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転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……平穏なんていうのは無かった  作者: 綾
1部 出会い

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25話 純花からの呼び声

 街灯がぼんやりと橙色に灯り始めた頃、俺は人の流れに混じって歩いていた。

 オフィス街には、まだ仕事帰りの人々の喧騒が残っている。スーツ姿のサラリーマンが足早に通り過ぎ、夕食の買い物袋を提げた主婦たちが、家路を急いでいた。そんな人々の間を縫うように、俺はゆっくりと歩いていた。

 すると、歩道の少し先を走っていた車が、車道の端に静かに停車した。

 黒く艶やかなボディの高級セダン。この街のありふれた風景には、どこか不釣り合いな存在感があった。街灯の光を滑らかに反射する車体は、ただ停まっているだけなのに妙な威圧感を漂わせている。

 運転席のドアが開き、中から一人の女性が降りてきた。

 二十代後半くらいだろうか。キャリアウーマンを思わせる洗練されたスーツに、膝丈のタイトスカート。肩を越えて背中の中ほどまで伸びた髪は淡いピンク色に染められ、毛先にかけて緩やかなウェーブがかかっていた。

 この世界では珍しくもない派手な髪色だが、彼女の場合は不思議と違和感がない。落ち着いた立ち居振る舞いも相まって、よく似合っていた。


「あなたね、東雲綾さん」

 不意に名前を呼ばれ、俺は反射的に一歩後ずさった。

 誰だ、この女?

 警戒心が一気に高まる。俺の名前を知っている人間なんて、ろくでもない連中か、おやっさん関連の人間くらいしか思い浮かばない。どちらにしても、見知らぬ相手に気軽に近づいていい理由にはならなかった。

「そんなに警戒しないでほしいわ」

 女性は困ったように微笑んだが、俺は警戒を解くどころか、さらに距離を取った。

「見知らぬ人に声をかけられたら警戒するようにって、学校で習わなかったか?」

 少しばかり刺のある口調で返すと、女性はくすっと笑った。こちらの態度を気にした様子もなく、むしろ面白がっているようにさえ見える。

「本当に瑠奈の言ったとおりね」

「瑠奈の名前を出せば、警戒が緩むとでも?」


 知り合いの名前を出されたところで、相手を信用する理由にはならない。むしろ、こちらの知人について知っていることを利用して近づいてきた可能性だってある。


「本当に警戒を解いてほしいの。月野夜家の親戚、星宮菜々よ。瑠奈や純花は私の姪に当たるわね。あなたのお母さんとも親戚筋に当たるの。おじ様たちが海外出張中だから、何かあったら私が保護者の代わりになっているのよ」


 俺は相手の顔をじっと見つめた。

 月夜野家の親戚で、瑠奈と純花の叔母に当たる人物か。

 改めて顔立ちを確かめると、目元や口元に、どこか純花や瑠奈と通じるものがある。血縁関係があると言われれば、確かに納得できる部分はあった。

「本当らしいな。それで、星宮さんが俺に何の用で?」

「昼に早退したはずの誰かさんが、まだ帰ってきていないから、何かあったのかと心配していたのよ」

「まだ夜七時でしょ。ガキじゃあるまいし」

「小学生が理由もなしに出歩いていい時間じゃないわ」


 星宮は軽くため息をついた。口調こそ穏やかだったが、言っていることは至極もっともだった。

 ……確かに、そう言われればそうか。

 俺は内心で舌打ちした。

 まったく、この年齢は制限が多すぎる。行動するたびに年齢を理由にあれこれ言われるのだから、うんざりするぜ。


 高級車のエンジンが低く唸り、街の喧騒に紛れて響いていた。

 星宮さんは運転席のドアを開けたまま、こちらに視線を向けている。心配して迎えに来たという話に嘘はなさそうだが、その眼差しには、単なる気遣いだけでは説明できない何かが感じられた。

 ……俺のことを、どこまで聞いているんだ?

 そんな疑問が頭をよぎる。


「乗って、送ってくわ」

「拒否権は……なさそうだな。了解」


 俺は小さく肩をすくめ、後部座席に滑り込んだ。

 正直なところ、今すぐ家に帰るのは気まずかった。純花と顔を合わせたら、何を話せばいいのかもわからない。送ってもらえるなら、そのほうが都合はいい。

 シートに腰を下ろすと、柔らかな革が身体を包み込んだ。座り心地は申し分なく、車内には新車を思わせる清潔な香りが漂っている。

 ドアが閉まると、外の喧騒が一気に遠のいた。さっきまで歩道を行き交っていた人々の声も、車の走行音も、厚い窓に遮られてほとんど聞こえない。

 俺は背もたれに身体を預け、運転席に乗り込む星宮さんへと視線を向けた。


 罠だとしたら、脱出すればいいだけだ。本当に月野夜家の親戚なら、これ以上迷惑をかけるのもまずい。

 ひとまず、今は相手を信用するしかないか。

 菜々さんは運転席に戻り、静かにドアを閉めた。エンジンが低く唸り、高級車は滑るように走り出す。窓の向こうで、街の明かりがゆっくりと後ろへ流れていった。



 しばらく無言の時間が続いた。車内にはエンジンの音と、タイヤが路面を走るかすかな音だけが響いている。

 俺は窓の外を眺めながら、声をかけるタイミングをうかがっていた。やがて意を決し、口を開く。


「星宮さん」

「なにかしら、東雲君」

「金貸してくれないか?」

 菜々さんはルームミラー越しに俺の顔をちらりと見た。

 少し驚いたような、それでいて面白がっているような目だった。まさか、送っている相手からいきなり金の無心をされるとは思っていなかったのだろう。


「返せる当てもないでしょ。いくら必要なの?」

「とりあえず一万円あれば十分だ」

「なんでそんな大金が必要なのかしら?」

 俺はシートに深くもたれ、窓の外を流れる夜景を眺めながら答えた。

「年齢はガキでも、相手は女だからな。チョコの一つや二つ買って、機嫌を取った方が得策だろう。チョコで五千円ぐらい、花束が四千五百円ぐらいかかるだろ。やはり一万円は必要だ」


