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転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……平穏なんていうのは無かった  作者: 綾
本編

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25.5話 後編 助けて

 不意に、背後から私の名前を呼ぶ声がした。

「純花」

 ……誰?

 聞き覚えのある声だった。誰だっけ。思い出そうとしたけれど、どうしても顔が浮かばない。

 誰の声なのか、確かめようと振り返った。

 その瞬間、視界がぐらりと傾いた。


「え……?」


 突然、足元が揺らいだ。踏ん張ろうとしたのに、力が入らない。何なの、どうして……?

 もう一度立ち直ろうとしても、身体が言うことを聞いてくれなかった。視界までぐらりと傾き、慌てて手を伸ばす。けれど、何にも届かない。

 おかしい。絶対におかしい。


 助けて……! 綾君、お姉ちゃん……!

 叫んだつもりなのに、声が出なかった。息が苦しい。どうして、こんなことに……?

 待って。まだ、何もわかってないのに……!

 必死に意識をつなぎ止めようとしたけれど、もう限界だった。

 視界が暗く沈んでいく。

 綾……君。

 その願いも届かないまま、私の意識は闇に沈んだ。

 


 ……ん。

 意識がゆっくりと浮かび上がってきた。

「……寒い……」

 冷たさに震えながら、ゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりとした視界に、見覚えのない天井が映る。頭上では小さな照明が頼りなく光っていた。

 ……ここ、どこ?

 起き上がろうとしたけれど、身体に力が入らない。腕を動かそうとしても、指先がわずかに震えるだけだった。

「え……?」

 何とか身体を起こそうとした瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。

「痛っ……!」

 思わず顔をしかめる。頭が割れそうに痛い。いったい、何があったの?

 最後に覚えているのは、誰かに名前を呼ばれて振り返ったこと。聞き覚えのある声だったから、確かめようとしたのに……その先が、どうしても思い出せない。


 もう一度、周囲に目を向けた。

 むき出しのコンクリート壁は黒ずみ、床には埃や小さなゴミが散らばっている。どこからか水滴の落ちる音がして、鼻をつく黴臭さに顔をしかめた。

 こんな場所、知らない。

 早くここから出なきゃ……。

 焦って腕に力を込めたものの、身体は少しも言うことを聞いてくれなかった。頭痛も治まらず、動こうとするたびに鈍い痛みが響く。

 そのとき、冷たい空気が肩に触れた。

 何気なく視線を落とした私は、息を呑んだ。


「……え?」

 キャミソールとショーツ。

 着ているのは、それだけだった。

「うそ……」

 制服は? さっきまで着ていたはずなのに。

 慌てて周囲を探そうとしたけれど、思うように首を動かすことさえできない。視界に入る床にも、壁際にも、制服らしきものは見当たらなかった。

 自分で脱いだ覚えなんてない。

 それどころか、どうしてここにいるのかさえわからないのに。


「……どういう、こと……?」

 声が震えた。

 頭の中に、嫌な想像が浮かんでは消える。考えたくない。けれど、今の自分の格好を見れば、どうしても不安が膨らんでしまう。


 

「やっと起きたか」

 聞き覚えのある声に、心臓がどきりと跳ねた。

 暗がりから、一人の男がゆっくりと姿を現した。

「……神威、君……?」

 彼の手には、私の制服のブラウスが握られていた。まるで何の価値もない布切れのように無造作にぶら下げ、神威君は唇の端を吊り上げている。

 どうして、彼がここにいるの?

 背後から名前を呼ばれ、振り返った途端に眩暈がした。そこから先の記憶はない。まさか、あのとき……。


「なぜ、ここに……?」

「僕が招待したんだから、当たり前だろ」

 神威君は平然と答え、軋む音を立てるベッドの端に腰を下ろした。

 招待? 何を言っているの?

