7話 黒幕登場
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
純花とシエラが、耳元で全力の悲鳴を上げた。
本当にうるさい。
悲鳴を上げたからって助かるわけじゃないのに……。
落下しながら、俺は大きく息を吸い、力ある言葉を叫んだ。
『空中浮揚!』
大音量の悲鳴に一瞬手を離しそうになったが、なんとか二人を抱えたまま離さずに済んだ。
次の瞬間、自由落下だったはずの身体が、ふわりと浮かび上がる。
まるで空気に包み込まれたように、急激な落下速度が消え、俺たちはゆっくりと地上へと舞い降りていった。
……この呪文、上下にしか動けないらしい。
エレベーターみたいな魔法だな。
左右には動けないけど、非常に便利だ。
「着地っと」
柔らかな地面に足が触れた瞬間、俺は二人をそっと下ろした。
「何なの今の! 何よそれ!?」
シエラが目を丸くしてまくしたて、純花も呆然とした顔で俺を見上げてくる。
「メリーポピンズの落下もどき……?」
自分で言っておいて、なんとも微妙な例えだと思う。
空中をゆっくり降りてくる感覚は、確かにあの映画の場面を思い出させる。
もっとも、俺の場合は傘を広げているわけでもないし、歌いながら優雅に降りてきたわけでもない。
まぁ、傘があればもっと完璧だったんだが。
……いや、こんなところで傘を開いたところで、どうなるんだって話だけど。
それに、俺の時代より前の作品だし、この世界にあるかどうかもわからないな。
そもそも、この世界が俺の知っている世界と同じ歴史を辿っているとも限らない。
そんなことを考えていると、隣から妙な声が聞こえてきた。
「ふがぁ~……」
シエラが頬を膨らませ、いかにも不満そうな顔で俺を睨んでいる。
どうやら、俺が何でもないような顔をしているのが気に入らないらしい。
「怒るなって! ちょっと厄介なことになった」
俺は苦笑しながら、シエラの頭を軽く撫でた。
「え?」
純花が小さく首を傾げる。
その表情には、まだ今起きたことを理解できていない戸惑いが浮かんでいた。
無理もない。
さっきまで俺たちは廃ホテルの三階から落下していた。
普通なら地面に叩きつけられて、大怪我をしていてもおかしくない。
それなのに、こうして三人とも無傷で地面に立っている。
しかも、その原因は俺が突然使った魔法だ。
「ちょ、ちょっと! どういうことよ!?」
シエラが声を上げる。
さっきまでの不満そうな表情から一転して、今度は焦ったように俺の服を掴んできた。
まぁ、説明したい気持ちは分かる。
俺だって、逆の立場なら聞きたい。
ただ、今はそれどころじゃない。
俺は二人の後ろへ視線を向ける。
そして、先ほどから感じている妙な気配へ意識を集中させた。
……なるほど。
ステータス画面のスキル欄にあった「気配察知」って、こういう感じか。
敵意がビシビシと突き刺さってくる。
隠れている位置も、数はもちろん、誰が一番殺意を強く持っているのかまで鮮明にわかる。
背後は、さっき飛び降りた廃ホテルの壁だ。
これなら背後からの奇襲は防げる。
しかし、正面には複数の気配がある。
廃ホテルの周囲に散らばり、こちらを取り囲むように待ち構えている。
ばれても構わないという余裕か。
それとも、ガキが三人程度なら楽勝だと思っているのか。
犯人は誰だろう……。
多分、この子たちに関係のある人間だな。
「鬼さん出てこない?」
「あはははは! 下等生物の割に、よく気づいたじゃないかあああああ!」
廃ホテルの陰から、男の笑い声が響いてくる。