 菜々さんは一瞬、言葉を失ったように黙り込んだ。

 ところが、次の瞬間には堪えきれなくなったらしく、くすくすと笑い声を漏らした。

「そんなに必要ないわよ。小学生なんだから、普通のお菓子で十分よ」

 呆れ半分、優しさ半分といった声だった。

 ルームミラーに映る彼女の目元が、まだ笑っている。ハンドルを握る手にも、わずかに力が入っているように見えた。

 俺は内心で舌打ちした。


 車は夜の街を滑るように進み、月野夜家の方向へと向かっていた。

 車内は静かだった。フロントガラスやサイドウィンドウの向こうを、街灯や建物の明かりが次々と流れていく。規則的に差し込む橙色の光が、革張りの内装を照らしては消えていった。背中にはシートの硬さと冷たさが伝わってくる。

 星宮さんとの会話を続けながら、俺は何気なく窓の外を眺めていた。

 その時だった。

 頭の奥に、かすかな声が響いた。


『綾……君……助けて』

「純花!」


 思わず声が飛び出した。身体がびくりと跳ね、反射的にシートから身を起こす。

 突然の叫びに、星宮さんがこちらを振り返った。すぐに前方へ視線を戻すと、ハンドルを切って車を路肩へ寄せる。タイヤがアスファルトを擦り、短い音を立てた。


『綾……君……』


 再び聞こえた声は、さっきよりも弱々しかった。言葉の合間に途切れ、今にも消えてしまいそうなほどか細い。

 ふざけている様子などない。何かが起きている。それも、悠長に状況を確かめている時間はなさそうだった。

 俺は左手の指輪に意識を集中し、心の中で呼びかける。


『ティア』

『座標、出ました』


 返答は簡潔だった。直後、必要な情報が意識に流れ込んでくる。

 余計な確認も説明もいらない。俺が何を求めているのか、ティアは正確に理解していた。

 座標を確認しながらシートベルトを外す。金具が外れる音を聞きつつ、俺は星宮さんへと顔を向けた。


「星宮さん、すまん。行けなくなった」

「純花に何かあったの?」

「純花が何かトラブルに遭ったみたいだ。助けを求めてきた」


 それを聞いた瞬間、菜々さんの表情から笑みが消えた。先ほどまでの柔らかな雰囲気が引き締まり、こちらを見つめる目に真剣な色が浮かぶ。


「あなたが不思議な術を使うのは知っているわ。そこまで送るわ」

「それだと間に合わない。瞬間移動で行くから、この場所に来てくれ」

 俺はティアから受け取った座標を確認し、星宮さんに簡潔に伝えた。

「純花を……純花をお願い」

「任せておけ」


 迷いのない即答だった。

 俺は小さく息を吐く。純花を心配するその反応に、星宮さんが本当に月野夜家の関係者なのだと、改めて実感した。

『あ……や……』

 再び、純花の声が頭の奥に届いた。

 今度は俺の名前を呼び捨てにしていた。声は震え、掠れ、言葉をつなぐことさえ難しそうだった。それでも、必死に俺を呼んでいることだけは伝わってくる。

 ……まずい。時間がない。

 俺はドアを開け、夜の冷たい風を全身に浴びながら車外へ飛び出した。足を地面につけると同時に、純花のいる場所へ意識を向ける。

「時間がない。行くぞ!」

 瞬間移動は本来、一度訪れたことのある場所にしか使えない。

 だが、今回は違う。

 あらかじめ、純花、シエラ、沙樹の三人には、呼びかけを受ければすぐに飛べるよう、位置を特定する印を仕込んである。GPSのように相手の居場所を割り出せる、ティアの助力があってこそ実現した特別な術式だ。

 その座標を頼りに、俺は魔力を集中させた。


「瞬間移動《ルピカ》!」

 俺は意識を集中させ、瞬間移動の魔法を発動させるための力ある言葉を唱えた。

 その言葉が口をついて出た瞬間、視界が白く閃いた。目の前の景色が一瞬にして光に呑み込まれ、周囲の夜の風景が遠ざかっていく。

 次の瞬間、体が空間を切り裂かれるような鋭い感覚が走った。全身を貫くその感覚に意識を集中させながら、俺は目的地へと向かう。


 待っていろ、純花。

 まったく、次から次へと面倒事が舞い込んでくる。

 「何かあれば呼びやがれ」とは言ったが、あいつらが本当に助けを求めてくるような事態になるとはな。

 それに、あの切羽詰まった声だ。よほどのことが起きているのは間違いない。詳しい事情は現地で確かめるしかないが、のんびりしている余裕はなさそうだ。

 急がないと、あとで目覚めが悪いことになるかもしれない。

 無事でいてくれ、純花。

 俺が今すぐに向かってやるから、それまで我慢していろ。

「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……平穏なんていうのは無かった」をお楽しみいただけましたか?


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