3話 残されたのは手紙と一組の宝石
おやっさんが、俺を後ろに乗せて、海沿いのとある場所へ向かってバイクを走らせていた。
俺は後部座席にちょこんと座り、両足をステップに乗せながら、おやっさんの腰へ腕を回している。
街中を抜けてしばらくすると、視界が一気に開けていく。
道路の向こうには青い海が広がり、窓のないバイクでも潮の匂いがはっきりと感じられた。
久しぶりの海は、やはり気持ちがいい。
潮風に銀髪を揺らされながら、俺は流れていく景色を眺めていた。
街を離れてから一時間ほど走った頃、道路脇に見慣れない看板が見えてくる。
ガードレールの向こうに立っていたのは、
『ようこそ綿津見市へ』
そう書かれた案内板だった。
どうやら目的地に到着したらしい。
バイクを降りたおやっさんについていくと、少し離れた場所に一軒の喫茶店が見えてきた。
店の名前は『喫茶 杏』
木を基調とした外観に、控えめな看板。
派手さはないけれど、どこか落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。
おやっさんに促され、俺は店の中へ入る。
入口には「準備中」と札が出ていた。
……入って大丈夫なのだろうか。
そんなことを考えていると、店の奥から声が飛んできた。
「来たか、英次」
声のした方を見ると、カウンターの向こうに一人の男が立っていた。
たぶん、この店のオーナーなんだろう。
年齢はおやっさんより若そうだ。
けれど、どこか穏やかな雰囲気があり、こちらを見つめる目にも嫌な感じはない。
それに、立ち姿がやけに綺麗だった。
背筋が自然に伸びていて、ただ立っているだけなのに妙な落ち着きがある。
「悪いな、龍一。来てるか」
「まだだ。その子が」
マスターが、俺へ視線を向ける。
「そうだ」
短いやり取りだけで、俺にも何となく話が見えてきた。
あぁ、そういうことか。
東雲家との顔合わせに、この店を使わせてもらったってわけだ。
俺が店内を見回していると、奥の調理場から女性が顔を出した。
「あら、綺麗な子ね」
柔らかな声だった。
「杏、この子に失礼だぞ。それにこの子は男の子だ」
「えっ?」
俺は思わず目を瞬かせた。
初対面で、俺が男だと見抜かれたのは初めてだ。
少し釣り目気味の顔立ちに、さらりとした銀髪。
身体は引き締まっているはずなのに、服を着ていると華奢に見える。
子どもだから仕方がないのだが、それでも普通なら女の子に間違われる。
だからこそ、俺は少し驚きながら、龍一と呼ばれた男へ視線を向けた。
「そんなに不思議かい?」
「あ……ええ。初めて言われましたから。おやっさんでさえ、女の子と間違えましたし」
俺はおやっさんへ顔を向けた。
「そうかい。まぁ、昔取った杵柄ってやつでね」
そう言って、龍一さんは穏やかに笑った。
すると女性がこちらへ近づいてくる。
「ごめんなさい。私の名前は如月杏。杏さんって呼んでくれると嬉しいかな」
杏と名乗った女性は、俺の目線に合わせるようにしゃがみ込んで自己紹介してくれた。
こうして近くで見ると、栗色の髪が柔らかそうで、どこか大学生のような雰囲気がある。
年齢は二十代前半くらいだろうか。
たぶん、店で働いている人なんだと思う。
けれど、さっき龍一さんが呼び捨てにしていたことを考えると、妹か親戚なのかもしれない。
それにしても、こうして目線を合わせてもらうと、やっぱり自分が小さいことを実感する。
俺の身長は百二十三センチしかない。
女の子と間違われるのも、この身長が原因の一つなんだろう。
「綾です。苗字はありません。でも、今日から東雲になります」
「東雲綾くんね。よろしく。会った記念に、これをどうぞ」
そう言って、杏さんがカウンターへ置いたのは、紅茶とシュークリームだった。
俺は礼を言って席に座り、目の前に置かれた紅茶へ手を伸ばす。
それからシュークリームを一口食べてみた。
……うまい。
思わず声が出そうになったけれど、なんとかこらえる。
