父親、家庭教師を警戒する
イライアスって誰?
誰も答えてくれず、気まずい空気が流れる。
「あの……オールポート伯爵様はイライアス様を御存知ない?」
チャキと眼鏡のブリッジを押し上げてクラリッサ女史が静かに問いかける。ひっつめ髪に眼鏡で隙のないドレス……まさしくガヴァネスの見本だ。そして、その質問には誤魔化せない圧を感じる。ひーぃ。
「そんなまさか。オールポート伯爵様にとってイライアス様はもう一人のお義兄様ですよ。知らないなんてことはないでしょう」
クラリッサ女史の圧とレックスの遠回しな脅迫に、白豚はガクガクです。
だって、レックスの奴、こちらを気遣うフリして全然笑ってない目でジロリと見てくるんだもんよー。こえぇぇぇぇっ。
「……すみません、イライアス様、知らないです」
沈黙。
チラッとベンジャミンを見ると、呆れてため息を吐いていらっしゃいます。
そうだよねぇ。俺の記憶喪失のことは家庭教師として本採用が決まったら伝えるはずだったんだ。黙っているという選択肢もあったが、家庭教師に正直に話すほうがメリットがあったからね。そう、俺の教育もついでに担ってもらうというメリットが!
だって、異世界産の魂の俺だよ? わからないでしょう、貴族社会とか常識とか。
まず、貴族名鑑を暇があれば読むようにしているが、頭の中に入ってこない。それもそのはず、みんな外国名だから。
ちっ、この世界に漢字文化はないのか。
算術は余裕だけれど歴史は全くダメ。言語は勝手に日本語に翻訳され、書くのも自動書記のように日本語を書いてるのにこちらの文字になっているから大丈夫。芸術面はどうだろう? カラオケには自信があったけど楽器はなぁ。ソプラノ笛じゃダメ?
あと、今はいいけど痩せたらダンスは踊らないとダメでしょ? でも俺、踊ったことないよ?
ここら辺の教育をシャーロットちゃんの家庭教師に習おうと思っていたんですよ。
だから、いずれは記憶喪失のことを話すつもりだったけど、間抜けにも自分でバラしてしまうとは……トホホ。
「クラリッサ女史。レックス様。事情をお話しますが、他言無用でお願いします。ハーディング侯爵様は御存知ですが、イライアス様や前侯爵様は……」
ベンジャミンが口ごもると、クラリッサ女史は小さく頷き、レックスは大きくため息を吐いた。
「わかりました。事情をお伺いしても?」
言っておくが、俺の事情を知ったからといって家庭教師に本決まりしたワケじゃないからな! それはそれ、これはこれとして厳しく見定めてやるから覚悟しろよっ、レックス!
あ……クラリッサ女史は大丈夫かな? なんかもう、彼女は家庭教師に決定でいいんじゃないかな?
決して、クラリッサ女史の圧に負けたわけではない! 決して。
早速、勉強を始めましょうとクラリッサ女史とシャーロットちゃんはシャーロットちゃんの自室へ。
クラリッサ女史の荷物はマリーが預かり客間へ。そのままマリーとライラで客間を整えてくれるらしい。
レックスは今日一日シャーロットちゃんを観察して、明日から授業を始めるとか。観察? おのれレックス、疚しい下心アリアリじゃないだろうな?
俺がギリギリと歯軋りしていたら、ベンジャミンがマナーの教師として、今日一日シャーロットちゃんの姿勢や足運び、食事やお茶、言葉遣いなどをチェックするのだと説明してくれた。
そして、明日からはシャーロットちゃんの悪いところを矯正していくのだとか。
本当に? シャーロットちゃんのこといやらしい目で見ない? としつこく問い詰めたら、ベンジャミンからものすごく冷めた目で見られた。
だって、心配なんだもん。
「とりあえず、イライアス様にお礼状を書いたらどうです?」
ディーンの奴が珍しく助け船を出してきた。うん、俺もこのままベンジャミンの絶対零度の視線に晒されていたら凍っちゃう。
白豚の氷像なんて誰も見たくないだろう。
「そうだな」
さっき初めて知った兄上のパートナー、イライアス・ハーディング様にお手紙を書こう、そうしよう。
ガチャリと執務室の扉を開けて、今日もお仕事頑張るぞー!
むむむ。
今日すべき執務と数通の手紙を書き終えた俺は、ベンジャミンたちと地図を眺めている。
領都クレモナのメインストリートである。
役所から真ん中の噴水広場を通り南に広がる農作地へ繋がる大通り。その役所から噴水広場までの商店街が、自称俺の後妻である下品ママとそのヒモ陰険執事のコーディが仲間たちと一緒に好き勝手やって荒らした場所だ。
今回、コーディたちの捕縛により、一緒に捕まった悪党や逃げ出したゴロツキたちが営んでいた店舗を整理して、新たに領民や行き交う商人、王都へと行き来する貴族たちが満足する街にするため、大胆な改革を行うことにした。
……と言ってもさ、元々ある店は追い出せないから、空き店舗になったところだけだけどね。
「宿屋はランク付けしたほうがいいよな」
「ランク? 泊まる客を分けるのですか?」
「そう。金持ちはこっち。ちょっと懐が寂しい人はこっちって。客層が被らないほうがいいだろう?」
役所に一番近い宿屋をラグジュアリーホテルとして、噴水広場に近い宿屋がミドル級で役所から一番遠い宿屋がビジネスホテルってかんじ。
「こっちのホテルにはレストランを併設。あとの宿屋にはなし。んでこっちのホテルの中でも部屋にグレードの差をつける」
いわゆる、スイートルームやエグゼクティブ、スタンダードなどである。
俺が何かを発言する度にベンジャミンに急かされてノーマンが必死にメモを取っている。
すまん、これも商業ギルドに登録案件になってしまうのか……。




