おじさんたちの飲み会
騒がしい一日を終えて、俺はちゃんと忘れずにダイエット運動にも励んで、ディーンの介添え付きで入浴も済ませたあと、ベッドに寝っ転がった。
「じゃあ、マッサージをしていきますよ」
グイッと腕まくりしたディーンの前に、見事に脂が乗ったお肉をさらけ出す白豚が一匹。ブヒー。
「イテッ! あー、イタタタタッ! ディーン、お前わざとだろう? アーッ!」
「うるさいですよ、セシル様。こうして強めに揉んでセルなんとかを潰すんでしょ」
そうだけど……そうだけど……めちゃくちゃ痛いんだよね。
こうして、ブヒブヒじゃない、グスグスと鼻を鳴らしながら眠りへと落ちていった。
コトンと目の前に置かれた琥珀色の液体が入ったグラスを、再会した悪友はにんまりと笑って見つめた。
「ずいぶんいいものを出してきたな。これはベンの秘蔵の酒だろう?」
カットグラスを手に取り、魔道具ランプの灯りに透かして注がれた酒の色を見ている旧知の友の顔に、どこか安堵する自分をベンジャミンは感じていた。
「しかし……あのセシル様の変わりようは何とも言えんな」
コクリと一口飲み、また灯りに透かしては満足そうに頷く、オールポート伯爵騎士団団長のハリソンの言葉にベンジャミンは無言で酒を口に含んだ。
「記憶喪失……いずれは失くした記憶も戻るかもしれん。そのときは元のセシル様に戻っちまうのか? ベンジャミンはそのとき、どうするつもりだ?」
あの、領地経営にやる気を出した伯爵が、記憶を戻せば意思のない廃人のような目で黙々と差し出した書類にサインをするだけになってしまう。
そうなれば、動き出したことが全て無駄になるかもしれない。
「……セシル様から書状を預かっている」
ベンジャミンは右手の人差し指と中指で胸の内ポケットから白い封筒を取り出すと、ハリソンへと渡した。
「っ! こ、これ……セシル様はオールポート家を離籍してハーディング家へ戻るって書かれているぞ!」
「ああ。しかもオールポート伯爵にはシャーロット様が就き、後見をハーディング侯爵が務める。その約定でもある」
記憶を戻され、今のセシル様がいなくなった場合……つまり領地経営に精を出しシャーロット様に愛情を向け、ダイエット運動というおかしな行動をするセシル様の意識が失われたとき、セシル様は生家であるハーディング侯爵家へと戻られる。
セシル様を愛して止まない家族の元へと戻られて、そのまま静養なされるだろう。
忌まわしきオールポート伯爵家でのことを忘れて……。
当主がいなくなったこの伯爵家に、悪しき手が伸びないよう、セシル様は兄上であるハーディング侯爵様へ、いざとなったときの後見役を頼まれていた。
これにより、シャーロット様は未成年でも次期伯爵として群がる親族を牽制することができる。
ハーディング侯爵様からの庇護はそれだけではないだろう。現在雇用している家庭教師の二人はそのままに、さらに貴族間の繋ぎができるであろう人材を派遣してくれるはずだ。
……オールポート伯爵家はセシル・ハーディングの犠牲により、豊かな領地へと息を吹き返す。
「ちっ、イヤな話だな。そもそも、先代の思惑を潰せなかったのが間違いか」
当時はまだ一介の騎士だったハリソンが主人である先代伯爵に異を唱えるわけがない。当然、私は父に意見をしたが無視された。
「私はそれより、ハーディング侯爵夫人を遠ざけなかったことを後悔している」
「あー、あの気味悪い女な……」
カランとハリソンの手の中で氷が高い音を立てる。
ハーディング侯爵夫人、いや前夫人か……。確かにハリソンの言う通り気味悪い女性であった。自分以外に愛情を向けない、自分以外が愛されることを憎むような苛烈な女性だった。
「小さい頃のセシル様、自分の母親を警戒していたからか、ここに来ても笑顔ひとつ見せなかったものな。まあ、うちのお嬢様も大概だったが」
「そうだな……。お嬢様の執着がセシル様に向いてしまったことも不幸だった」
セシル様は女運がないなと笑ったあと、深いため息を吐くのは止めろ。私までどんよりとした気持ちになるだろう。
「せっかくお前が戻ってきたのを祝おうと飲みに誘ったのに」
「しょうがないだろう? まさかセシル様があんなに楽しい変貌を遂げているとは思わんだろう」
友は、グイッとグラスの中の酒を飲み干し、勝手に手酌で酒を注ぐ。
「領都クレモナの改革。西側領地サレルノの産業興し。こことタウンハウスの使用人の戒めは済んだ。あとは騎士団の綱紀粛清。まずはオールポート伯爵家を立て直さなければ」
「うえ~っ。ここの騎士たちを鍛え直したあとは、各地に派遣できるように新しく騎士を育てて……んでスパイができるような奴も育てんと。セシル様が話していた各地を巡回する騎士ってそういうことだろう?」
眉間にシワを刻んでいるわりには楽しそうに目を輝かしているハリソンに、グラスを掲げてみせてやる。奴もグラスを掲げ真面目な顔で禁句を呟く。
「……セシル様。記憶戻らないといいな」
「ああ、そうかもしれんな」
今のセシル様の元、オールポート伯爵家はどんな発展をしていくのか。どんな新しいことが待っているのか。私とハリソンの気持ちが高ぶっていく。
そう、今のセシル様の元で。以前の私たちがこの家の生贄としたセシル様ではなく、私たちを信頼し親しく接してくださる今のセシル様が、このままずっと……。
ゴンッ!
テーブルの上に荒々しく酒瓶が置かれる。
「「…………」」
「こちら追加でどうぞ。お二人とも、正しくオールポート伯爵家の使用人ですね! セシル様のことなどただの駒だと思っている。反省も罪悪感もお持ちでないようだ。……いつまであの方に犠牲を強いるつもりか? 俺たちの領地でしょうが。俺は……セシル様の使用人です」
ペコリと軽く頭を下げたあと、くるりと踵を返し去っていくディーン。
残された二人は苦い酒を無言で飲み続けた。




