父親、領地に戻る
「メシを食えーっ!」
大絶叫とともにギュイーンと起き上がった俺が見たものは……知らない天井だ……いや知ってんな、コレ。
ああ、オールポート領の屋敷の天井だわ。正しくはベットの天蓋だ。
むにゃむにゃと二度寝を決めこもうとした俺の目に、いつの間にか部屋にいた使用人の姿が映る。
メイドのメイが洗顔用の盥を手に無表情で俺を見ている。
これでも彼女の俺に対する態度はマシになったのだよ。イヤイヤ王都に付き添った彼女は、俺の真摯な伯爵ブリに感銘を受けたのか、害虫を見るような蔑んだ目から道端に落ちているゴミを見る目になってくれた。
え? どっちも変わらないだろうって?
そんなことないぞ。ゴミを見る目は、どうでもいい無関心な目だ。……あれ? やっぱり態度は悪化しているか?
まあ、いい。
もう一人、俺に憐みの視線を注ぐのはディーンの奴だ。
ん? なぜに憐み?
むしろ、この白豚が腹筋もないのに結構な勢いで起き上がったことに驚け! 俺は驚いた。
「セシル様。そんなにひもじいのですか?」
「は?」
ひもじい? あ、あああああっ!
「ちがっ、ちがうっ! あれは俺じゃない!」
メシを食えと前の世界の親友に怒鳴っていたのであって、俺が「メシを食いたい」わけじゃないのだ!
しかし、ディーンは俺の言葉を無視して、朝の身支度の準備をしながら誘惑してくる。
「いいのです。朝食の量を増やしましょうか? それとも今日こそはトビーたちの試作を一緒に召し上がりますか?」
「いらん!」
バカめ! ようやく体重が減り始めたのに、ここでドカ食いしたら、白豚から永遠に脱却できないだろうがっ。
俺はぶうっと頬を膨らましたまま、差し出された新聞を手に取り紅茶を飲む。
ディーンに遅れて登場したノーマンが、伯爵の一日の予定を読み上げた。
王都から戻ってきて数日、クラークたちとの報告会も終わり、ラスキン博士からのぶ厚い手紙も読み、兄上へのお強請り手紙もしこたま書き送り、ようやく一息つけられるようだ。
西側領地の視察には、兄上から派遣されたハーディング侯爵家の職人たちと一緒に行くことになっているし、トビーたちの店舗兼住居の下見にも行かないと。
改装を受け持つ大工の選定はクラークたち役所の人間に丸投げした。
その代わりにと領都クレモナのメインストリートの詳細な地図を送ってきて、改良点を考えてほしいと頼まれたっけ。
……町づくりか……楽しそうだけど、責任は重大だな。
「……セシル様、本日はハーディング侯爵様からご紹介の方がいらっしゃいます」
「ああ、シャーロットちゃんの先生か?」
「はい」
兄上と兄上のパートナーが見繕ってくれたシャーロットちゃんの先生がやってくる。
とりあえず一週間様子を見て、シャーロットちゃんが気に入れば雇い入れるつもりだ。
「さて、俺は朝の日課。ウォーキングに行こう」
運動、運動、また運動。ちょっぴり休んでバランスの良い食事に質の良い睡眠。ストレスのない仕事はムリだから、ストレスが溜まらないようにして過ごす。
白豚のダイエット生活はまだまだ続くのだ。
朝食の席。
そこには、顔色を悪くして食が進まないシャーロットちゃんがいた。
どうした?
俺は王都から帰ってきてからの自分の行動を顧みる。何もやらかしてないはずだ。
王都土産も喜んでくれたし、虐待を受けていたシャーロットちゃんの体を心配して毎日医師の診察を受けてもらって、先日ようやくトビーたちの試作を食べる許可も出た。
美味しくて見た目もかわいいお菓子に大喜びだったとライラから聞いている。
兄上のパートナーに頼んで既製品ではあるが、何着かドレスと小物も誂えた。今度、王家御用達の本人がシャーロットちゃんにドレスをデザインして作ってくれるんだぞ。
……婚約も焦らしていない。
あのぼんくら息子の件があったからシャーロットちゃんの婚約は慎重に慎重に、もういっそ結婚しなくてもよくね? のスタンスだ。
女伯爵だから夫に求めるのは身分ではなく、シャーロットちゃんへの愛と領地経営能力のみ。
だったら、シャーロットちゃんがあんなに顔色を悪くしている問題はなんだろう?
「シャ、シャーロットちゃん? どうしたのかな? ぐ、具合でも悪い?」
ホカホカの湯気が立つスープにも、キレイに飾られたサラダにも、ベーコンエッグにも手を出さないなんて。
甘いフルーツも香り高い紅茶もあるのに。
「……お父様。だ、大丈夫ですわ」
うーそー! そんな日本人の「大丈夫です」みたいな、大丈夫じゃない大丈夫はダメだよーっ。
「コホン」
おっと、シャーロットちゃんの後ろに控えていたマリーがわざとらしく咳をして、チラッとこちらを見たぞ。
「な、なんだ?」
「発言を失礼します。お嬢様は今日いらっしゃる家庭教師の先生にお会いするのに……」
「ゴクリ。お会いするのに?」
…………うーっ、沈黙が痛いぞーっ。
「……緊張しているだけですわ」
「マリー! 言わないで」
マリーがニヤリとメイドらしからぬ表情で笑うと、シャーロットちゃんが頬をバラ色に染めて恥ずかしがる。
「……そうか。よかった、どこか悪いのかと思った」
今までが酷い環境だったからね。どこか体に影響が出てないならいいんだ。
ホーッと胸を撫でおろしていると、シャーロットちゃんが微笑んでこちらを見ていた。
「ん?」
「いいえ。ありがとうございます、お父様」
いい子ーっ。この子は本当にいい子ーっ。
その微笑みはプライスレスだよおおおぉぉぉぉぉっ!
こうして白豚と天使の朝食の時間は和やかに過ぎていった。




