第49話 聖女の決断、世界の分岐点
聖王国ルミネリア王都ルミエールの朝は、静謐そのものだった。
白亜の大聖堂――ルミエール大聖堂。
そのステンドグラスを透過した光は、まるで祈りそのものが形を持ったかのように、床へと淡い色彩を落としていた。
いつもと同じ平穏……に見えるが、空気は確実に“揺れていた”。
――アルヴェリア王国滅亡。
「……世界が、急ぎすぎていますね」
祭壇の前で祈りを終えた少女
――セラフィア・ルミナスは、ゆっくりと立ち上がる。
白銀の髪がさらりと揺れ、朝の光を受けて淡く輝く。
その姿はまるで“光そのもの”の具現。
聖女にして王。
象徴であり、支柱。
その瞳には、今日はわずかに影が差していた。
窓の外を見るセラフィアの表情は穏やかだが、そのまなざしは遠い未来を映していた。
そこへ、慌ただしい足音。
「せ、聖女様……ご報告がございます!」
大聖堂の扉が、わずかに乱暴に開かれる。
駆け込んできたのは、神官長エルミア。
普段は冷静沈着な彼女の額には、明らかな焦りの汗が浮かんでいた。
「落ち着いてください、エルミア。……何が起きたのですか?」
セラフィアの声は静かだ。
だが、それだけで空気が整う。
エルミアは一度深く息を吸い、言葉を整えた。
「魔族圏《アズラ領域》にて、不穏な動きが複数確認されています。
アルヴェリア滅亡を契機に……周辺の魔王派閥が、衝突を開始しました」
「勢力争いを始めましたか?」
「はい。派遣した密偵の報告では……“帝国”が動いたとの噂も」
その名を口にした瞬間、空気が一段冷えた気がした。
「帝国は現在も沈黙を貫いております。こちらの問い合わせにも、“領内警備強化”のみの返答で……」
「帝国は沈黙の時こそ最も危険です。
次の一手を計算しているのでしょう」
迷いなく断言する。
「彼らは常に、“次の一手”を盤上で組み上げている。……見えないところで」
エルミアは小さく頷く。
「さらに……もうひとつ。連邦にて“召喚儀式”が進行しているという情報が」
「召喚……? 異世界から、ですか」
「はい……ただ、信憑性は五分といったところですが……」
沈黙が落ちた。
エルミアが言葉を選びながらも、緊迫を隠せない様子で報告を続ける。
セラフィアは、静かに目を閉じた。
(世界が、壊れようとしている)
それを止められる者が、果たしてどれほどいるだろう。
「……ならばこそ、私たちが動かなければなりませんね」
静かに、だが確かに。
その一言で、流れが決まる。
「聖女様。
次の魔族との和平協議」
セラフィアはまっすぐ前を見据え、宣言した。
「私も参加します」
その瞬間、場の空気が凍りついた。
「聖女様ッ!」
鋭い声が大聖堂に響き渡った。
中庭から飛び込んできたのは、聖騎士団長レオネルト・ヴァレンシア。
白銀装甲に刻まれた光紋が、朝の光を反射して輝く。
「い、今……なんと仰いました!?」
「和平協議に、私自身も参加すると言いました」
「な、なりません! 絶対に!」
即答だった。
迷いも躊躇もない、拒絶。
レオネルトは騎士らしからぬ勢いで声を荒げた。
「聖女様が前線に出られるなど、あまりにも危険です!
和平協議の場所は《陽炎の里》……砂漠地帯で監視も困難。
魔族が紛れ込めば、いかなる危険が!」
神官たちもざわめき、否定的な声が次々と上がる。
「聖女様、言葉だけでよろしいのです! ご自ら赴く必要は」
「書簡のやり取りで」
「まずは代理の使者を」
反対の渦。その中心で、セラフィアは一歩前に出た。
「皆さん、落ち着いてください」
その声は穏やかで、しかし揺るぎなく響く。
「和平を実現するには……“姿勢”が必要です。
聖女である私自身が、歩み寄る姿を示さなければ」
静寂。
レオネルトは苦悩に満ちた顔で拳を握りしめる。
「……しかし……っ」
「心配ならば。あなたが護ってください」
「……っ!」
セラフィアは微笑んだ。
「頼みます、聖騎士団長」
レオネルトはしばらく固まり……最後に、膝をつき頭を垂れた。
「……聖女様のお望みとあらば……
この命すべてを懸けて、お護りいたします」
その後に開かれた“対魔族協議会議”は、冒頭から荒れに荒れた。
会議室内では、強硬派と穏健派が激しく火花を散らしている。
「魔族との和平など時期尚早だ! 奴らは必ず裏切る!」
「いや、強硬姿勢を続ければ争いは拡大するだけだ!」
議論は混沌とし、まとまりそうもない。
しかし、セラフィアのたった一言が空気を変えた。
「私は、行きます」
その場がシンと静まり返る。
「心強い護衛もいます。
どうか……この決断を、信じてください」
反対派の目に浮かんだのは、迷いと恐怖とわずかな敬意。
聖女が前に出るという覚悟は、誰にも否定しきれない。
「……聖女様がそこまで言うなら……」
「我々も、全面的に支援を」
「ルミネリアの未来のために……」
やがて全会一致で、セラフィア同行が承認されることとなり、聖王国の歯車は大きく動き始めた。
会議が終わり、自室へ戻ったセラフィアは、ようやく重い息を吐いた。
部屋には彼女ひとり。
「……はぁ……ここまで動くとは……思いませんでしたが」
窓枠に指をそっと置き、砂漠方面に視線を向ける。
(本音を言えば……怖い)
魔族との和平は危険を伴う。
アルヴェリア滅亡の余波で、世界の均衡は揺れ、魔族の内部でも不穏が渦巻いている。
(けれど、それでも前へ進まなければ……争いは終わらない)
その決意を支える“存在”がいる。
セラフィアはそっと胸元に手を当て、誰にも届かぬ声で呟いた。
(バレスタ・クローン……
あなたの力も、お借りします)
彼が同行すれば、万が一が起きても――
(……守れる。きっと)
セラフィアの指先がほのかに震え、それを祈りの動作に紛らわせた。
翌日。
大聖堂に隣接する騎士団区画は、朝から騒然としていた。
「砂漠地帯の地図を確認しろ! 陽炎の里は蜃気楼が多いはずだ!」
「先行する隠密部隊から報告! 里周辺は今のところ安全!」
「補給馬車は三隊に分けて運行! 熱砂対策を忘れるな!」
聖騎士団が全力で動き始めていた。
「……本当に、行くんですね……?」
神官長エルミアが震える声で尋ねる。
「ええ、行きます。争いを終わらせるために。
私が歩かなければ……
誰が歩むというのです?」
セラフィアは迷いなく答えた。
王都の東門には、聖女を護るための選抜部隊と、外交団一行が整列していた。
レオネルト団長は膝をつき、胸に拳を当てる。
「光の御方よ。この命、捧げます。
必ずや聖女様を《陽炎の里》までお送りいたします」
セラフィアは静かに頷いた。
風が吹き、白銀の髪を揺らす。
その姿は、大陸史に残る“光の旅立ち”の瞬間であった。
その頃、世界のあちこちで――
帝国は沈黙し、
魔族圏は警戒を強め、
連邦では巨大な魔法陣が構築されつつあった。
誰もまだ知らない。
この旅立ちが、後に“世界の命運を左右する光”となることを。