そして、その笑い声とともに姿を現したのは、選民意識全開で服を着ているようなおっさんだった。
その姿と声を聞いた瞬間、純花の身体がびくりと震えるのがわかった。
「鷹上の叔父様……?」
純花が呟いた。
さっきまで俺のすぐ隣にいた純花が、怯えたように一歩後退る。
その顔から、さっきまであった戸惑いが一気に消えていた。
シエラも純花の様子を見て、ただ事ではないと察したのだろう。
俺の袖を掴みながら、廃ホテルの陰から現れる男へ視線を向ける。
「え、純花の叔父さんなの?」
純花は答えない。
ただ、男から目を逸らせないまま、小さく身体を震わせている。
その反応だけで十分だった。
どうやら、かなり嫌われているらしい。
見た目は三十代前半くらい。
整った顔立ちをしていて、年齢だけ見ればかなりのイケメンの部類だとは思う。
真っ白なスーツをきっちりと着込み、髪も一切の乱れがない。
まるで自分がどう見られているのかを常に意識しているような、妙に気取った立ち姿だった。
……顔だけなら、かなりいい。
ただし、その表情に浮かんでいるのは自信というより、他人を見下すことに慣れきった人間の余裕だった。
純花が怯えるのも分かる気がする。
その男のすぐ横には、感情を完全に殺したような無表情のメイドが控えている。
さらに後ろには、何人ものメイドと黒服の男たち。
ぞろぞろと人が現れる。
……いや、待て。
子供三人相手に、どれだけ大げさなんだよ。
当たり前だが、こんな廃ホテル周辺に人気はまったくない。
こんなさびれた場所でこれだけの人数に囲まれてしまえば、逃げ道はほぼゼロだ。
助けを呼んだところで、誰かが駆けつけてくれる可能性も期待できない。
俺が使える魔法の中に、戦闘時の瞬間移動はない。
飛翔呪文ならあるが、空中に飛び上がったところを狙い撃ちされれば、蜂の巣にされる可能性が高い。
俺一人なら、防御魔法を使って何とか耐えられるかもしれない。
でも、今は俺だけじゃない。
純花とシエラがいる。
二人を守りながら戦うとなれば、話は別だ。
応援も期待できない。
となれば……戦うしかないのか。
いや。
その前に、少しくらい時間を稼いで、その間に策を考えるか。
「おっさん、子供三人をこれだけの大人数で囲むなんて、大人気ないんじゃないの?」
俺は男を見上げながら、わざと挑発するように言葉を続ける。
「それに、姪っ子を誘拐するなんて、人としてモラルがなさすぎるだろ」
この手のテンプレ自尊心の塊バカには、こういう挑発がよく効く。
「下等な人間と一緒にするなぁああああああああああ!」
予想以上に食いついた。
「我々は貴様らとは違うのだよ!」
本当に行動まで、古典的なテンプレ野郎だった。
正直、恥ずかしくなるレベルだ。「頭に蛆虫がついているような、メス豚のお前たちにも理解できるように、教えてやろう!」
「鷹上のおじ様、やめてください……お願いですから……!」
純花が、今まで見た中でも一番の恐怖の表情を浮かべて訴えていた。
その身体から、微かな魔力の揺らぎが伝わってくる。
……今なら分かる。
この子にも魔力がある。
「す、純花……!?」
シエラも青ざめた顔で純花を見つめ、声を震わせていた。
「我々は『天魔の一族』! もちろん、そこにいる純花も同じだ!」
男は両腕を広げ、まるで自分が世界の中心であるかのように胸を張る。
「我々は、貴様ら下等な人間より遥かに長寿で、強大な力を持ち、頭脳明晰な選ばれた人種なのだ! 力もなく短命なお前らとは、根本的に違う!」
……いやいや。
その台詞で「頭脳明晰」って言われても、まったく説得力がないんだけど。
魔法使いって、こんな感じなのか……?
