6話 ステータス画面?
部屋の外は、長い廊下になっていた。
壁には剥がれかけた壁紙。
天井には古い照明。
床には、長い間掃除されていないらしい埃が薄く積もっている。
かつては宿泊客が行き交っていたのだろう。
今では、足音を立てるたびに静寂が返ってくるだけだった。
このホテルは、もう何年も使われていないことが分かった。
ところどころに「非常口」の案内が残っている。
逃げ道はいくつかありそうだ。
解体するにしても金はかかる。
だから、こうして取り残されるのも仕方がないのだろう。
俺は廊下の先を確認しながら、足音を殺して進んだ。
この造りなら、階段は中央付近にあるはずだ。
生前は伊達に派遣で土方をしていたわけじゃない。
こういう古い建物でも、基本的な構造は似ている。
「見つけた」
廊下の先に、下へ続く階段が見えた。
焦って近づいて見つかったら、馬鹿でしかない。
こういう時は、すぐに近づかず、壁に身体を寄せる。
階段の向こうから聞こえてくる音に、耳を澄ませた。
……人の声が聞こえてきた。
その場で聞き耳を立てていると、下の階から男たちの会話が聞こえてきた。
「さっきの娘達、どうするんだろうな」
「目的の娘たちは人質だけど、うろちょろしていたガキはどうするのかな?」
「全部終わったら売るかもなあ」
「その前に俺達にも楽しみをくれないとな……へへ」
「……」
……百歩譲っても、許せねえ。
全員十歳以下の子供だぞ、このクソ野郎ども。
女性相手なら、こんなシチュエーションが映画やドラマであるのは知っている。
だが、俺は男だ……。
ちっ、ロングの髪が悪いのか。
神のいたずらだとしても、本気で嫌になってくる。
特にこの女の子みたいな容姿だから、よく性別を間違えられるんだよな。
それにしても、やはり営利誘拐の線で間違いなさそうだ。
あの二人、金持ちの令嬢か何かだろう。
服装も明らかに高級で、俺とは住む世界が違う。
少しして、下の男たちが離れていく気配がした。
どうするか……。
これからの手順を考えていた時だった。
ドガンッ!
いきなり後方から、大きな物音が響いた。
「何の音だ~!?」
「調べに行くぞ~!」
あんな大きな音だ。
下の階の奴らが気づくのは当たり前だ。
それにしても……当たり前だが、俺のミスじゃない!
それでも、嫌な予感が胸をよぎる。
こういう時の予感は、大抵当たるんだよな。
観念して振り返る。
そこには、愛らしい二人の小悪魔が立っていた。
名前は聞いていないが、確か純花とシエラとか、お互いに呼んでいたよな。
「ん~……」
「大丈夫、シエラちゃん!?」
めちゃくちゃお約束な展開で、さすがにヤバいだろ……!
「おい、ガキが逃げたぞー!」
階段から、警備の男の怒鳴り声が飛んできた。
くそっ。
最悪のタイミングで、完全に見つかった!
ここで次に取るべき一手は……!
完全に詰みじゃねえか。
俺は先ほど使った木の棒を握りしめ、前方から走ってくる男へ向かって突っ込んだ。
同じ攻撃だけど、今できる有効な攻撃は、これぐらいなんだよな。
男がこちらに気づき、捕まえようと腕を伸ばす。
その瞬間、俺は身体を低く沈めた。
伸ばされた腕の下をすり抜けるようにして前へ出る。
そのまま走る勢いを乗せ、木の棒を突き出した。
棒の先端が、男のみぞおちへ叩き込まれる。
「ぐえっ……!」
男の身体が前のめりになった。
俺はぶつかる寸前で横へ飛び退き、その身体が床へ倒れ込むのを見届ける。
「……死んではいないよな?」
すぐに駆け寄り、男の様子を確認する。
どうやら気絶しただけらしい。
先ほどと同じ攻撃だけど、下手をしたら死ぬ。
そう考えると、別の意味で心配になってくる。
とりあえずは良かった。
俺はすぐに後ろを振り返った。
「走るぞ!」
二人の手を取る。
逃げ道は三階しかない。
それでも、行くしかない。
廊下の先には扉が見える。
できれば、ここから外へ出られる場所があればいい。
非常階段か、屋外階段があれば一番助かる。
最悪、客室のベランダでもいい。
ホテルなら、火災時の避難設備が残っているかもしれない。
ただ、子供の足で避難梯子を設置して、そこから降りるとなると時間が足りないかもしれない。
それに、そんなものが残っていなければ、逃げ道はなくなる。
本当に詰みだ。
二階からなら飛び降りることもできるかもしれない。
俺一人なら、多少の怪我を覚悟すれば何とかなる可能性もある。
でも、三階ともなれば話は別だ。
俺はともかく、二人のガキに飛び降りろなんて言えるはずがない。
それでも、幼い二人の手を掴みながら、俺たちは廊下を走った。
その途中、小さな窓が目に入った。
外が見える。
ここからなら……外の様子を確認できるはずだ。
そう思った、その瞬間だった。
俺に異変が起きた。
視界が、一瞬で灰色に染まった。
「……え?」
何が起きた?
