第16話:果たされた約束と、落ちぶれた者たちの噂
「さて、約束は果たしたぞ。これで『資格』は得られたよな?」
俺の静かな問いかけに、森の静寂が満ちる。
エルフたちは皆、跪く守護者と、その前に平然と立つ俺の姿を、まるで現実ではないかのように見つめていた。
やがて、衛兵リーダーのリオンが、ふらふらと前に進み出た。彼は、俺の足元で深く、深く、その誇り高い頭を下げた。
「……完敗だ。いや、我々の、完全な思い違いだった。貴公は、ただの人間などではない…。我らが聖域を救ってくれた、大いなる恩人だ。疑い、弓を向けた非礼、心から詫びる!」
リオンが頭を上げた時、その瞳から侮蔑の色は消え、純粋な畏敬の念が宿っていた。他のエルフたちも、次々と俺に頭を下げ始める。もう、俺たちを拒む者は誰もいなかった。
里に戻った俺たちは、長老に導かれ、里の中央にそびえ立つ、天を突くほどの巨大な樹の前へと案内された。
里の神である『聖樹』だ。その幹や葉は淡い光を放ち、神々しい気に満ちているが、森の汚染の影響か、どこか輝きが弱々しい。
「客人よ、見事だった。君こそ『資格ある者』にふさわしい」
長老は、厳かな儀式を行うと、聖樹の幹からゆっくりと染み出してきた、虹色に輝く一滴の液体を、小さな水晶の小瓶に収めた。
【聖樹の雫】。これが、エリアの母親を救うための鍵だ。
「さあ、受け取ってくれ。我らエルフからの、心ばかりの感謝の印だ」
「恩に着る」
俺が小瓶を受け取った時、新たな問題が持ち上がった。エリアの母親がいる村は、ここから何日も離れた場所にある。一刻も早く届けたいが、どうしたものか。
すると、どこからか荘厳な声が、俺の頭の中に直接響いてきた。
『我が友よ。我が背に乗るがよい。君の大切な者の家族の元へ、風よりも速く届けよう』
声の主は、フォレスト・ガーディアンだった。浄化された彼は、テレパシーで俺に語りかけてきたのだ。
俺たちが聖樹の元へ向かっている間に、わざわざここまで会いに来てくれたらしい。
こうして、俺とエリアは、伝説の聖獣の背に乗り、空を駆けることになった。
眼下を流れる景色は、もはや風景ですらない。ガーディアンの跳躍一回で、山を越え、谷を越え、エルフの里から数日かかるはずの距離を、わずか数十分で踏破してしまった。
やがてたどり着いたのは、森の奥にひっそりと佇む、小さな村。追放されたエルフたちが暮らす、エリアの故郷だった。
エリアの案内で家に入ると、そこには、生気を失い、痩せ細ったエルフの女性がベッドに横たわっていた。エリアの母親だ。
エリアは、震える手で母親の口元に【聖樹の雫】を運ぶ。
雫が母親の唇に触れた瞬間、眩い光が部屋中を満たした。母親の身体を蝕んでいた呪いの黒い痣が、光に焼かれるようにして浄化され、消えていく。
やがて光が収まった時、彼女はゆっくりと目を開けた。何年も動かなかったはずの身体を、自らの力で起こす。そして、目の前にいる娘の姿を認めると、その名を呼んだ。
「……エリア…?」
「お母さん…! お母さん!」
二人は、涙ながらに抱きしめ合った。長い間の苦しみから解放された、感動的な再会だった。俺は、その光景を、部屋の隅で静かに見守っていた。
その後、俺たちはガーディアンに礼を言い、彼が森へ帰っていくのを見送った後、再びエルフの里へと戻った。
里のエルフたちは、今や俺たちを「英雄」として迎え入れてくれた。特にリオンは、すっかり俺に心酔したようで、何かと世話を焼いてくるようになった。
その夜、長老やリオンと話している中で、ふと、外の世界の噂話になった。
「そういえば、人間の冒険者で、『深紅の爪』と名乗る者たちが、近頃ひどい有様だという噂ですな」
リオンが、何気なく口にする。
「なんでも、非常に優秀な雑用係…いえ、縁の下の力持ちがいたそうですが、その者を理不尽に追い出した途端、何もできなくなり、Bランクからも陥落して、借金に追われているとか。自業自得ですな!」
その名前に、エリアがぴくりと反応して俺を見た。
俺は、ただ興味なさそうに「へぇ、そうなんだ」と相槌を打つだけ。
だが、心の中では、静かに決意を固めていた。
エリアの母親の件は、片付いた。
俺は、エリアに向き直る。
「エリア。あんたの母親も元気になった。これから、どうしたい?」
エリアは、一瞬の迷いもなく、俺の前に跪いた。
「私の人生は、アルトさん、あなたと出会って救われました。私のこの命、そして私の持つ力のすべては、あなたのためにあります。どうか、これからもあなたの旅に、お供させてください!」
「大げさだな」
俺は、そう言って笑い、彼女の手を取って立ち上がらせた。
「俺の方こそ、よろしく頼むぜ。相棒」
エリアは、顔を真っ赤にしながら、これまでで最高の笑顔で頷いた。
さて、これからどうするか。
世界には、まだ見ぬダンジョンも、倒すべき魔物も山ほどいるだろう。
だが、その前に、片付けておくべきことがある。
「アークライトに戻るか」
俺の呟きに、エリアが「え?」と顔を上げる。
「やり残したことがあるしな。それに……そろそろ、ケリをつけないといけない連中もいる」
俺の脳裏に、5年間俺を虐げ続けた、あの三人の顔が浮かんでいた。
俺の本当の物語は、あいつらとの過去に、完全な終わりを告げてから始まるのだ。
俺たちは、全ての始まりの場所、アークライトへと、再び舵を切ることを決めた。




