5話 誘拐された少女二人と俺
「……ハァ~」
ため息が自然と漏れた。
外出するんじゃなかった。
ほんの少し気晴らしをするつもりだっただけなのに、どうしてこうなったんだ。
しかも、おやっさんには連絡も入れていない。
俺がいなくなったことに気づいてくれるとは思うが、今いる場所までは分からないだろう。
とりあえず状況を確認するか。
身体を少し動かしてみる。
腕も脚も、しっかりと椅子に固定されていた。
幸い、猿ぐつわはされていなかった。
声を出すことはできるし、会話もできそうだ。
問題は、この二人。
俺の正面には、縄で身体を縛られた女の子が二人いる。
どう見ても外国人だろ?
金髪と黒髪。
肌の色や顔立ちも、日本人とは少し違って見える。
日本語を話せるのだろうか。
英語は、簡単な読み書きぐらいはできるけど、話せないんだよな。
ここで愚痴っても仕方ないけど、日本の英語教育なんて、そんなもんだろ。
「あ、あの……?」
「ん?」
そんな下らねえことを考えていたら、黒髪の女の子が、おずおずと話しかけてきた。
どうやら日本語は通じるらしい。
そこは安心した。
おっさんが少女に声をかけるだけで犯罪者みたいな気分になるから、どう切り出そうか内心でかなり悩んでいたところだった。
今の姿は九歳だけど、どうしても前世のおっさんとしての感覚が抜けない。
だから、こっちから話しかけるより、向こうから声をかけてくれたのは助かった。
「ごめんなさい。私たちが誘拐されたせいで、貴方まで巻き込んでしまって……」
「気にするな。あんたらのせいじゃない。それに……言ってみりゃ俺の不注意だな」
自分から怪しい車に近づいて、背後から殴られたんだから、文句を言っても仕方がない。
日本だけど、生前いた日本ほど治安は良くないらしい。
そんなことを考えながら、俺は何気なく手首を動かした。
縄が皮膚に食い込んでいる。
ガキ相手にこんなになるまで縛るなんて、なっちゃいねえな。
それでも、結び目は思ったほど固くない。
手際を見る限り、こういうことに慣れた相手でもなさそうだ。
少し手を動かしてみる。
指先を滑り込ませ、縄の締まり具合を確かめる。
手首を無理に引っ張るのではなく、結び目が緩む方向へ少しずつ力をかけていく。
これなら、いける。
俺は指先の感覚だけを頼りに、結び目を探った。
力をかける位置を変え、縄が動いたところで、今度は手首をわずかに捻る。
縄が、ほんの少し緩んだ。
その隙間へ指を差し込み、さらに引っ張る。
きつく締められていた縄が少しずつずれていき、やがて手首に余裕ができた。
ここまでくれば、あとは簡単だ。
俺は縄をするりと抜き取った。
……まさか前世で覚えた技術が、こんな形で役立つとは思わなかったな。
「!?」
二人が同時に目を丸くした。
俺の手元を見ている。
どうしたんだろうか?
いや、驚くのも当然か。
普通なら、縛られた状態から簡単に抜け出せるなんて思わないだろう。
それにしても、まだ小学校低学年くらいのはずなのに、二人とも妙に落ち着いている。
泣き叫ぶでもなく、ただ俺の動きをじっと見ていた。
俺がその年齢の頃だったら、間違いなく泣き叫んでパニックになっていただろう。
……そんなことないか?