もっと高貴で知的なイメージを持ってたんだけどな。
「あ、あああぁぁ……!」
「……」
純花は絶望に染まった目で震え、シエラは完全に呆然として目が点になっている。
まだ、どう行動するかは決めていない。
流石に俺の知っている常識とは違いすぎる。
ここまでテンプレ通りの奴がいるなら、いっそ最後まで喋らせてみるか。
この三文芝居を見ながら、情報を引き出すのも悪くない。
「どうだ!? 分かっただろう!」
男はますます調子に乗り、芝居がかった動作で両腕を広げた。
「我々は、超人的な肉体と強大な魔法を操り、天より選ばれた最高の種族! それが我々、天魔の一族なのさッ!」
「いやぁ……言わないで……言わないでよぉ……!」
純花が両手で耳を塞ぎ、今にも泣き出しそうな声を漏らした。
純花の肩が小さく震えていた。
目には大粒の涙が溜まり、それを堪えようとしているのか、何度も唇を噛みしめている。
それでも、涙は止まらなかった。
「うっ……うぅ……」
やがて堪えきれなくなった涙が頬を伝い、純花の口から嗚咽が漏れる。
廃ホテルの駐車場に、その小さな泣き声が響いた。
ただ怖がっているだけじゃない。
自分が隠していたことを、あの男に勝手に暴露されたことが辛いのだろう。
それ以上に、親友であるシエラに、自分が人間ではないことを知られてしまったことが堪えたのかもしれない。
今まで何も知らずに接してくれていたシエラが、これから自分をどう見るのか。
そんな不安まで、一気に押し寄せているのだろう。
年端も行かない女の子を、ここまで泣かせるのは、さすがに俺の精神的にきつい。
少なくとも、俺の趣味には完全に反する。
「さあ、どうする? 純花の仲良しこよしなお友達よ。貴様らの世界で言うところの『バケモノ』だったのだぞ? どんな気分だ~? 裏切られた気分か? 信じられない気分かぁ~?」
男は純花が泣いていることなど気にも留めず、むしろ楽しそうに笑っている。
……こいつ、本当に性格が悪いな。
そろそろ、このナルシスト野郎を黙らせてやろうか。
そう思った、その矢先だった。
「それが何よ!」
シエラの声が、鋭く周囲に響き渡った。
さっきまで黙って純花を見ていたシエラが、一歩前へ出る。
小さな身体で男を睨みつけ、その瞳には一切の怯えがなかった。
「たとえ純花が、人外だとしても、この世には多種多様な生き物がいるの! 科学でまだ解明されていないことなんて、いくらでもあるわ。でも、それが何だっていうの!?」
黒服の男たちも、メイドたちも、その一瞬だけ動きを止めた。
まさか、こんな小さな少女から反論されるとは思っていなかったのだろう。
「言っておくけど、純花は私の大親友よ!」
シエラは純花を振り返ることなく、男を真っ直ぐに見据えた。
「誰よりも優しくて、誰よりも人を思いやる心を持ってる。あなたと同じ種族だったとしても、純花はあなたとは全然違う!」
その声には、怒りだけじゃない。
純花を守ろうとする強い気持ちが込められていた。
「周りを傷つけて、子供を大勢で囲むようなヘタレナルシストとは、絶対に、一緒にしないで!」
「シエラ……ちゃん……」
純花が涙で濡れた顔を上げる。
その瞳には、驚きと戸惑いが混じっていた。
そして俺は、思わずシエラの横顔を見つめていた。
この子、めちゃくちゃ格好いい……。
金髪の少女は、少し顔を赤らめながらも、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「きっと今まで言えなかったんだよね……」
それでも、言葉を止めない。
「でも純花は、今まで通り私の大切な親友なんだからね」
「ありが……とう……ありがとう……! シエラちゃん!」
純花の瞳から、また涙がこぼれ落ちた。
でも、今度の涙はさっきまでとは違う。
悲しみに沈んでいた瞳に、少しずつ光が戻っていく。
純花は何度も涙を拭いながら、シエラへ笑顔を向けた。
廃ホテルの荒れた駐車場で交わされるには、あまりにも綺麗な光景だった。
もう少しだけでも周囲の状況がまともで、こんな場所じゃなかったら、本当に絵になる場面だったと思う。
「な、なに水臭いこと言ってんのよ! 私たちは親友でしょ!」
シエラは顔を真っ赤にして、そっぽを向いたまま声を尖らせた。
「……バカ。ハーフの私に、色眼鏡かけずに、友達になってくれたの、あんたでしょ……。勝手に泣かないでよね!」
強い口調とは裏腹に、シエラの声は少しだけ震えていた。
顔を背けているせいで表情はよく見えない。
けれど、その頬を一筋の涙が伝っているのが見えた。
純花も何も言わず、ただシエラを見つめている。
やがて、純花の目からも新しい涙がこぼれた。
「シエラちゃん……」
その声には、さっきまでの絶望がなかった。