 逃げなきゃ。早く、ここから逃げないと。

 そう思っても、身体にはまだ力が戻っていなかった。腕に力を込めても、上半身を起こすことすらできない。目の前にいる彼から目を離せず、鼓動ばかりが速くなっていく。


「本当はこんな乱暴なこと、したくないんだけどさ……」

 そんな言葉とは裏腹に、神威君の顔には薄笑いが浮かんでいた。

「でも、あの東雲の毒牙にかかる前に、君の『初めて』を優しくもらっておこうと思ってね」

「……っ!」

 息が止まった。

 今、何を言ったの?

 聞き間違いであってほしかった。けれど、神威君の目に浮かぶ異様な光を見れば、冗談で済ませるつもりなどないことは明らかだった。


「やめて……! 今ならまだ間に合うから……お願い、馬鹿なことしないで……!」

 私は必死に身をよじり、ベッドの上を後ずさろうとした。けれど、身体が思うように動かず、少しも距離を取れない。

 神威君の手が伸びてきた。

「いやっ!」

 身を引いたものの、避けきれなかった。彼の手が胸元を強く掴み、薄いキャミソール越しに圧迫される感覚に、身体がびくりと震えた。

「やっ……離して!」

 腕を振りほどこうとしても、力が入らない。押さえつけられた身体をどうにか動かそうとするほど、思うようにならない自分がもどかしかった。

 どうして。どうして、こんなことをされなきゃいけないの?

 神威君は私の拒絶など気にも留めず、逃げようとする私を押さえつけたまま、手を離そうとしなかった。


「んっ……!」

 驚きと苦痛で、声が漏れた。

 嫌だ。触らないで。

 頭では拒絶しているのに、身体は恐怖で強張り、思うように動かない。目の奥が熱くなり、視界が滲んだ。

「流石、天魔の一族だな。普通より、ずいぶん敏感に育ってる。それとも――もう東雲に揉まれてるのか?」

 神威君は喉の奥で笑い、さらに顔を近づけてきた。

 耳元にかかる息が不快で、私は顔を背けた。

 気持ち悪い。近づかないで。

 胃の奥から吐き気が込み上げてくる。こんなことをされているのに、どうしてこの人は笑っていられるの?

「や……だめ……綾君は、そんなことしない……!」

 気づけば、綾君の名前を口にしていた。

 あの人は違う。私の嫌がることを無理やり押しつけたりしない。私の気持ちを無視して、勝手に何かを決めたりもしない。

 だから、神威君の言葉を認めるわけにはいかなかった。


「へえ? じゃあお前は、あいつにはもう、さんざん弄ばれてるって認めちゃうわけだ?」

「違う……! 綾君は……乱暴なことなんて、絶対にしない……!」

 必死に否定した声は震えていた。

 涙が頬を伝い、視界が滲んだ。必死に堪えようとしても、次から次へと溢れてくる。

 こんな暴力に屈したくはなかった。それなのに、恐怖で強張った身体は言うことを聞かず、涙さえ止められない。乱れた呼吸を整えようとしても、喉が詰まってうまく声が出なかった。


