17話 俺の行き先は?
食事を終えた俺は、与えられた部屋に戻った。
扉を閉めると、廊下の物音が遠のき、静かな空間に一人きりになる。
……マジで、飯にしろ寝床にしろ、こんな快適な場所があったなんてな。
部屋は広く、余計な物音もない。ゆったりとした空間には圧迫感がなく、窓から差し込む光も穏やかだった。
そして何より、ベッドだ。
ふかふかのマットレスに身体を預ければ、全身を優しく受け止めてくれそうな柔らかさがある。昨日からいろいろあったせいか、こういう何も考えずに休める場所のありがたみが、妙に身に染みた。
一度横になったら、起き上がるのが嫌になりそうなくらいには快適だった。
これに勝るのは、女の布団ぐらいのものだな。
柔らかい女の身体を抱きしめて寝るのは最高だ。あの温もりと柔らかさに包まれて眠る心地よさは、何物にも代えがたい。
……まあ、今の俺の身体でそんなことを考えていると、いろいろと問題がありそうだが。
「……ふぅ」
俺はベッドの端に腰を下ろし、軽く息を吐いた。
さて、これからどうするか。
確か、おやっさんは今日、名児耶に戻ると言っていたはずだ。
なら、俺も帰る準備をしておかないとな。
ここは居心地がいいし、食事だって文句のつけようがない。できることなら、もう少しのんびりしていたいところだが、いつまでも世話になるわけにもいかないだろう。
まあ、多分シエラが帰ってくる前には、おいとますることになる。
昨日、あいつらは同じ学校になるだろうと言っていた。だが、おやっさんが名児耶に戻るのなら、俺も一緒に戻ることになるはずだ。
そうなれば、あいつらと顔を合わせる機会も、そうそうないだろう。
……その方がいい。
俺はベッドの上に手をつき、ぼんやりと天井を見上げた。
そもそも、俺と関わると確実にトラブルに巻き込まれる。
これはもう、間違いない。
昨日の一件だけでも十分すぎるほど実感した。俺自身、何が起きているのかさっぱり分かっていないのに、周囲では次から次へと面倒なことが起きている。
あのデバイス――確か、ティアとか言っていたな。
あんなものが存在しているということは、それだけの力を必要とする何かがあるということだろう。
人外の力を手に入れるための道具がある。わざわざそんなものを使わなければならない理由がある。
つまり、この先、俺自身もそんな力を必要とするような状況に立たされる可能性があるってことだ。
あの二人の性格を考えると、何か問題が起きれば放っておけずに首を突っ込んでくるタイプだろう。
困っている人間を見捨てられない。危険だと分かっていても、助けられる可能性があるなら動いてしまう。
まぁ……そういう人間は嫌いじゃない。
嫌いじゃないが、面倒事が増えるのも確かだ。
全く、核弾頭娘どもめ。
なら、これで縁を切った方がお互いのためだろう。
そう考えながら、俺はベッドに腰掛けたまま、しばらくぼんやりしていた。
すると、不意に部屋の静けさを破る音が響いた。
コンコン。
ドアをノックする音が聞こえた。
音の大きさで誰か来たかは分かった。
「どうぞ」
俺が返事をすると、間髪容れずに声が返ってきた。
「入るぞ!」
そう言いながら入ってきたのは、白いスーツをピシッと着こなした、いつものおやっさんだった。
相変わらず、服装に隙がない。
白いスーツには目立った乱れもなく、立ち姿にも妙な威圧感がある。どう見ても、これから帰るだけの人間には見えなかった。
「そろそろ名児耶に戻るのか?」
俺はベッドから顔を上げ、おやっさんに尋ねた。
「あぁ、俺はな。だがお前は違う」
「はぁ?」
思わず間の抜けた声が出た。
……いや、ちょっと待て。
俺はてっきり、おやっさんと一緒に名児耶へ帰るものだと思っていたんだが?
「じゃあ俺は施設に戻るのか?」
「それも違う。前にも言ったろ。俺の仕事は、危ない。妻子すらこちらに呼ばないくらいだ」
「……は?」
今度こそ、言葉が止まった。
妻子?
妻子って、あの妻子か?
……この堅物が結婚してたなんて、マジで驚きだ。
いや、別に結婚していたっておかしくはない。おやっさんだって人間なんだから、家庭があっても不思議じゃないだろう。
それでも、普段の言動を考えると、どうにも想像がつかない。
それに、危険な仕事だから妻子をこちらに呼ばないというのも気になる話だった。
なんで離れて暮らしているのかは知らねえが、さすがに聞くことじゃねえよな。
家庭の事情なんて、他人が気軽に踏み込んでいいものじゃない。
「んじゃ、妻子のところに俺を送るのか?」
「違う」
即答だった。
……おい。
施設でもない。妻子のところでもない。
じゃあ一体どこなんだよ……?
