20話 決断
俺が目を覚ますと、純花はとっくに起きていたようだった。
結局、一晩中、純花の膝枕で眠ってしまったらしい。
カーテンの隙間から朝の柔らかな光が差し込み、部屋の中を淡く照らしている。
窓の外からは鳥のさえずりが聞こえ、昨日と変わらない穏やかな朝が訪れていた。
「綾君、おはよう」
「ああ……」
俺は少し気まずい気持ちで返事をした。
さすがに、一晩中膝枕をしてもらうなんて予想していなかった。
しかも、目を覚ました純花は、そんなことなど気にも留めていない様子で、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべている。
本当にこいつら、小学生なのか?
昨日も思ったことだが、やっぱり変な奴らだ。
……まあ、人のことは言えないかもしれないが。
「起きるぞ」
「うん」
俺は純花の膝から頭を離し、上半身を起こした。
ところが、純花はその場に座ったまま動こうとしない。
さすがに一晩中、膝を貸してもらったのだから、起き上がるのを手伝おうと思い、俺は純花に手を差し伸べた。
純花もその手を取ったが、立ち上がろうとした瞬間、表情が一瞬だけ痛そうに歪んだ。
俺は慌てて手を離す。
……まさか。
「お前、まさか……しびれて動けないとか」
「ははっ……そうみたい」
「お前、ばかだろ。そんなになるまでやるな、馬鹿。まったく、勝手に膝枕なんてやってる罰だな」
「そんな風に言うのはひどいよ。一回起きたの、知ってるんだから」
「はぁ~、狸寝入りか。その時に素直に起きろ!」
「う~。堪能したかったんだけどなぁ」
「十二時間ぐらい堪能しただろうが! それにつけても腹減ったなぁ」
まったく、何を考えているんだ、こいつは。
足がしびれて動けなくなるまで膝枕を続けるなんて、普通じゃないだろ。しかも、途中で目を覚ましていたというのだから、なおさらだ。
俺の文句にも、純花は困ったように笑うだけだった。
「昨日、お姉ちゃん帰ってこなかったからね」
「はぁ……ってことは俺とお前だけだったのか」
「違うよ。メルとリルもいたから」
純花は当たり前のように答えた。
「だが……」
俺が次の言葉を続けようとした、そのときだった。
純花が、少し強い口調で俺の言葉を遮った。
「うん、綾君が何を言いたいのかはわかるよ。でも、口に出さないで。メルとリルも私の大事な家族なの。お願い……」
「ああ、すまなかったな」
純花の声には、いつもの穏やかさとは違う真剣さがあった。
俺はそれ以上、何も言わなかった。
……そうか。こいつにとって、メルとリルはそういう存在なんだな。
俺はすぐに会話を切り上げた。
……やはり、純花は気づいている。
俺がこの家のメイドたちを、人間ではないと考えていることに。
さっきの反応を見る限り、純花にとってメルやリルは、単なる使用人ではないらしい。だからこそ、俺が何かを口にする前に止めたのだろう。
まあ、今は余計なことを言わないほうがよさそうだ。
純花はベッドサイドのテーブルに置かれた呼び鈴を手に取り、小さく鳴らした。
澄んだ音が部屋に響く。
それから間もなく、扉が開いた。
メイドってやつは、メルみたいに落ち着いていて、穏やかなタイプばかりだと思っていた。
だが、入ってきたメイドは明らかに違った。
「は~い、純花ちゃん。お呼びですか~?」
やけに間延びした声とともに現れたのは、リルと呼ばれたメイドだった。
しかも、ノックすらしない。
いや、そこは一応、使用人としての礼儀を守ろうぜ。
そんなことを考えていると、リルは部屋に入ってくるなり、何もない平らな床で突然つまずいた。
「えっ?」
何も障害物なんてなかったはずだ。
なのに、リルの身体は勢いよく前方へ傾き、そのまま俺たちのいる方向へ倒れ込んでくる。
おいおい、冗談だろ!
俺は反射的に立ち上がり、倒れてくるリルを支えようと両腕を伸ばした。
そして、次の瞬間。
「……重っ!?」
予想を遥かに超える重量が、両腕にのしかかった。
人間一人を支える程度のつもりだったのに、これは何だ!?
腕にかかる負荷が尋常じゃない。受け止めた瞬間、足元まで沈み込むような感覚に襲われ、俺は思わず歯を食いしばった。
このままじゃ、俺まで押し潰される!