 神威君の手が、今度は下腹部へと伸びてきた。

「いや……っ、やめて!」

 私は咄嗟に太ももを閉じようとした。けれど、神威君はその動きを見越していたかのように膝を割り込ませ、私の抵抗を封じた。

「やっ……!」

 背中がベッドに押しつけられる。身をよじって逃れようとしても、覆いかぶさる彼の身体が邪魔で、思うように動けない。腕に力を込めても、指先がシーツを掻くだけだった。

「それじゃあ……御開帳と行こうか」

 耳元に落ちてきた声は、低く、ぞっとするほど冷たかった。

「いやっ……! お願い、やめて……!」

 ショーツに手をかけられた瞬間、頭の中が真っ白になった。

 何をされようとしているのか、わかってしまった。

 駄目。このままじゃ、本当に取り返しのつかないことになる。

 必死に腰をよじり、脚を閉じようとする。けれど、どれほど抵抗しても神威君の力を振りほどけない。

 逃げようともがくたびにベッドが軋み、身体を押さえつけられる感覚に恐怖が募っていく。

 涙で滲む視界の中、私は必死に顔を背けた。

 これ以上、何も見られたくない。けれど、どれだけ身をよじっても逃げられず、悔しさと恐怖で胸が締めつけられた。

 荒い呼吸が喉に引っかかり、うまく息を吸えない。耳元では神威君の笑い声が響いていた。

 私がどれほど怯え、抵抗しているのか、彼にはわかっているはずなのに。

 神威君は私の抵抗を押さえつけたまま、愉快そうに口元を歪めた。


「はぁ……っ、泣き叫ぶ女を、こうやって力ずくで押さえつけるの……クソ、たまんねえな……!」

 その言葉に、背筋が凍った。

 私が嫌がっていることも、怯えていることも、彼はわかっている。わかったうえで、こんなことをしているのだ。

 この人は、私の苦しむ姿を楽しんでいる。

「一度味わったら、もう戻れねえよ。お前が終わったら、次はシエラで、その次は沙樹……最後は四人で楽しもうぜ」

「ケダモノ……なんで、こんな……っ」

「化け物はお前らの方だろ!」


 突然、神威君が声を荒らげた。

 怒鳴り声に身体がびくりと跳ねる。さっきまで浮かべていた笑みは消え、彼の顔には剥き出しの怒りが滲んでいた。

 どうして、そんなことを言うの?

 私たちが何をしたというのだろう。彼を傷つけた覚えなんてない。少なくとも、私は彼にこんな仕打ちをする理由を与えたつもりなどなかった。

 それなのに、神威君はまるで自分こそが被害者だと言わんばかりに、私を睨みつけている。

 何を言っても、何を訴えても、今の彼には届かない。そう思うと、身体の震えがいっそう強くなった。

 どうすれば逃げられるのか。必死に考えようとしても、恐怖で頭がうまく働かない。

 神威君は私の反応など気にも留めず、再び手を伸ばしてきた。


「や……っ!」

 反射的に身体が強張った。

 恐怖で心臓が激しく脈打ち、呼吸が乱れる。逃げようとするのに、身体は思うように動いてくれない。緊張と混乱で感覚までおかしくなり、目の前で何が起きているのかさえ、うまく把握できなくなっていく。

 それでも、私は必死に首を横に振った。

 嫌だ。

 こんなの、絶対に嫌だ。

 神威君は私の様子を見て、歪んだ笑みをいっそう深めた。


「ほら……そんなに震えてるじゃねえか。純花、お前、本当はこういう乱暴なのが大好きな性質(タチ)なんだな?」

「うそ……やだ……そんなの、違う……っ!」


 違う。

 何度否定しても、彼は聞こうとしなかった。

 恐怖で身体が反応してしまうことと、私自身がそれを望んでいることは、まったく別のはずなのに。

 どうして、そんなこともわかってくれないの?

 心は拒絶している。逃げたいと叫んでいる。それなのに、思うように動かない身体と、混乱してしまった感覚のせいで、まるで自分自身にまで裏切られているような気がした。

 恥ずかしい。

 悔しい。

 こんなことをされたうえに、自分の身体の反応まで責めなければならないなんて。

 止めどなく溢れる涙が頬を伝い、耳の後ろへ流れ落ちていく。嗚咽で喉が塞がり、息を吸うことさえ苦しかった。

 もう、何も考えられない。

 ただ、助けてほしかった。

 混濁していく意識のなかで、私の心は一人の少年の姿を追い求めていた。


『綾君……ごめんなさい……助けて……』


 頭の中に、屋上での彼の姿が浮かんだ。

『勝手にしやがれ。それはてめえが勝手に思ってるだけだ。てめえの考えを変える権利なんて、俺にはねえからな……何かあれば呼びやがれ。お前らに何かあれば目覚めが悪い』

 あのときの綾君は、すごくつらそうな顔をしていたと思う。

 きっと、触れられたくない場所を私が深く掘り下げてしまったから。

 本当に、謝りたかった。

 ごめんなさい。

 傷つけてしまったのに、今さら助けてほしいなんて、勝手なことだってわかってる。

 それでも、綾君しか思い浮かばなかった。


『お願い……綾君、助けて……!』


 神威君が、さらに強引に私の抵抗を封じようとした。

 もう駄目なの?