俺はおやっさんの顔を見つめた。
相変わらずの無表情。こちらが困惑していることなど、まるで気にしていないような顔をしている。
いや、実際には何か考えているのかもしれないが、少なくとも俺には分からない。
「え~い、まどろっこしい! 施設も違う、おやっさんのところも違う、妻子のところも違う。あんたのことだ、外にポイ捨てって案もねえだろ? もう提案がねえよ」
考えられる行き先を並べてみたものの、ことごとく否定されてしまった。
これ以上、どこへ行けというんだ。
俺は思わず両手を広げた。
「俺も困ったことになってな」
「困ったって……俺は人外の力を持ってるって教えたけど、残念ながら悟りの力はねえから、言ってもらわねえとわからんぞ」
思わせぶりなことを言われても、こちらには事情が分からない。
人外の力を持っているからといって、相手の考えまで読み取れるわけじゃないんだぞ。
俺は深いため息をつき、胸ポケットから煙草を取り出した。
銘柄は、前世から馴染みのラッキーストライク。
昨日の夜、こっそり抜け出して買っておいたやつだ。
こんなこともあろうかと……というわけではないが、手元にあると妙に落ち着く。
俺は一本くわえると、ジッポライターを取り出した。
蓋を開き、着火する。
カチッ、という金属音に続いて、小さな炎が立ち上った。
煙草の先に火をつけ、ゆっくりと吸い込む。
肺に煙が入り、独特の苦みと刺激が広がった。
……うん。
少しは気が紛れる。
そう思った、まさにその瞬間だった。
おやっさんの手が伸びてきた。
「ん?」
気づいたときには、くわえていた煙草をスッと取り上げられていた。
「お前にはまだ早い」
「信じろ信じねえは置いといて、俺は生前の記憶があって45歳なんだよ! 大丈夫だろ!」
思わず声が大きくなる。
いや、待て。
精神年齢という意味なら、俺はとっくに大人だ。前世の記憶だってあるし、実際に四十五年も生きてきたんだぞ。
それなのに、煙草一本すら自由に吸えないなんて、どう考えても納得がいかない。
だが、おやっさんは俺の抗議など意に介さず、淡々と言い放った。
「今のお前は9歳だ。駄目だ。ついでに言っておくが、タバコを吸うと成長が止まって、いつまでも女に間違えられる体になるぞ」
「…………」
……チッ。
それは反則だろ。
成長が止まるなんて話が本当かどうかは知らない。だが、今の俺の身体が女の子と間違えられるほどの見た目なのは事実だ。
これ以上、成長に悪影響が出る可能性があると言われたら、さすがに無視するわけにもいかない。
いや、そもそも、そんなことを言われたら吸えるわけがないだろうが。
俺は渋々、煙草を諦めた。
仕方ねえので、ジッポの蓋をパチパチ開け閉めしながら気を紛らわせる。
金属音が静かな部屋に響くのが余計に耳障りに感じてきた。
……くそっ。
煙草を取り上げられたせいで、余計に落ち着かなくなったじゃねえか。
俺はジッポの蓋をパチパチと開け閉めしながら、気を紛らわせるのだった。
「それで、困ったことって?」
俺はジッポライターを弄ぶ手を止め、おやっさんに視線を向けた。
さっきから妙に歯切れが悪い。俺の行き先について何か事情があるらしいが、いつまでももったいぶられても困る。
「お前が嫌でなければ、引き取りたいと言ってきてる」
「は?」
思わず間の抜けた声が出た。
……引き取りたい?
俺を?
いやいや、ちょっと待て。いったい誰が、何のために?
「トラブルの元を引き取るなんて物好きだな。俺がいたら迷惑かけるだけだろ」
自分で言うのもなんだが、俺は面倒事を引き寄せる体質なのかもしれない。
目覚めてからというもの、次から次へと厄介なことばかり起きている。そんな人間をわざわざ引き取ろうなんて、普通なら考えないだろう。
……同じ年の子と触れ合った方がいい?