俺は即座に肉体強化の強化呪文を発動させた。
身体能力を引き上げ、現在の限界である五百キロまで強化する。
どうにかリルの身体を支えることには成功した。
だが、腕の震えは止まらない。
……おい、嘘だろ。
限度いっぱいだぞ。五百キロが限界だっていうのに、完全にそこまで力を使い切っている。
つまり、こいつはそれだけ重いということか?
どんな身体の構造をしていたら、メイドがこんな重量になるんだよ!
ふざけるな。こっちは朝っぱらから、何をさせられているんだ。
「綾様、ひどいです。女の子に言うセリフじゃないですよ~」
「そんなのどうでもいい! 早く自分で立ち上がれ。じゃないと支えるのをやめるぞ。さすがにもう無理だ!」
俺は必死に踏ん張りながら怒鳴った。
腕にかかる重さが、じわじわと増していく。
いや、実際に重量が増えているわけじゃない。どうやらリルが慌てているせいで、余計な力を入れているらしい。
こいつ、動転しているのか、それとも完全にパニックになっているのか。
どちらにしても、今の状態では俺の負担が増える一方だ。
「いいから落ち着け! 深呼吸して、ゆっくり立ち上がれ!」
俺が少し大きな声で指示すると、リルはようやく動きを止めた。
「はい……」
震えた声で返事をしたあと、リルは言われたとおりに深呼吸を始めた。
吸って、吐いて。
何度か呼吸を繰り返すうちに、身体から余計な力が抜けていく。
そして、ようやく自分の足で立ち上がった。
……助かった。
俺はリルから手を離し、こわばった腕を下ろした。
それにしても、ドジすぎるだろ。
どうやったら、何もない平らな床でここまで盛大に転べるんだよ。むしろ、転ぶほうが難しいんじゃないか?
いくら考えても理解できそうになかった。
「綾君、ありがとう」
純花がすぐに、心配そうな顔で礼を言ってきた。
いや、礼を言われてもな……。
俺はただ、身の危険を感じて必死に支えていただけだ。
こんなものをまともに受け止めていたら、下手をすれば大惨事だったぞ。
「身の危険を感じただけだ。こんなドジなメイドなんて首にしろ」
「それはできない相談だよ」
純花は困ったように微笑んだ。
どうやら、リルを解雇するつもりはないらしい。
……まあ、雇い主がそう言うなら、俺が口を出すことでもないか。
そう考えたところで、ようやく先ほどの出来事が現実味を帯びてきた。
五百キロの重量を持つ何かが、俺に向かって倒れ込んできたのだ。
それを、俺は限界まで身体を強化して受け止めた。
思い返しただけで、背中に冷たいものが走る。
額に浮かんだ冷や汗が、頬を伝って落ちていった。
……マジで、大惨事になるところだった。
「まったく、リルを支えてくれなかったら、私の方に倒れてきてたね。また助けてくれてありがとう」
「そうか。俺は身の危険を感じただけだ。お前のためではない」
「うん。ありがとう」
……だから、礼を言われても困るんだが。
俺としては、自分まで巻き込まれて潰されるわけにはいかなかっただけだ。結果的に純花を助けることになったとしても、別に感謝されるようなことじゃない。
まあ、本人が納得しているなら、これ以上何を言っても仕方ないか。
その後、俺と純花は部屋で朝食をとった。
用意された食事は上品なものだったが、俺は腹が減っていたので、ありがたくいただくことにした。純花も一緒に食べていたものの、学校へ行く時間が近づくにつれて、食事を終えると慌ただしく出かける準備を始めた。
身支度を整えながら、純花がこちらに話しかけてくる。
「今日行く沙樹ちゃんのところも、きっと綾君は気に入ると思うよ」
いつ俺が気に入ったと言った。
勝手に決めつけるなとは言いづらいな。
そう言うと多分純花は、「私の膝はお気になさらなかった」なんて返してきそうで、面倒なことになる。
「どうでもいい。気をつけて行ってこいよ」
「うん。森の外でシエラちゃんが待っているから、行ってきますね」
純花はそう言って、穏やかな笑みを浮かべた。
……本当に、この二人は沙樹ってやつのことが好きなんだな。
シエラと話しているときもそうだったが、純花との会話にも、ほぼ必ずといっていいほど沙樹の名前が出てくる。いったいどんなガキなんだか。
まあ、実際に会えばわかることか。
純花を見送った俺は、ひとまず自分の部屋へ戻った。
そこで、右手の人差し指に嵌めているブルーダイヤモンドに目を向ける。
「ティア、ちょっといいか」
呼びかけると、右手の人差し指にはめた宝石が淡い青色に光った。
次の瞬間、聞き慣れた声が直接頭の中に響いてくる。
『珍しいですね。綾様から呼び出されるなんて。それと、どうしてわざわざ声に出して話すんですか?』
「声を出した方が話しやすいからだ」
人が聞いている場所なら思念での会話に切り替えるが、今は周りに誰もいない。わざわざ頭の中だけで会話する必要もないし、こういうのは気分の問題だよな。
「どうやら、どこかの家で厄介になる羽目になったみたいなんだが……」
『そのために、現在家を渡り歩いているんですよね』
……相変わらず、話が早いな。
いちいち最初から説明しなくていいのは助かるが、こうも当然のように返されると、なんだか調子が狂う。
「どう思う?」
『綾様のパートナー候補でしょうか? ただ、沙樹という子がどんな子かわからないと……』
「違う! 何が嬉しくて子供をパートナーにするんだよ」
『ですが、シエラさんを未遂で、純花さんに膝枕をされている状況については、どうご説明されるんですか?』
「そんなこと知るか。シエラは余計なことを言ったせいだろ! 純花は勝手にやったことだろうが」
『それは置いておくとして、三件目に行かないと判断できないのでは?』
……こいつ、本当にAIなのか?