 このまま、誰にも気づいてもらえないまま……?

 最悪の想像が頭を埋め尽くす。どうにかしなければと思っても、身体は震えるばかりで、激しく泣きじゃくることしかできなかった。

 意識の輪郭が、少しずつ遠のいていく。

 薄暗い部屋も、耳障りな笑い声も、身体を押さえつける重圧も、まるで遠く離れた場所で起きている出来事のように感じられ始めた。


 その境界で、大切な人たちの顔が次々と浮かんでは消えていく。

 シエラちゃんの無邪気な笑顔。

 沙樹ちゃんの、包み込むような温かい抱擁。

 愛する家族の優しい声。

 みんなと過ごした何気ない時間が、どうしようもなく懐かしかった。

 そして――。

 無防備に私の膝で熟睡していた、彼の姿。

 お願い。

 助けて……。


「ふはっ……。その反応を見ると、お前、本当に初めてなんだな」

 神威君の声が、意識の奥まで嫌というほど入り込んでくる。「初めての男が俺だって知ったら、東雲の奴は一体どんなツラするかなぁ? お前だって、そんな身体にされて素直にあいつの元へ走れるわけねえだろ。……クソ、また一つ楽しみが出来たぜ」


 彼は、これから私に何をしようとしているのか。それだけではなく、その先の人生まで踏みにじるつもりなのだ。

 綾君との関係を壊し、シエラちゃんや沙樹ちゃんにまで手を伸ばそうとしている。

 考えただけで、胸が押し潰されそうになった。


『あ……や……くん……』


 かろうじて唇を動かし、私はその名前を呼んだ。

 神威君の荒い息遣いと、耳の奥にねばりつくような勝ち誇った笑い声。

 その不快な音に意識が塗りつぶされそうになった、そのときだった。

 ――ドォォンッ!

 遠くから、凄まじい破壊音が響き渡った。

 床がかすかに震え、頭上から細かな埃が舞い落ちてくる。

「……っ?」

 神威君の動きが止まった。

 今の音は何?

 私も、涙で濡れた目を見開いた。

 続いて、何かが激しく壊れるような音が響いた。遠くから聞こえてくるはずなのに、その衝撃は建物の土台ごと揺さぶられているかのように伝わってくる。

 いったい、何が起きているの……?


 神威君の表情から、先ほどまでの余裕が消えていた。

 私の身体を押さえていた手にも、ほんの一瞬、力が緩む。

 その隙に逃げ出せるほど、まだ身体は動かなかった。

 それでも、私はかすかな希望に縋るように、暗闇の向こうへ耳を澄ませた。

 ……幻聴?

 それとも、本当に誰かが来てくれたの?

 涙でぼやけた視界の向こう。湿った空気に埃の匂いが混じる薄暗い部屋で、私は必死に音の正体を探ろうとした。

 すると――。


「純花ぁぁぁッ!」

 聞こえた。

 確かに、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 必死に私を探している声。

 ぶっきらぼうで、いつも少し乱暴だけど実はすごく優しい人。

 忘れるはずがない。

 間違えるはずがない。

 あの声は――何度も助けを呼んでいた人。


『綾……君……?』

 聞き覚えのある声に、胸の奥で希望が揺れた。

 来てくれたんだ……。

 本当に、私を助けに来てくれたんだ。

 まだ夢なのか現実なのか、はっきりとはわからない。それでも、あの声を聞き間違えるはずがなかった。

 私は涙で濡れた顔を上げ、震える唇を動かした。


『綾君……私は……ここに居るよ』

 かすれた声で、私は必死に呼びかけた。

 暗闇の向こうから響く足音に、私は残された力を振り絞って耳を澄ませた。

「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……平穏なんていうのは無かった」をお楽しみいただけましたか?


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