伯爵、にぎにぎ、ぷにぷに
カチャリ。
無言が痛い空間に、俺が飲む紅茶のティーカップが立てる音が響く。
あー、美味いなこのお茶。茶葉が高級なのか、淹れる使用人の技術の差か。茶葉だな。オールポート伯爵家の財政が立て直せるのは数年先の話だから、まだ倹約生活で高い茶葉は買えんだろうしな。
「……その、ハーディング家に戻るつもりはないのか?」
なに、言ってんの、このおっさん王子。実家は兄上が継いでいるし、跡継ぎのトレヴァー君もすくすくと育っている。
今さら、実家に帰ってこの白豚は何をすればいいのさ。
「いえ。娘が立派にオールポート伯爵家を継ぐまでは、責務だと思っています。娘には苦労なく幸せになってもらいたいですし」
ん? おっさん王子はまだ結婚してないのか? じゃあ、娘ラブな俺の気持ちを訴えてもわからんかもな。娘を愛する父親の気持ちは、おっさんのくせに王子なお前にわかるもんかっ。
「……セシル様」
ツンツンと俺の背中を指で突いてディーンが小声で名前を呼ぶ。どうした? トイレでも行きたくなったか?
「声。声に出てます」
「え?」
バッと両手で自分の口を押さえたが、遅かった。全部俺の口から洩れてしまった。ええーっ、豚語で意味がわからなかったとかならないかな? ブヒブヒ。
やべぇ、マジで不敬罪じゃん。
「……ぷっ。っふふ。ハハハ。あーっははははっ! やっぱりセシルか。その言い方。不遜な態度。変わらないなぁ。いや、見た目は変わったが」
ポカーン。
え? セシル君ってば毒舌系? いや、なんかツンデレ系かもとは疑っていたけど……学生時代から王子に塩対応かよ。
「す、すみません」
ペコリと頭を下げておく。もう遅いかもしれないけど。
「いいや。セシルがオールポート伯爵家とのことで苦しんでいても、助けることができなかったことは、学生時代、あまり親しくなかった私でも忸怩たる思いがあった。お前の友人は今でも……消化しきれない思いを抱えているだろう」
おっさん……じゃないダドリー王子。……なんだよ、お前、俺と友人じゃなかったのかよ。
「また、声に出てるぞ。そのことはお前の兄、レイフ・ハーディングに聞け」
「はい」
俺は両手で口を塞いだまま頷いた。口は災いの元だよ、セシル。
「今日は急に呼び出してすまなかった。春の夜会では声がかけられず、秋の夜会ではと息込んでいたが、仕事が忙しくてな。夜会の参加が難しくなった。それで……とにかく話がしたくてな」
「はぁ……。そんなに太ったおっさんが珍しいですかね?」
王宮の中には、わんさかといるでしょ? 悪どいことしている大臣とか、お金をチョロまかしている使用人とか、ふくよかで頭頂部が寂しい脂ぎった人。
「おっさん……。セシルには似付かわしくないな。とにかく……セシルがセシルであったことが知れてよかった。本当はな、学園を卒業するまでにはセシルとの蟠りを消し、私の側近になってもらおうと思っていた。お前の周りはガードが固くてなかなか近づけず、もたもたしていたら姿を消されてしまった」
ハハハと昔のことを空笑いで話すダドリー王子。俺は記憶喪失がバレないように、涼しい顔で聞いていた。もちろん心のお喋りが漏れないように口はキュッとチャックだ。
「ずいぶんと遅くなったが、これからよろしく頼む。この立場だとお前のように率直に話してくれる奴はありがたい」
「……俺、忙しいんですが」
オールポート伯爵領の経営で目まぐるしいのよ? 王子のお友達業務までは手が回らないかもしれん。
「お前……やっぱり変わらないな。いいから、よろしく」
サッと手を差しだされたから、反射的に握ってしまった。うおおおおっ、王子と握手しちゃったよ。ミーハー心が満たされるぜ。
「……!」
「ん?」
にぎにぎ。ぷにぷに。にぎにぎ。ぷにぷに。
「お前の手……気持ちいいな」
「離せっ」
ブンッとおっさん王子の手を振り解く。きえぇぇぇぇぇぇっ、気持ち悪いいぃぃぃぃぃっ。
「そんなに、柔らかい手を握りたかったら、デブ大臣の手でも握ってこい」
「誰が握るかっ。気持ち悪いこと言うなっ」
「俺だって気持ち悪いわっ。お前、早く結婚しろよ」
「余計なお世話だ。婚約者があと一年間、留学から帰らないんだからしょうがないだろうっ」
ギャーッ、ギャーッと騒いでいたら、おっさん王子の執事長が来て叱られた。めちゃくちゃ叱られた。俺……もう三〇過ぎたおっさんなのに。伯爵なのにぃ。
「私なんて王子だぞ」
うるさいっ、おっさん王子。お前がたいした用事でもないのに王城に呼びつけるからだろうーがっ。
俺は帰りの馬車の中でプンプンと頬を膨らまし、超絶不機嫌状態で帰路についた。
「何事もなく、ようございました」
王城から帰った俺を出迎えてくれたのはヴァスコだった。
不機嫌な俺はヴァスコに八つ当たりをする。
「だいたい、なんでベンジャミンの同行を邪魔したんだっ。おかげで王子の前での暴走が止まらなかったんだぞ」
余所の執事に子どものように叱られるなんて、はずかちい。
「さて、王子殿下からの呼び出しの内容がわかりませんでしたので」
しれっと俺の不満を躱したヴァスコが教えてくれた、同行者がディーンだった理由。それは二つあった。
まずひとつ。無知を装うことができる。
オールポート王都屋敷の執事ヴァスコやオールポート家の執事長が俺と同行していれば、たとえばコーディたちがやらかしていたころの税制や悪事について追及されたら逃げられない。
そのほか、現在行っている領地経営、特にハーディング家との共同事業の話や、俺が嫌がらせのように登録しまっている商業ギルドの件など、知らぬ存ぜぬでは許されない。
でも、若いディーンと白豚伯爵である俺のコンビだったら、詳しい事は執事に聞いてくれ、という呪文が通じる。この僅かな時間稼ぎが大切らしい。
実際、ヴァスコは俺が馬車で出発したあと、ベンジャミンをハーディング家まで使いに出していた。
もうひとつが……。
「ええーっ? ディーンが虫よけ?」
つまり、おっさん王子が俺に無体なことをしようとしたり、どっかのバカとの縁談話を押し付けようとしたら、秘密の恋人作戦をかまそうと企んでいた。
でも、ディーンも俺もそんな作戦知らないよ?
「若い従者が付いてきて、縁談話に難色を示す。つまり、そういうことだと勘ぐる者は多いのです」
ニッコリと狸爺のヴァスコは笑う。俺とディーンの腕には、ばぁーっと鳥肌が立った。
冗談じゃすまないよーっ。この世界での恋愛はノーサンキュー。俺は父親業に邁進しまーす!




