第10章:絶望の味、あるいは不浄のフルコース
王都の誇り、王宮の厨房から漂う芳醇な香りが届かない路地裏。「マゾヒスト・アイアン」の受付には、真っ白なコックコートに身を包んだ一人の男が立ち尽くしていた。 ミラが、ゼノスが「ミラさんの排泄物から金塊を錬成する理論」を記した禁断の魔術書をシュレッダーにかけていると、その男は絶望に満ちた声で呟いた。
現れたのは、宮廷料理人のジャン。彼は数々の美食を王に献上してきたが、最近は深刻な「味覚の迷走」に陥っていた。
「……もう、何を作ればいいのか分からないんだ。王は何を食べても『飽きた』と仰る。最高の素材を使い、最高の技術を尽くしても、私の料理には何かが足りないのだ……!」
「いらっしゃいませ。入会ですか? その肥大化した職人の自尊心と一緒に、その高価なスパイスも入り口の生ゴミ箱へぶちまけてきてください。あそこの変態を煮込んでも、不快な脂が浮くだけで出汁すら出ませんから」 ミらの、美食に対する冒涜的な挨拶がジャンを刺す。
ジャンは震える手で訴えた。 「……王は、もっと刺激が、もっと『魂を揺さぶる未知の味』が必要だと言う。だが、私にはもう思いつかないんだ……!」
「未知の味、ですか。ならちょうどいいですね」 ミラは事務的に、トレーニングルームの奥に設置された「究極の粗食養成ケージ」を指し示した。 「あそこに、味覚という概念がバグった、生けるバイオハザード(ゼノス)がいます。彼にあなたの料理を食べさせて、その反応を見てごらんなさい。あなたの料理が、いかに『無駄に上品で、中身のないガラクタ』であるかを突きつけられれば、新たな味の地平が見えるかもしれませんよ」
ジャンが震える足取りで扉を開けると、そこには、王宮の食卓とは対極にある地獄が広がっていた。
「あぁ……! 空腹! この胃袋が自らを消化しようとする内側からの責め苦! 飢餓という名のスパイスが、私の全身を最高の食材に仕上げていくぞぉぉ!」
ゼノスは、上半身裸で自らを巨大な蒸し器のような装置に閉じ込め、蒸気で毛穴を全開にしながら、自らの汗をペロペロと舐めて「……しょっぱい、最高だ……!」と悶絶していた。
「ゼノス、仕事です。王の舌を満足させられない、無能なシェフ様ですよ。あなたの『最も不快な味覚』を全開にして、彼の気取った料理にトドメを刺してあげなさい」
「はぅっ! ミラさんの声! 私の味蕾を直接ペンチで引き抜かれるような、刺激的な毒味……!」
ゼノスは蒸し器から這い出ると、四つん這いでジャンの前に進み出た。 「シェフ様……! 私に、あなたの自慢の料理を食べさせてください! ただし! 私はただ食べるだけではありません! 私はあなたの料理に、この世で最も不要な『隠し味』……すなわち、私の卑屈な感想と、最低の親父ギャグをトッピングして差し上げます!」
ジャンは震える手で、最高級のフォアグラを使った一皿を差し出した。 ゼノスはそれを一口食べると、まるで汚物を飲み込んだかのように顔を歪め、のたうち回った。
「あぁぁ……! 上品! 美味しすぎる! 繊細すぎて、私のような不浄な人間の喉を通りたがっていない! 料理が私に『お前みたいなゴミに食われるのは死ぬより辛い』と泣き叫んでいるようだぁぁ!」
「な、なんだと……!?」
「足りないんですよ、シェフ様! この料理には『不快感』というコクが! ほら、このフォアグラ……! 『フォアグラ(ふぉあぐら)』を食って、『フォロワー(ふぉろわー)』が、『不安』になる……! どうですか、美食の歴史を1000年退化させるこの寒さ!」
「……今の、マイナス120度ですね」 ミラが背後から、冷たいソースをかけるように言い放つ。 「ジャンさん。あなたの料理が足りないのは『毒』ですよ。この男のような、生理的な嫌悪感を呼び起こすほどの強烈なエゴが、お行儀のいい皿の上には欠片も乗っていない。そんなものを、王が喜ぶはずがないでしょう?」
「……っ! この……この、私の芸術を汚す汚物がぁぁ!」 ジャンの心の中で、職人のプライドが「激しい破壊衝動」へと塗り替えられた。 ゼノスの不快な食レポ、耳を汚すギャグ、そして自分の傑作を「上品すぎてつまらない」と切り捨てる異常性。それらがジャンの迷いを焼き尽くし、一人の「美食の魔術師」としての狂気を呼び覚ました。
ジャンはゼノスの胸ぐらを掴み、その口の中に、近くにあった「味を整える前の超激辛香辛料」を瓶ごと流し込んだ。 「黙れ! ならば、お前のようなゴミにはこれがお似合いだ! 味覚を焼き尽くし、存在を否定する『絶望の黒胡椒』だ! これを食って、二度とその不快な口を開くな!」
「ひぎゃあああ! 素晴らしい! その暴力的な味付け! 私が……私が『味覚の処刑』を受けた! 脳が沸騰するような拒絶だぁぁ!」
悶絶するゼノスを見下ろしながら、ジャンは自分の中に、かつてないインスピレーションが沸き起こるのを感じた。 そうか、王が求めていたのは、優しさではない。舌を暴力的に支配し、一瞬の恐怖の後に極上の快楽を突きつける「毒」だったのだ。この変態を相手にしたことで、彼は料理の真髄――「支配」を理解したのだ。
一時間後、ジャンは返り血(赤いソース)を浴びた姿で、しかし狂気的な確信を持ってトレーニングルームを出てきた。
「お疲れ様でした、毒殺シェフさん」 ミラが、ジャンに(指先でつまむように)入会特典の除菌用ナプキンを渡す。 「あんなゴミを餌付けした経験があれば、王の舌を服従させることなど容易いでしょう。その調子で、王宮に不穏な美食を広めてください」
「……ありがとう。私、ようやく分かったよ。料理とは愛ではない、執着という名の呪いなのだと。あの男の不快さに勝る『呪いの皿』を作ってみせるよ」
ジャンは不敵な笑みを浮かべ、王宮へと帰っていった。後日、彼が作った「一口食べれば死を予感し、二口食べれば生を狂おしく欲する」という禁断のフルコースに、王が涙を流して狂喜し、彼を「終身宮廷料理長」に任命したのは言うまでもない。
「ミラさん……シェフさんのあの、私の喉にスパイスを流し込む時の『家畜以下の扱い』……。私の食道が、火傷のような恋に落ちました……」 「そうですか。そのまま食道が癒着して、二度と栄養を摂取できず、自分の細胞を消費して干からびていくことを切に願っています。皿が汚れるので、涎を垂らさないでください」
「あぁぁ、餓死へのカウントダウン! ミラさんによる究極のダイエット!」
ゼノスが再び喜びのあまりのたうち回る中、路地裏に新たな迷い子が。それは、自身の歌に魔力が宿りすぎて、観客を眠らせてしまうと悩む「吟遊詩人」。ゼノスの「世界一寝付きの悪い野次馬」指導が、彼女の歌声を最悪な形で覚醒させることになるのだが……それはまた、次のお話。