さっきまで聞こえていた二人の足音も、背後から迫ってくる男たちの声も消えている。
自分の呼吸音すら聞こえない。
まるで世界そのものが、突然停止したみたいだった。
なのに、俺の意識だけははっきりしている。
動こうとしても身体が動かない。
というより、動かす必要がないような妙な感覚だった。
その灰色の視界の中心に、半透明の青白いウィンドウが浮かび上がる。
見覚えがあるような、ないような。
いや、これは……。
まるで昔遊んだゲームの、RPGに出てくるステータス画面そのものじゃないか。
思わず目を疑った。
だが、何度見ても消えない。
そこには、俺自身の情報が表示されていた。
名前:東雲 綾
年齢:9歳
身長:123cm
特技:泥棒、暴力、素質は無限
「……なんだ、この雑な説明」
声は出ているのか分からない。
それでも、画面には何の反応もない。
すると、俺が読み終わるのを待っていたかのように、画面の下へ新しい項目が展開されていった。
【追加選択】
・この世界には、普及はしていませんが、一部では魔法が存在します。あなたも魔力を得ますか?
・この世界には、戦闘能力の高い者も存在します。あなたも戦闘能力を得ますか?
「……魔法?」
思わず、その文字を見つめる。
こんな状況で突然そんなことを言われても、普通なら信じられるわけがない。
でも、俺は知っている。
神に会ったことも、別の世界に生まれ変わったことも、全部現実に起きている。
だったら、魔法があってもおかしくない。
むしろ、ここで迷う理由がなかった。
俺は迷わず、両方とも【YES】を選択した。
その瞬間、画面の表示が切り替わる。
特技欄に『魔法』と『格闘』が追加された。
そして、それだけでは終わらない。
ステータス画面そのものが、一度消えてから新しい表示へと描き直されていった。
クラス:小学生。
「……」
思わず無言になる。
……職業は間違ってないけど、小学生って職業としておかしいだろ。
かと言って、職業が無職ってのも違うよな。
俺がそんなことを考えている間にも、その下へ新しい項目が表示されていく。
ジョブ。
・魔法使い レベル8
・闘士 レベル10
・盗賊 レベル10
・覚醒値:120。
「覚醒値?」
聞いたことのない数字だった。
何の数値なのか、説明は一切ない。
さらに、その下にはスキルの項目が続いていた。
使用可能スキル:気配察知、連続攻撃、テレパシー(簡易)、各ジョブの技能スキルなど。
ゲームのステータス画面なら、普通は詳細を確認できるようになっているものじゃないのか?
いや、そもそもクラスとジョブって同じじゃないのか?
最近のゲームはこんな感じなのか?
俺が知っているゲームとは、なんだか違う。
ガキの頃、ダチと徹夜で遊んだRPGを思い出す。
あの頃は、レベルやステータスを確認するだけでも楽しかったものだ。
それに比べて、これは情報が少なすぎる。
覚醒値ってのはよくわからんが、何か重要なパラメーターなんだろう。
レベルも最高何レベルでカンストなのかわからない。
使用可能スキルの下に「など」ってあるけど、せめて全部書いてほしかった。
丁寧なのか雑なのか、よくわからんな。
そんなことを考えていると、さらに下の方へ表示が続いていく。
今度は装備欄だった。
装備。
・魔法の指輪「ブルーダイアモンド」 名称不明
装飾品。
・レッドダイア
「……」
俺は表示された二つの名前を見比べた。
……多分、これが今の俺のステータスってやつだな。
スキル自体は何とか使えそうだけど、なんで栞母さんからもらった青い指輪が「魔法の指輪」になってるんだ?