サクッとした生地の中から、甘いクリームが口いっぱいに広がる。
思わずもう一口食べたくなるくらいには、美味しかった。
そんな俺をよそに、おやっさんと龍一さんは久しぶりの再会らしく、昔のことでも話しているのか、時々笑い声を交えながら会話を続けている。
杏さんは俺が退屈しないようにと思ったのか、テレビのスイッチを入れてくれた。
俺は紅茶を飲みながら、何となくテレビへ視線を向ける。
――その時だった。
画面が突然切り替わった。
『速報です』
ニュースキャスターの緊張した声が店内に響く。
映し出されたのは、山中らしき場所を上空から撮影した映像だった。
『旅客機が墜落したとの情報が入っています』
「……え?」
思わず手が止まる。
画面の端には、大きく『旅客機墜落』の文字が表示されていた。
事故の概要が読み上げられていく中、搭乗者名簿が画面に映し出される。
そして――。
そこに、見覚えのある名前があった。
東雲夫妻。
隆行さんと栞さんの名前が、そこに載っていた。
「おやっさん!」
気づけば、俺は大声を出していた。
「どうした、綾。そんな大きな声を出して」
「旅客機が落ちた……その名簿に、隆行さんと栞さんの名前が……」
「本当か!」
おやっさんの顔から、さっきまでの穏やかな表情が消えた。
「……」
何か言おうとしたのか、口を開きかける。
けれど、結局何も言わないまま、ポケットからスマホを取り出した。
震えているわけじゃない。
それでも、いつもより強く握りしめているのが分かった。
おやっさんは画面を食い入るように見つめ、何度も指を動かして情報を確認していく。
「……」
俺も何も言えなかった。
画面を見つめるおやっさんの横顔を見ていると、胸の奥が嫌な音を立てるようだった。
違う。
まだ、決まったわけじゃない。
そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥に広がっていく不安を止めることはできなかった。
「……すまん、龍一。行ってくる」
おやっさんが立ち上がる。
「おやっさん、俺も」
反射的に声が出ていた。
「つらいぞ。それでも来るか」
おやっさんが、俺の顔をじっと見る。
俺は一度だけ、テレビへ視線を向けた。
画面には、墜落した旅客機のニュースが流れ続けている。
まだ何も分かっていない。
生きている可能性だってある。
だから、確かめたい。
「俺の親だから」
それだけだった。
今日、初めて会うはずだった。
これから俺の親になるはずだった二人。
まだ一度も顔を合わせていないのに、それでも放っておくなんてできなかった。
「……わかった」
おやっさんは短く答えると、俺を連れて店を出た。
おやっさんが短く頷いた。
俺は店を出る前に、カウンターへ視線を向けた。
「杏さん。シュークリーム、すごく美味しかったです。ありがとうございました」
「ええ」
杏さんは、少し困ったような顔で微笑んだ。
俺は、それだけ言って、おやっさんの後を追った。
空港へ向かい、おやっさんが手続きをしてくれる。
その間にも、新しい情報が次々と入ってきた。
旅客機は山中に墜落したらしい。
テレビには、墜落現場とされる場所の映像が繰り返し映し出されている。
画面の向こうには、深い山々と、そこへ向かう救助隊の姿があった。
ロビーには、俺たちと同じように情報を求めて集まった人たちが大勢いた。
泣き崩れる人。
祈るように手を組む人。
ただ俯いたまま、何も言わずに立ち尽くしている人。
あちこちから、落胆の声が漏れていた。
それでも俺は、ただ一つのことを願い続けていた。
生きていてほしい。
五体満足じゃなくてもいい。
とにかく生きていてくれればいい。
贅沢は言わない。
頼む。
画面に映し出される墜落現場を見つめながら、俺は何度もそう祈った。
爆発はしていなかった。
きっとパイロットが、最後まで操縦してくれたんだろう。
「少し寝ておけ」
おやっさんはそう言い残し、また情報を集めに向かった。
