込みます!」
「なっ……。やめて、私の歌を汚さないで……!」
「汚す!? いいえ、これはセッションです! あなたが『安らぎ』を歌うなら、私は『不眠の苦しみ』を叫びます! ほら、この竪琴……! 『竪琴』を持って、『立て(たて)』と言われても、『寝言』で返す……! どうですか、芸術の神が耳を塞いで逃げ出すこの寒さ!」
「……今の、マイナス130度ですね」 ミラが背後から、メロディの背中に冷たい視線を刺す。 「メロディさん。この男が起きている限り、あなたの負けですよ。あなたの歌は、この程度の変態の脳さえも揺さぶることができない、ただの温い微風に過ぎない。さあ、その綺麗な喉を引き裂いて、こいつを黙らせるほどの『音の暴力』をぶつけてみなさい」
「……っ! この……この、私の歌を、音楽を馬鹿にするなああぁぁ!」 メロディの心の中で、癒やしの魔力が「激しい攻撃性」へと反転した。 ゼノスの下劣なヤジ、耳を汚すギャグ、そして自分の歌を「猛毒」と笑う異常性。それらがメロディの繊細な殻を破り、一人の「絶唱のディーヴァ」としての狂気を呼び覚ました。
メロディは竪琴を叩きつけるようにかき鳴らし、腹の底から、安らぎを一切排除した「不協和音の絶叫」を放った。 「黙れ、この耳の腐った害虫が! 私の歌を聴いていられないなら、その鼓膜ごと焼き尽くしてやる! 眠る暇など与えない、永遠に醒めない地獄の歌を聴け!」
「ひぎゃあああ! 素晴らしい! その殺意に満ちた高音! 私の……私の脳細胞が、音の濁流でミキサーにかけられている! 最高の精神破壊だぁぁ!」
のたうち回り、鼻血を出しながらも歓喜するゼノスを見下ろしながら、メロディは自分の中に、かつてない高揚感を感じた。 そうか、音楽とは癒やしだけではない。聴く者の魂を無理やり掴み、揺さぶり、叩きつける「支配の手段」でもあったのだ。この変態を相手にしたことで、彼女は歌の本質――「共鳴(という名の強制)」を理解したのだ。
一時間後、メロディは弦の切れた竪琴を手に、しかし戦士のような鋭い眼差しでトレーニングルームを出てきた。
「お疲れ様でした、不協和音の女王様」 ミラが、メロディに(指先でつまむように)入会特典の冷えたハーブティー(に見える激苦の薬草汁)を渡す。 「あんなゴミを絶叫で黙らせた経験があれば、どんな観客もあなたの歌声の虜……いえ、奴隷にできるでしょう。その調子で、王都中にあなたの『毒』を響かせてください」
「……ありがとう。私、ようやく分かったわ。綺麗なだけの歌なんて、ゴミ箱に捨ててやる。これからは、皆の耳を劈き、魂に消えない傷を刻むような歌を歌ってみせるわ」
メロディは力強い足取りで、広場へと帰っていった。後日、彼女の「聴く者の血管が沸騰するような情熱的な絶唱」に、王都中の若者が熱狂し、失神者が続出するほどの伝説的なライブが繰り広げられたのは言うまでもない。
「ミラさん……メロディ様のあの、私の脳を直接握りつぶすような破壊的なシャウト……。私の筋肉が、音の振動で新しい細胞分裂を始めました……」 「そうですか。そのまま分裂を繰り返して肉の塊となり、二度と人間の形に戻れないまま、音の出ない真空地帯に追放されることを切に願っています。耳障りなので、呼吸を止めてください」
「あぁぁ、細胞の暴走! ミラさんによる完全なデリート!」
ゼノスが再び喜びのあまりのたうち回る中、路地裏に最強の迷い子が。それは、王都の秩序を一身に背負いながら、あまりの重圧に心が折れかけている「騎士団長」。ゼノスの「世界一無責任なサンドバッグ」作戦が、彼の折れた剣を最悪な形で再鍛造することになるのだが……第1章、ついに完結。