いや、でも、こんなに落ち着いてはいないよな。
そんなことを考えているうちに、最後の結び目がほどけた。
自由になった手首を軽く回す。
少し赤くなっているが、動かすことに問題はない。
小学生の女の子二人を、このまま置いて立ち去るのも後味が悪すぎる。
仕方ないから動くとするか。
俺は身体を捻り、残った縄を外す。
椅子から立ち上がった瞬間、思っていた以上に脚がふらついた。
ずっと同じ姿勢だったせいで、血がうまく巡っていないらしい。
軽く脚を動かしながら、俺は部屋の中を素早く見回した。
客室として使われていたらしく、ベッドやテーブルは残っている。
ただし、長い間使われていないせいか、家具には埃が積もっていた。
壁紙もところどころ剥がれている。
窓には厚いカーテンが閉じられていて、外の様子は見えない。
「さて……」
「ちょっと! 私と純花の縄も切りなさいよ!」
金髪の勝気な少女が、苛立った声で叫んだ。
「はいはい!」
こっちの黒髪の子が純花という名前らしい。
名前まで分かったところで、俺は二人のところへ近づこうとした。
その時だった。
「なんだ? 今の物音は?」
廊下から男の声が聞こえた。
あんな大声を出したらばれるのは当たり前か。
続いて、乱暴にドアが開く。
「き……貴様! どうやって!?」
大きな物音を聞きつけた男が、部屋へ飛び込んできた。
男は自由になった俺を見て驚いているようだった。
まぁ、人質が動いたら困るだろうし、当然の反応だ。
俺は、相手の動きを気にしながら床へ視線を落とす。
その先に、古びた木の棒が転がっていた。
考えるより先に、身体が動いた。
男がこちらを拘束しようと踏み込んできた。
俺は地面を蹴るようにして前へ出た。
小さい身体だから、相手の懐へ入るのはそれほど難しくない。
床を蹴って一気に距離を詰め、その勢いを乗せたまま木の棒を突き出す。
狙うのは鳩尾。
棒の先端が男の腹へ深く入り込んだ。
「ぐらぁっ!」
男の身体がくの字に折れる。
口から苦しそうな声が漏れ、そのまま膝から崩れ落ちた。
声を聴くだけでわかる。
痛いだろうな。
俺は木の棒を手放し、倒れた男へ駆け寄った。
首筋に指を当てる。
「……」
脈はある。
生きてるな。
胸の奥から、ほっと息が漏れた。
いくら何でもさすがに殺人はしたくない。
前世で格闘技をやっていたとはいえ、試合と本物の人間を相手にするのでは意味が違う。
相手が犯罪者だからといって、殺していい理由にはならない。
今回は上手くいったみたいだ。
まさか、こんな展開になるとは思わなかったけど。
「厄介なことになるな」
「どういうことよ?」
金髪の少女が不安そうに聞いてくる。
「気づかれずに立ち去れれば一番良かったんだが……気づかれた以上、どうにかするしかない」
俺は倒れた男を見る。
こいつが起きれば、また騒ぎになる。
だからといって、ここで何かできるわけでもない。
俺の言葉で、二人は一瞬で口を閉じた。
静かになったな。
廊下からは、まだ他の男たちの声は聞こえない。
どうやら、この部屋の外にはまだ気づかれていないらしい。
「ど、どうしよう、シエラちゃん……」
「大丈夫。きっとすぐに助けが来るはずよ……」
二人の声は弱々しく震えていた。
助けが来るなら嬉しい。
でも、間に合うかどうかは別問題だ。
それに、助けを待っている間に犯人たちが戻ってくる可能性もある。
正直、ここに留まるのは危険だ。
脱出経路を探すか、犯人たちが持っている荷物を探すしかないだろう。
おやっさんに連絡できれば一番なのだが、今は携帯も取られているみたいで、当然持っていない。
「二人とも、ここで待っていろ。絶対に動くなよ」
「ちょっと!? 何考えてんのよ! それに、小学生になったばかりの子に無理はさせられないでしょ!」
「そうだよ。きっとお姉ちゃんたちが探してくれるはずだから……」
「誰が小学一年生だ。俺は小学三年生だ!」
「「え~~~~!?」」
本当にガキはうるさい。
黙れって言った意味が、わからないのかよ……。
まったく、少しお前らより小さいぐらいで。
だけど、小学一年も三年も変わらないなと、ふと思ってしまった。
それに、誘拐犯が何人いるかはわからないが、この状況でばれたら完全に詰みゲーだ。
俺は、力自体は持っているはずだが、現状では使い方がわからない。
それに、子供の身体ではほとんど意味がない。
神様に頼んだのは、資質と精神防御だけだったしな。
