第26話:風の神殿と、裏切り者の聖職者
風の神殿への道は、もはや試練と呼ぶのも生ぬるいほどの、荒れ狂う暴風の壁と化していた。
『深淵の暁』の使徒たちが、俺たちを足止めするために、山の天候を操る結界を暴走させたのだ。
「アルトさん、このままでは…!」
「俺に掴まってろ!」
俺はエリアの身体をしっかりと抱き寄せると、【星砕き】に俺自身の膨大な魔力を注ぎ込んだ。剣が蒼い光を放ち、周囲の風をねじ伏せるように、俺たちの周りに穏やかな空間を創り出す。
俺たちは、その静寂の領域に守られながら、暴風の中を、まるで嵐の目の中を進むように、一直線に神殿へと突き進んだ。
やがてたどり着いた山頂には、雲の上に浮かぶようにして、巨大な石造りの神殿が鎮座していた。
神殿の入り口では、先行していた『深淵の暁』の使徒たちが、最後の防衛線を張っていた。
だが、彼らの放つ闇の魔法は、もはや俺には通用しない。
俺は、剣を振るうまでもなく、指先から放つ衝撃波だけで彼らを戦闘不能にすると、神殿の最奥へと急いだ。
神殿の最奥は、巨大な祭壇の間になっていた。
その中央に、巨大な竜巻となって渦巻く、凄まじい風のエネルギーの塊が、一つのクリスタルを封じ込めている。
『風の宝玉』。
この山脈の天候を司り、そして「大いなる厄災」の一部を封印する、二つ目の『鍵』だ。
そして、その祭壇の前には、二人の人物がいた。
一人は、この神殿を守護する聖職者である、風の民の末裔。白く清らかな衣をまとった、穏やかそうな老人だ。
そしてもう一人。先行していたはずの、黒いローブの使徒。
だが、状況は俺たちの想像とは違っていた。
ローブの使徒は、祭壇に近づこうとはせず、むしろ、聖職者の老人を守るようにして、祭壇に立ちはだかっていたのだ。
「何…? どういうことだ…?」
俺が状況を飲み込めずにいると、ローブの使徒が、そのフードをゆっくりと外した。
現れたのは、苦悩に満ちた、若い女性の顔だった。
「間に合ってよかった…。貴方たちが、ドワーフの族長が言っていた『希望の光』ですね」
「お前は、『深淵の暁』の…」
「私は、もともとこの神殿に仕える者でした」
彼女――セラの語った真実は、衝撃的なものだった。
今回の事件の黒幕は、『深淵の暁』ではなかった。
本当の裏切り者は、この神殿を守るべき立場にある、あの穏やかそうな聖職者の老人だったのだ。
「長年、この風だけの孤独な世界で、神に仕えることに、老師は絶望してしまわれたのです…。そして、人の心を惑わす『深淵』の声に、魂を売ってしまわれた…」
聖職者の老人は、セラの話を聞きながら、静かに笑っていた。
「そうだ。ワシは、この退屈な世界を終わらせることにした。この世界を、一度無に帰し、偉大なる厄災様の手によって、新たなる混沌の世界を創り出すのだ!」
その顔は、もはや聖職者のものではなく、狂信者のそれだった。
彼が杖を振り上げると、暴走した風のエネルギーが、彼を守るように渦を巻く。
「セラよ、お前も無駄な抵抗はよせ。そして、外から来た者たちよ。ワシの長年の悲願の邪魔はさせん!」
「アルトさん!」
「ああ、わかってる。敵は、あっちのじいさんか」
俺は【星砕き】を構える。
裏切り者の聖職者は、風の魔法を巧みに操り、真空の刃や、全てを圧し潰す風の塊を、次々と放ってきた。
だが、その全ての攻撃を、俺は剣一本で切り裂き、あるいは弾き返し、一歩、また一歩と、彼我の距離を詰めていく。
「な、なぜだ…!? ワシの長年の研鑽の成果である、この神速の魔法が、なぜ赤子のようにあしらわれる!?」
「あんたの魔法は、速いだけだ。だが、俺の世界では、あんたは止まって見える」
俺は、彼の目の前に、音もなく移動していた。
俺が振り上げた剣を見て、彼は最後の抵抗とばかりに、祭壇に渦巻く『風の宝玉』の封印を、完全に解こうとした。
「フハハハ! もう遅い! 厄災は、今、ここに解き放たれるのだ!」
封印が解かれ、凄まじい破壊の嵐が、神殿全体を吹き飛ばさんと暴れ狂う。
だが、俺は冷静だった。
俺の目的は、封印を護ることではない。
厄災そのものを、この世から消し去ることだ。
俺は、暴走する風のエネルギーの中心にある、厄災の核――『嵐の心臓』だけを見据え、解放の一太刀を振り下ろした。
【星砕き】が、世界が二つに割れたかのような閃光を放つ。
その一撃は、暴れ狂う風のエネルギーそのものを、根源から両断し、その中心にあった厄災の核を、完全に消滅させた。
嵐が、嘘のように止む。
神殿には、静寂が戻った。
「ば…かな……ワシの…ワシの、長年の悲願が…たった、一振りで…」
裏切り者の聖職者は、目の前の現実を受け入れられず、その場に崩れ落ちた。
彼の野望は、完全に潰えたのだ。
こうして、二つ目の封印は、破壊という形で、その役目を終えた。
俺たちの手元には、新たに『嵐の心臓』の気配が加わった。
そして、元『深淵の暁』のセラは、俺たちの仲間になることを誓った。
「私の犯した罪は、決して消えません。せめて、残りの人生を、貴方たちと共に、世界の封印を守るために使わせてください」
新たな仲間と、新たな厄災の欠片。
俺たちの旅は、さらに重く、そして、さらに複雑な様相を呈し始めていた。
だが、俺の心は晴れやかだった。
世界の運命を巡る戦い。望むところだ。
俺は、次なる封印の地を示す、古代の地図を広げるのだった。