人間くさすぎる。
俺の反応を面白がっているようにしか思えないんだが。人工知能ってのは、もっと機械的で淡々としたものじゃなかったのか?
「それに、人間関係をこれ以上増やしたくねえ。面倒だ」
『ですが、話を聞く限り、必ず関係を持つことになりますよ』
「誰が一番危ないと思う?」
『ラッキースケベ的なトラブルですか?』
「違う! 次そんなこと言ったら分解してやるぞ」
『気を張りすぎですよ。ちょっとしたスキンシップじゃないですか』
「本当にてめえらは、俺のペースを崩すのが得意だな」
『お褒めいただきまして。多分、いろいろある可能性が高いのは月野夜家だと思います』
……褒めてねえよ。
人をからかってばかりいるくせに、質問にはきちんと答えるから質が悪い。
「なぜだ? 理由があるんだろ?」
『まずはシエラさんですが、資産家のご令嬢です。誘拐などの可能性はありますが、トラブル度は比較的低いと思います』
なるほど。確かに、シエラの家は財閥というだけあってっ資産家だ。
誘拐の危険がないとは言い切れないが、少なくとも、あの家には普通の運転手とは思えない人物がいた。
シエラを迎えに来た運転手の動きを思い出す。
立ち居振る舞いも、周囲への気の配り方も、ただ車を運転するだけの人間には見えなかった。まるで訓練を受けた人間のような動きだった。
あれだけ警戒の行き届いた家なら、何かあったときの備えも十分にあるのだろう。
……そう考えると、ティアの言うことにも一理あるのかもしれない。
「お次に純花さんですが、こちらも資産家である一方、何かと問題を抱えています。おそらく、純花さんの膨大な魔力と、二体の自動人形が原因でしょう」
「オートマタだったら、鷹上の所にもいただろう?」
「ですが、量産型は無機質な印象が強く、もう一体は戦闘特化型で、感情の制御もいまひとつでした」
「そういえば、純花の姉が感情の暴走とか言ってたな」
「はい。現在はご両親も不在で、身の回りを守っているのは、その二体だけです。基本的にメルは瑠奈さん専属、リルは純花さん専属となっています」
「あのドジメイドな……」
ボディガードの最中に、あんなドジをやらかされたらと思うと頭が痛くなる。
さっきの一件を思い出す。俺が支えなければ、リルはそのまま純花に倒れかかっていたはずだ。
五百キロの鉄塊が純花に向かって倒れてくる。そんな光景を想像しただけで、胃が重くなった。
「最後ですが、まだ行っていないので、詳しいことはわかりません。ただ、如月家ですね。娘さんにはまだ会っていませんが、ご主人と久遠様は、お二人ともかなりの戦闘力をお持ちです」
さすがは、おやっさんの親友だけある。
龍一さんは、普段の立ち振る舞いからして一般人とは違っていた。何気ない動作にも隙がなく、ただの喫茶店の店主とは思えない雰囲気がある。
久遠の戦闘力も、人間離れしていた。あの動きを思い出すだけでも、まともに相手をするのは厄介だとわかる。
「今のあなたでは、肉弾戦に限れば敗北するでしょう。その中でも、純花さんの立場は特に危ういと思われます」
「なぜだ? 聞いてもいいか?」
「あなたの無意識の攻撃を回避できる運動神経は評価しています。ただ、それだけです。先日のような大きなトラブルが起きた場合、純花さんを守りきるのは難しいでしょう。次は、あんな小物だけで済むとは限りません。シエラさんは、あの件に巻き込まれただけですから」
「もう一度聞く。そんなに如月家の男は強いのか?」
「攻撃力だけなら、あなたの方が上かもしれません。しかし、久遠さんのあのスピードを捉えて攻撃する自信はありますか? お父様も、きっと同等の動きができると思いますよ」
「残念ながら、ねえな……。如月の一族は全員そうかもしれないって予想してるのか?」
「私はそこまでは言っていませんが……何をお考えで?」