……この二人の友情、すごく感動的だな。
こんな状況じゃなければ、もう少しゆっくり見ていたかったくらいだ。
ところが、そんな空気をぶち壊すように、男の怒鳴り声が飛んできた。
「おい、そこの下等生物!」
鷹上のおっさんが、シエラを睨みつけている。
「俺のことを馬鹿にしたのか? そうなんだろう。もう許さん!」
さっきまでの余裕ぶった笑みは消えていた。
少し図星を刺されただけで逆上するなんて、本当に小心者だ。
……どっちが下等生物なのだか。
「そこの女、そいつらを渡せば貴様だけは許してやる。もともと貴様は、関係ないんだからな」
はぁ……マジでむかつく。
男と女の区別もつかないのかよ。
俺は二人を振り返った。
純花とシエラは、俺のことを見ながらも、まだ身体を寄せ合っている。
さっきまでの涙が乾いているわけでもない。
俺はそんな二人に、少しだけにっこりと笑ってみせた。
すると二人は、なぜか怯えたように抱き合い、小さく震え始めた。
「俺は、そんなに怖いか?」
思わず苦笑する。
「そう思われるのは本当に残念だな。先ほどの二人の友情には本気で感動したよ」
俺は二人から鷹上へ視線を戻した。
「こんな独りよがりの男に手を貸すより、俺は君たちに手を貸す。そして、おやっさんならこう付け加えるだろう」
俺は鷹上を真っ直ぐに見上げた。
「泣いている女子供を前にしてふんぞり返れるのは、よほど安いプライドをお持ちのようだ。安物のメッキはすぐに剥がれる。……俺の言いたいことが、その立派な頭でも少しは噛み砕けたかい?」
おやっさんなら、たぶんこういう言い方をする。
もしかしたら、「そんな芝居がかったことは言わない」って言うかもしれないけどな。
そして最後に、俺は胸を張った。
「それに、俺は男だ!」
「「うそ!!」」
鷹上本人ではなく、後ろにいる二人の声が、見事なまでに重なった。
……そこは綺麗に無視する。
今はそれを訂正している場合じゃない。
「なんだぁ~? ガキが粋がってるが、これだけの人数を前にして、何かできるとでも思っているのかぁああああああ!」
鷹上のおっさんは、顔を真っ赤にして逆上しながら俺を煽ってくる。
さっきまでの余裕はどこへ行ったのやら。
白いスーツも、整えた髪型も、今となっては妙に滑稽に見える。
本人は威厳を出しているつもりなんだろうけど、俺にはただ怒って喚いているガキにしか見えない。
雑魚が何人集まっても所詮は雑魚だ。
……やばい。
完全にゲーム脳になってるわ。
とはいえ、人数差を考えれば油断はできない。
黒服の男たちに、無機質なメイドたち。
そして、先ほどから鷹上の横に立っている無機質なメイド。
こいつだけは、周囲にいるメイドたちとは何かが違う。
妙に感情がないというか……いや、あいつらも十分無機質なんだけどな。
それでも、あのメイドだけは何かがおかしい。
ただの人間には見えない。
……とはいえ、今は考えている暇もないか。
俺は一歩だけ前へ出た。
「俺も一言言っておく」
鷹上を真っ直ぐに見上げる。
「この子が言っていたように、これだけの人数がいなければ大きな台詞も吐けないなんて」
鷹上の眉がぴくりと動いた。
「……ヘタレナルシストって言われても仕方ないんじゃない?」
「貴様……!」
「選民主義のヘタレナルシストさん」
その瞬間、鷹上の顔が一気に引きつった。
「僕のことを一度ならず二度までもヘタレナルシストと言いやがったな!」
声を荒らげながら、鷹上は俺を指差す。
俺は一度しか言ってないんだけどな。
「もう我慢ならん!」
周囲にいた黒服たちが、一斉に姿勢を変えた。
メイドたちも同時に動く。
それまで一定の距離を保っていた連中が、ゆっくりと俺たちとの間合いを詰め始めた。
純花とシエラの身体が、再び強張る。
俺は二人を背中に庇うようにして、前方へ視線を向けた。
いよいよ来るか。
俺は無意識に、先ほど使った木の棒を握り直した。
相手は大人数。
しかも、魔法を使える可能性がある。
正直、楽な戦いにはならないだろう。
それでも、もう逃げるつもりはなかった。
鷹上が大きく腕を振り上げる。
「最後に遺言だけ聞いてやる!」
その顔には、勝ちを確信したような笑みが浮かんでいた。
「弱い奴ほどよく吠える。俺みたいなガキをなんでそう怖がる」
俺は挑発するように手首をひるがえして手招きをした
「行け、野郎どもとオートマタ共!」
奴は顔を真っ赤にしてそう言い放った。
鷹上が号令をした瞬間、黒服の男たちが俺たちに襲いかかってきた。
「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……」をお楽しみいただけましたか?
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