第19話:過去との決別と、新たなる伝説の序章
静まり返ったギルドの中、俺に指一本で制圧され、床にへたり込むガレスの呻き声だけが虚しく響いていた。
ギルドマスターのマードックは、最初こそ驚愕に目を見開いていたが、やがて状況を把握すると、深く、長い溜息をついた。
「…ボルグ! そこの愚か者どもを叩き出せ! ギルド内で騒ぎを起こした罰として、一週間の依頼受注禁止を言い渡す!」
測定官だった熊のような男、ボルグが「へい!」と威勢よく返事をし、他の衛兵たちと共に、まだ呆然としているリリアナと、恐怖に顔を青くするケビンを両脇から抱え上げ、ガレスを引きずるようにしてギルドから追い出していく。
その光景を、ギルド中の冒険者たちが固唾をのんで見守っていた。
そして、彼らが俺に向ける視線は、もはや以前のような「得体の知れない新人」を見るものではなかった。
畏怖、驚嘆、そして、絶対的な強者に対する尊敬。
「おい、マジかよ…あの威張り散らしてた『深紅の爪』が、赤子扱いだ…」
「『測定不能』は伊達じゃなかったんだ…」
「そもそも、あの荷物持ちがいなくなったから『深紅の爪』は落ちぶれたって噂だ。つまり、元から格が違ったんだよ…」
俺が5年間受け続けた不当な評価が、今、この瞬間、完全に覆ったのだ。
「さて、アルト君」
マードックは、気を取り直して俺に向き直った。
「Bランク以上の、やりごたえのある依頼だったな。君ほどの実力者だ、普通の依頼では退屈だろう。…とっておきの『指名依頼』があるのだが、興味はあるかね?」
彼が差し出してきたのは、一枚の羊皮紙。そこには、こう記されていた。
【Aランク級指名依頼:『黒鉄の迷宮』未踏破領域の探索および最深部ボスの討伐】
『黒鉄の迷宮』。
この地方で最も難易度が高いとされる、古代遺跡のダンジョンだ。これまで数多くの高ランクパーティーが挑み、その誰もが深層にたどり着くことなく撤退を余儀なくされてきたという。
「報酬は、金貨1000枚。加えて、迷宮内で発見したアイテムはすべて君のものだ。どうだね?」
金貨1000枚。途方もない額だ。
何より、俺の新しい相棒【星砕き】と、俺自身の力を試すには、うってつけの舞台だった。
「面白い。その依頼、受けさせてもらう」
俺の快諾に、マードックは「そうこなくてはな!」と満足げに笑った。
ギルドを出て、俺とエリアは依頼の準備のために街を歩いていた。
エリアは、先ほどの出来事がまだ心に残っているのか、少し心配そうな顔で俺を見上げる。
「アルトさん…あの人たちとは、本当に、辛いことがたくさんあったのですね…」
「もう終わったことだ」
俺は、そう短く答えた。
実際に、そうだ。ガレスの拳を受け止めた瞬間、5年間、心の奥底に澱のように溜まっていた黒い感情が、すっと消えていくのを感じた。復讐は、もう終わったのだ。
エリアは、俺のその横顔に何かを感じ取ったのか、それ以上は何も聞かず、ただ、そっと俺の隣に寄り添って歩いてくれた。
「これからは、私がアルトさんの隣で、アルトさんを支えますから」
その言葉だけで、十分だった。
同時刻、アークライトの薄暗い路地裏
「ぐっ…うぅ……!」
ガレスは、赤く腫れ上がった右腕を押さえ、地面に蹲って呻いていた。アルトに握られた指は、辛うじて折れてはいなかったが、まともに力を入れることはできそうにない。
彼のプライドは、その拳と共に、完全に砕かれていた。
「なんなのよ、あれ…! なんなのよ、あいつ…!」
リリアナは、壁に背を預けて泣き崩れていた。アルトの圧倒的な力、隣にいた自分より美しいエルフ、そして、何より自分に投げつけられた「過去の人間」という言葉が、彼女の心をズタズタに引き裂いていた。
「僕たちは…とんでもない相手を敵に回してしまったんだ…」
ケビンは、血の気の引いた顔で、ただ絶望に打ちひしがれていた。
「もう終わりだ…。ギルドからも見放された。借金だって…」
パーティーは、もはや崩壊寸前だった。
その絶望的な沈黙を破ったのは、ガレスの捻じくれた憎悪の声だった。
「……そうだ」
彼は、狂気に満ちた目で顔を上げた。
「あいつが強くなった秘密…きっと、あのエルフの女だ! そうに違いない! あの女が、アルトに何か特別な力を与えているんだ!」
あまりにも突拍子もない、現実逃避から生まれた妄想。
だが、嫉妬に狂うリリアナは、その言葉に食いついた。
「そうよ! きっとそうに違いないわ! あの女さえいなければ、アルトなんてただのDランクに戻るはずよ!」
「待つんだ、二人とも! そんなことをしたら…!」
ケビンの必死の制止も、もはや彼らの耳には届いていなかった。
「あの女を捕まえよう」
ガレスは、悪魔的な笑みを浮かべた。
「あの女を人質にすれば、アルトも俺たちの言うことを聞くしかない。金も、名誉も、全部あいつから奪い返してやるんだ…!」
それは、彼らに残された最後の、そして最も愚かな選択だった。
自分たちが今、誰を敵に回そうとしているのか、その本当の意味を理解しないまま、破滅へのカウントダウンが、静かに始まった。
彼らの最後の悪あがきが、この物語に、本当の終止符を打つことになるのだった。