けれど、そんな気にはなれない。
目を閉じたところで眠れるはずもなかった。
俺はただ、ロビーに設置されたテレビに釘付けになっていた。
画面が切り替わるたびに、何か新しい情報が出ていないかと息を詰める。
そして――、それから十二時間後。
新たな死亡者リストが発表された。
俺は、画面に映し出された名前を見た瞬間、声を上げて泣いた。
東雲隆行。
東雲栞。
その二つの名前が、そこにあった。
「……すまん」
おやっさんの声が聞こえる。
俺は、赤く腫れた目でおやっさんを見る。
もともと赤い瞳が涙で滲み、視界のすべてがぼやけていた。
「おやっさんが謝る必要はないよ」
「これを」
おやっさんは、持っていたアタッシュケースを俺へ差し出した。
金具には、小さなチャームが付いている。
そこには――『東雲 綾』と刻まれていた。
「開けても?」
「ああ。お前のものだ」
俺は震える手でケースを開いた。
中には服が数着。
それから、青と赤のダイヤがあしらわれたリングが一つずつ入っていた。
さらに手紙が一通。
そして、大きな封筒。
俺は、ケースの中身をしばらく見つめていた。
これが、俺の両親が残してくれたもの。
そう思うと、胸の奥がまた苦しくなる。
俺はおやっさんの顔を見てから、手紙に手を伸ばした。
封を切る。
紙を開くと、そこには優しい文字が並んでいた。
『拝啓 綾ちゃん。手紙でごめんね。今、テロに巻き込まれています。もしかしたら、このまま会えないかもしれないと思い、こうして書いています。ビデオで話したとき、私は綾ちゃんの親になりたいと心から思いました。隆行さんも、あの映像を見てとても喜んでいたよ』
視界が、滲んだ。
文字を追おうとしても、涙が邪魔をして上手く読めない。
それでも、俺は手紙から目を離さなかった。
『時間があまり残されていないみたいだから、必要なものは封筒に入れてあります。不破さんにお願いしてください。リングを一組入れておきます。ひとつは綾ちゃんへ。もうひとつは、いつか大切だと思える人に渡してください』
手が止まった。
指先が、手紙の紙面をわずかに震わせる。
そして、その下に書かれていた最後の言葉を見た瞬間、もう堪えられなかった。
『ごめんね。お母さんは綾ちゃんに会いたかった。――栞』
最後の方は、涙で紙が湿っていた。
俺は何も言えず、しばらくその手紙を見つめていた。
やがて、そっと手紙を折り、おやっさんへ差し出す。
「お前あての封筒だが、いいのか?」
「うん……おやっさんに読んでもらうようにって書いてあったから。少し、気持ちを整理したい」
「そうか。分かった」
「お願いします」
それ以上、おやっさんは何も言わなかった。
それから数日。
俺はホテルに泊まっていた。
窓の外を眺めても、見えるのは知らない街の景色ばかりだった。
両親になるはずだった二人には、一度も会えなかった。
それなのに、残された手紙と荷物だけが、二人が確かに俺のことを考えてくれていた証として、手元に残っている。
その間も、おやっさんは俺のために動いてくれていた。
必要な手続きや、これからのことを一つずつ片付けてくれているらしい。
子供の俺にできることは、ほとんどなかった。
だからこそ、部屋に閉じこもっていると、余計なことばかり考えてしまう。
俺は少し気晴らしに、外へ出ることにした。
ホテルの扉を開け、街へ出る。
このときの俺は、まだ知らなかった。
この先で、自分の人生が大きく変わることを。
――これが、運命の分かれ道になるとも知らずに。
「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……」をお楽しみいただけましたか?
もし「続きが気になる」「応援したい」と感じていただけましたら、ぜひブックマーク登録と、ページ下部にある【評価する】ボタンから評価ポイントをいただけると、とても励みになります!
皆さんの応援が、次の話の執筆を進める力になりますので、どうぞよろしくお願いします!