「世話になるんだ。良家のお嬢たちだし、家賃代わりにガードの真似事くらいはしてやろうと思ってな。ティア、参考になった」
『私は基本的に、綾様がなさることを止めるつもりはありません。ただし、命に関わる危険なことだけは止めると思ってください』
「ふん、まるで親代わりだな」
俺はすぐにティアとの通信を切り、おやっさんへ連絡を取った。
「おやっさん。今、大丈夫か?」
『何かあったのか?』
「もう一度、確認したい。三件のうち、どこかに世話にならないとダメなのか?」
『ああ。その方がお前のためだと、俺は信じてる』
「俺的には、おやっさんの手伝いをした方がいいと思うが」
『見てくれが小学生のお前に、仕事を手伝わせるわけにはいかん。覚悟を決めろ』
……俺みたいなやつと関わったせいで、この人にも迷惑をかけてるよな。
そもそも、何で俺はガキなんかに転生したんだよ。
「一般家庭に、俺みたいな人外の能力を持った奴が入るのは、トラブルの元になると思うぞ」
『それでもだ。もしトラブルが起きても、お前は何かあったら見捨てないと思ってる』
「買いかぶりすぎだろ?」
『お前と暮らした約一か月間で、どんな奴かはわかってるさ』
……まったく。この人は、俺のことをよく見ている。
だからこそ、ここまで言ってくれるんだろう。だが、だからといって素直に受け入れるのも、何となく癪だった。
「今、決めた」
『まだ龍一のところに行ってないだろう』
「月野夜家に世話になる」
『惚れたか?』
「そんなんじゃねえ。ガキに興味はないって言ったはずだぜ」
何でそういう話に持っていくんだ。まったく。
「養ってくれるんなら、返さないとダメだろう。俺には返せるものがねえ。なら、この間みたいなことがあったら助けてやるよ」
金を払えるわけでもなければ、まともに働けるわけでもない。今の俺にできることなんて、たかが知れている。
それでも、何かあったときに力を貸すくらいならできるはずだ。
ガキが泣くところは見たくねえしな。
「それにしても、純花を襲った理由がわからん。純花の従姉なら、鷹上もいいところの奴だろう? 何か知っているのか?」
『ああ、多分、メルとリルだな』
「知ってるのか?」
『知ってはいるさ。仕事柄、裏の世界には詳しいし、月野夜家とは知人だ』
「そうかよ」
おやっさんが知っているなら、何かしら事情を知っていてもおかしくはない。だが、今の返事だけでは、詳しいことまではわからなかった。
『俺はてっきり、もう一人に会うのが面倒なだけだと思っていたのだが』
それもある。まあ、半分は当たってるな。
『思っていたより、きちんとした理由だ。俺はお前が、もっと人らしくなれると信じている。俺のところではなく、あの子たちの方がお前にとってプラスになると思っている』
……今のところ、あいつらは俺に迷惑しかかけてないはずなんだが。
飯と寝る場所は、確かによかったけどな。
『初めに言った。お前に決断させると言っただろう。先方にはそう伝えておこう』
「助かる。俺から言うと、うるせえのが反対してくるからな」
通信を終え、俺は小さく息を吐いた。
本来の年齢なら、俺の方が少し上のはずなのに、今はこんなガキの姿だ。
おやっさんには、本当に頭が上がらない。
世話になりっぱなしで、恩を返そうと思ったら、また誰かの世話になることになった。
自分で決めたことなのに、どうにも歯がゆかった。
「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……平穏なんていうのは無かった」をお楽しみいただけましたか?
もし「続きが気になる」「応援したい」と感じていただけましたら、ぜひブックマーク登録と、ページ下部にある【評価する】ボタンから評価ポイントをいただけると、とても励みになります!
皆さんの応援が、次の話の執筆を進める力になりますので、どうぞよろしくお願いします!