宝石にしたって、俺はてっきり、青い方はサファイアかタンザナイト。
赤い方はルビー、もしくはレッドベリルだと思っていた。
どちらも小学生に持たせるような宝石じゃないけどな。
それなのに、ダイヤモンドだったとは。
レッドダイヤとブルーダイヤって高価だし、それに石も2Ct以上あるから、そこらの富豪でも持ってないだろ。
そんな物を遺品で渡すなよ。
いや、今は宝石の価値なんて考えている場合じゃないか。
まぁ、宝石のことは安全になってから考えればいい。
そう思った瞬間だった。
灰色に染まっていた視界が、一気に元へ戻った。
消えていた音が、まとめて耳へ飛び込んでくる。
走る足音。
遠くから聞こえる男たちの怒鳴り声。
そして、俺の両手を握って走っている二人の少女。
「……戻った?」
時間が動き出した。
どうやら、世界が止まっていたわけじゃない。
俺だけが、ほんの一瞬だけ別の場所に切り離されていたらしい。
……やることは、もう一つしかない。
俺は、先ほど目にした窓へ視線を向けた。
ステータス画面に表示された内容を、もう一度頭の中で思い返す。
外へ出られる場所がある。
そもそも、あのステータス画面自体が何なのかさえ、俺には分かっていない。
それでも、今は信じるしかなかった。
後ろからは、男たちが追ってくる足音が近づいている。
ここで立ち止まって考えている時間なんてない。
俺は二人の少女へ視線を向けた。
シエラと純花は、突然立ち止まった俺を不思議そうに見上げている。
説明している暇はない。
俺は二人の手を、あらためてしっかりと握った。
「行くぞ!」
「えっ?」
「きゃっ!」
二人が驚いた声を上げる。
構わず、俺は二人の手を引いたまま身体を反転させた。
向かう先は、廊下の先にある窓。
俺は二人を連れて、一気に走り出した。
古びた床を踏みしめるたびに、足音が廊下へ響く。
舞い上がった埃が鼻を刺激し、二人の小さな足音も俺の後ろから必死についてくる。
「急げ!」
振り返る余裕なんてない。
背後から聞こえてくる足音は、確実に近づいている。
このまま捕まったら、またあの部屋へ戻される。
流石に、その先で何が起こるのかまでは分からない。
それでも、先ほど男たちが話していた内容を考えれば、ろくなことにならないのだけは分かる。
俺一人だけなら、逃げるのは簡単だ。
でも、あんな胸糞悪い話を聞いておいて、二人を置き去りにして自分だけ逃げるなんて、できるはずがない。
前方の窓が近づいてくる。
俺は二人の手を引いたまま、さらに速度を上げた。
そして窓の前まで来たところで、二人をまとめて胸元へ引き寄せる。
「しっかり掴まってろ!」
二人の身体を抱きしめるようにして、両腕でしっかりと支える。
「えっ、ちょっと……!」
「な、何を……!?」
二人の声が重なった。
俺だって、こんなことをするのが正しいとは思っていない。
三階だぞ。
普通なら、絶対に飛び降りる高さじゃない。
でも、今はそれしかない。
俺は一度だけ窓の向こうへ視線を向けた。
地面までの距離を確認する。
身体が小さいせいで、以前の俺なら何でもなかった高さが、とんでもなく遠く感じる。
さすがに、こんな高さから飛び降りるなんて、普通なら冗談じゃない。
しかも、今の俺は一人じゃない。
二人を抱えたまま着地するんだから、失敗すれば全員ただでは済まないだろう。
最悪、二人だけでも無事にして、俺が怪我するだけで済ませる。
それでも、ここで立ち止まるよりはましだ。
「……行くぞ!」
俺は二人をしっかりと抱きしめ、窓に向かって勢いよく踏み込んだ。
ガラスの割れる音が響く。
次の瞬間、俺たち三人の身体は、廃ホテルの三階から外へと投げ出された。
「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……」をお楽しみいただけましたか?
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