セシル、幼少のころ Ⅰ
僕の最初の記憶は窓から降り注ぐ暖かな陽光と、明るい色合いの部屋とかわいいぬいぐるみたち。
そして、キレイな女の人の甘ったるい声だ。
「わたくしのセシル、かわいい子」
僕の部屋に一日に何度と訪れるそのキレイな女の人は、「かわいい子」とぼくの名前を呼びながら頭を撫でる。
口角をキュッと上げて微笑み、魅入られた瞳でぼくの顔を見つめているけれど、いつの頃からか、彼女は僕の顔を見ているのではなく、自分と似た顔立ちの僕の顔を自分だと思って讃えているだけだとわかった。
そのことを残念に思う気持ちはない。
なぜなら、成長するとともに自分が置かれている環境が少し特殊ではないかと疑問を持ち始めていたからだ。
まず……メイドの入れ替わりが激しい。三ヶ月以上続くメイドがいない。そのうち、メイドたちが僕とキレイな女の人に対して過剰に怯えた態度をとるようになる。
定着しないメイドも問題だが、僕には乳母がいない。
貴族、それも侯爵家の子どもに乳母がいないなんてことはあり得ない。
それでも、僕の記憶には乳母はいなかった。
僕のその小さな世界には、キレイな女の人と顔を覚える前に次々と代わるメイドと、年老いた執事が訪れるだけ。
たまに執事に手を引かれて赴く飾りのない部屋には、体が大きく顔の怖い紳士が座っていた。
三歳を過ぎる頃、キレイな女の人は自分の母親で顔の怖い紳士は父親だとわかった。
あと……メイドを交代させているのは母の癇癪が原因で、みんな母に怯えているのだと。生まれたときにはいた乳母も母が解雇した。そのあとも何人か乳母が雇われたが、全員母が追い出していた。
「セシルに相応しくない」と言って。
母親の暴挙に巻き込まれたくないと遠巻きにされ、僕が孤独を感じ始めた頃に兄がいることを知った。
その日は、母親が来ない日だった。母がいないと呼吸が楽でどこかホッと安心している自分を不思議に思いながら、窓から外の庭をぼんやりと見ていた。
そこへ、剣術の稽古帰りの兄が木刀を持ち教師の男と二人、親し気に会話を交わしながら通り過ぎていく。
「あの子、だれ?」
僕が指さした人物を見たメイドの顔色が悪くなる。
どうして?
「あ、あの方はレイフ様です。その……その、セシル様の……お兄様です」
ブルブルと震えてメイドは声を振り絞ってぼくに伝えた。
「お兄様?」
コテンと首を傾げる。僕のお兄様? 僕より背が高くて大きな口で笑って……あの人が僕のお兄様。
「会いたいな」
「ダメですっ!」
メイドの叫び声に僕は飛び上がって驚く。
「ダメです。レイフ様は奥様からは遠ざけられていて……だから、セシル様とレイフ様はお会いしてはいけません。奥様がお怒りになられます!」
顔を真っ青にして目を剥いて僕に忠告するメイドの異様な姿に、僕は恐怖を覚えた。
そのときは「わかった」と頷いたが、父に似た兄への興味を失ったわけではなかった。
「セシルはこの色が似合うわ」「セシルはこっちの服がいいわ」「セシル」「セシル」
母の干渉がうるさいと思い始めたのは四歳になる頃だ。
このときには、父も母の異常さをわかっており、僕と母が会う回数と時間を制限するようになったが、それでも母の巻き散らす毒はハーディング侯爵家をじりじりと脅かしていた。
乳母もメイドも母が解雇してしまうので、僕には従者を付けることにした。しかも父と同じ年代の者ばかりで、ときには母の行動を力づくで制止していたようだ。
僕は僕で、歪んだ母の思いに邪魔されていた教育を詰め込めるだけ詰め込んでいた。
同年代の子どもよりも劣っていることはハーディング侯爵家の子息として許されないし、何よりも敬愛する兄上のようになりたかった。
兄は母に嫌われていた。ただ自分に似ず父に似ているという理由だけで、母からは手を振り払われていた。
それでも兄は曲がらずハーディング侯爵家嫡男として優秀に、母の愛を独占している弟さえも慈しむことができる聖者のごとく成長した。
兄や父と交流が盛んになると、益々母を忌避する気持ちが強くなっていく。
「セシル」と呼ぶ声に背筋が寒くなる。「キレイな子」と頬を包む手には嫌悪で顔が歪む。
母は自分に似た僕に、自分を重ねて愛しているだけだ。究極のナルシストであり狂人だった。
僕が五歳になるころには、僕の近くにいる人へ暴力を振るうようになっていた。
「セシルはいずれ最も高貴な者となるのよっ。貴方たち下賤な者が触れるでない、見るでない! セシルはこの世で一番美しく神に侍るべき子なのよ」
キャーハハハハハハッと笑っては髪を振り乱し、手当たり次第に物を投げつけた。
父は母を領地の屋敷で軟禁することを決める。外聞があるため病気療養として。
当然、母は自分も一緒だと思っていたが、父は僕の同行を許さなかった。
暫し、ハーディング侯爵家のタウンハウスには平和が訪れた。父と兄と食事をして、勉強したことを話すのが楽しかった。
だが、それも母が壊してしまう。
僕に会いたいと暴れる母に、とうとう父が折れたのだ。
一年に一~二度領地の屋敷で母と会うことになった。最初は父が付き添ってくれたが、領地の屋敷の変わりように父は唖然としていたようだった。
その屋敷は既に母の手に落ちていたのだ。