他にも何か言っていた気がするけど、思い出せなかった。
体力もリーチも、目の前の女の子たちより明らかに劣っている。
大人相手に正面から戦えば、まともにやり合えるとは思えない。
もしこの子たちを助けに来た人まで捕まったら、人質がさらに増えるだけだ。
状況が良くなるどころか、悪化する可能性だってある。
知恵と子供の体格を活かせば、戦わずにどうにかなるかもしれない。
まずは周囲の探索だな。
ここがどんな場所か。
隠れる場所があるのか。
相手はどれだけいるのか。
情報はあればあるだけいい。
「多分、まだ助けは来ないと思う。外も動きがない。待っていても事態は悪化するだけだ。様子だけでも見てくる。俺は、意外とすばしっこいから、大丈夫だ。安心しろ」
俺は二人を安心させるように、精一杯の笑顔を作った。
……笑い慣れてないから、自分で気持ち悪いと思うけど。
「そ、それは……でも……女の子には……」
「俺は男だ。証拠でも見せようか?」
俺がズボンのファスナーに手をかけた瞬間。
「わ……わかったから見せなくていい! なら約束しなさい。絶対に無事で戻ってきなさいよ!」
「行ってくる」
俺は二人に背中を向け、軽くVサインをしながら歩き出した。
人質である二人には、まだ命の保証があるかもしれない。
しかし俺は、ただ偶然現場を目撃してしまっただけだ。
口止めのためなら、殺される可能性も十分にある。
ここは、俺が以前暮らしていた日本とは違う世界だ。
神が「世界が違う」と言っていたのを思い出す。
ゲームや特撮、アニメ、映画……そんな世界かもしれない。
何が起きるかわからない。
特殊能力をもらったとはいえ、まだ一度も使ったことがない。
なにせ、使い方がわかってないんだから意味がないよな。
今の自分に余裕なんてないのは、よく自覚していた。
精神防御の特典は確かに受け取った。
だが、神経そのものは前世と変わっていない。
どこまで冷静でいられるか、正直不安だった。
冷静さは、生き残るための鍵だ。
特にこんな生死の境目では、精神面を甘く見ることは絶対にできない。
……あっ、忘れてた。
見張りが来たせいで、すっかり失念していた。
俺は足を止め、少し引き返して、先ほどの少女たちのところへ戻った。
「そうそう、とりあえず縄だけ切っておく」
近くに転がっていたビール瓶を拾い上げ、布でくるんで床に叩きつけた。
ガシャン!
乾いた音とともにガラスが割れる。
俺は散らばった破片の中から、比較的長く尖ったものを拾い上げた。
即席のナイフだ。
もちろん、本物のナイフみたいに扱えるわけじゃない。
下手をすれば、自分や二人の腕を傷つける。
だから、できるだけ慎重に使う必要がある。
「動くなよ」
俺は二人の腕を傷つけないよう、縄と皮膚の間へ慎重に刃を差し込んだ。
少しずつ刃を動かす。
一本。
また一本。
固く締められた縄が少しずつ切れていく。
やがて、二人を縛っていた縄が床へ落ちた。
少女二人は、自由になった腕をゆっくり回しながら、痛みや痺れがないか確認していた。
「ありがと」
金髪の少女はそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうにお礼を言った。
……これが噂のツンデレってやつか。
初めて実物を見た。
「本当にありがとうございます」
黒髪の令嬢っぽい子が、丁寧に頭を下げてくれる。
対照的で微笑ましい。
「多分、あざにはならないと思うけど、念のため腕を軽くマッサージしておいた方がいいぞ」
二人がそれぞれ腕を揉んでいるのを確認してから、俺は立ち上がった。
ここでこの子たちを巻き込んで戦うのは面倒すぎる。
俺一人で下に降りて、ゲリラ的にやるか。
それとも、当初の予定通り脱出と荷物奪還を優先しておやっさんを呼ぶのもいいかもしれないな。
どちらにしても、まずはこのホテルの構造を把握する必要がある。
「無理するんじゃないわよ」
「気をつけてください……」
「はいはい。大丈夫だから。そこで大人しくしていろな」
俺は二人に軽く手を振った。
心配そうな視線を背中に感じながら、古びた客室の扉を開ける。
「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……」をお楽しみいただけましたか?
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