まさか、そういうことか? 俺は即座に首を横に振った。
冗談じゃない。
あの二人の家に住むなんて、考えただけでも面倒そうだ。お人好しな少女たちに囲まれて暮らすなんて、俺の精神が保つ気がしない。
「他に龍一のところもある」
「まだそっちの方がマシか……」
龍一さんのところなら、多少は気楽に過ごせるかもしれない。
……いや、待てよ。
そこで俺は、ある重大な問題に気づいた。
そういえば、あの二人が親友を紹介したいと言っていたはずだ。そして、その親友は龍一さんの娘だとも言っていた。
つまり、龍一さんの家に行っても、もう一人増えるだけで状況は悪化してるじゃねえか。
「いや待て、女は、抱くのはいいが、一緒に暮らすのは面倒だぞ。ましてやガキは嫌いだ」
「お前は、もう少し普通に考えられないのか? ちなみに龍一の家にも、シエラや純花と同じ年の女の子がいるぞ」
それはあの二人から聞いていたのを思い出した。
「だからジャリには興味ねえって。十年後なら話は別だが……どこも遠慮させてもらうわ」
俺は大きく息を吐いた。
「お前の話を聞いていると、俺まで不安になってくる。女性をそんな風にしか見られないのか?」
おやっさんは眉間にしわを寄せ、心底困ったような顔をした。
「覚醒するまで、大人どもは、俺の体をもて遊んでたんだぞ。しょせん人間なんて快楽主義だ。今この瞬間も、金で男や女を買ってる奴がどこかにいる」
俺は肩をすくめた。 所詮、人間の本質は快楽主義。
どれだけ綺麗事を並べようが、自分の得にならないことを本気でやる奴なんて、ほとんどいない。
もちろん、例外がいることくらいは知っている。だが、そういう人間が少数だからこそ、目立つのだ。
俺だって、聖人君子になろうなんて思っちゃいない。
「覚醒したときに八年分の記憶を引き継いだら、こうなるんだよ。安心しろ、人の女に手を出したことなんて、生前もねえからよ」
……まあ、略奪とかはあったが。
基本的には、報復以外でやったことはない。
そこまで説明するつもりはなかったので、俺は余計なことを口にせず、ジッポライターを指先で回した。
「シエラにしろ、純花にしろ、十年後なら相当いい女になる可能性はデカいけど、今はさすがに範囲外だ。純花たちのメイドも訳アリでパスだ。だからその辺は安心してくれ」
「もう少し子供らしく振る舞えんのか?」
おやっさんが、呆れたようにため息をついた。
「出来るけど面倒くせえ! ボロが出るぐらいなら素でいくわ」
子供らしく振る舞うこと自体は、できなくもない。
だが、四六時中そんな演技を続けるのは面倒だし、どこかで綻びが出る可能性だってある。
だったら、最初から素の自分でいた方が楽だ。
前世の記憶を持っている以上、普通の九歳児と同じように振る舞うのには限界がある。無理に取り繕って余計な疑いを招くくらいなら、多少変な子供だと思われた方がまだマシだろう。
「それに、お前は学校に行かないといけない」
「は? 必要ねえだろ。今まで行ってなかったし」
突然の話題転換に、俺は思わず顔をしかめた。
学校?
今、学校って言ったか?
「この国では義務だ。だから義務教育って言うんだ。同じ年の子たちと触れ合えば、お前の歪んだ感覚も少しはまともになるだろ」
「…………」
……今さら掛け算や割り算なんてクソ面倒くせえ。
俺は心の中で頭を抱えた。
前世で四十五歳まで生きてきた人間が、九歳の子供に混じって授業を受ける。
考えただけで、うんざりする。
多分、この国も俺のいた地球と同じで、飛び級とかそんな甘い制度はねえだろう。
いや、そもそも今の俺の学力がどうなっているのかも分からない。八年分の記憶があるとはいえ、学校で習う内容をどこまで覚えているのか。
……小三からとか、マジで拒否したくなってきた。
「やっぱりチェンジで」
「諦めろ。だが俺も鬼じゃない。お前に行く家を自分で決めさせてやる。今日から三日間、各家で一泊ずつしてみろ。最終日の金曜の昼に返事くれ」
「…………」
俺は黙っておやっさんを見つめた。
いや、今の話のどこに救いがあった?
行き先を自分で決められると言われても、候補が三つあるだけじゃないか。しかも、どこにも同年代の女の子がいるらしい。
……選択肢があるように見せかけた罰ゲームじゃねえか。
今日は火曜日か……。
となると、火曜、水曜、木曜と一泊ずつして、金曜の昼に返事をするわけか。
頭の中で日程を整理していると、もう一つ気になることが浮かんだ。
「学校は?」
「来週からだ」
「改めて聞くけど、拒否権は?」
「あると思うのか?」
「…………」
だよな。
俺は天井を仰いだ。
ぜってぇ学校なんか行ったら、サボってやる。
九歳の身体で学校に通い、同年代の子供たちに囲まれて過ごす。そんな生活を送るくらいなら、適当に理由をつけて休んだ方がマシだ。
……なんて考えていたら、おやっさんが俺の考えを見透かしたかのように釘を刺してきた。
「サボったりしたら覚えておけ」
「…………」
マジかよ。
監獄かよ……勘弁してくれよ!
どうして俺が、こんな目に遭わなきゃならないんだ。
「でも学校まだ決まってねえだろ?」
せめて、そこに望みをかけるしかない。
学校が決まっていないなら、入学手続きだってまだだろう。試験やら何やらで時間を稼げるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いた俺に、おやっさんはあっさりと答えた。
「もう決まってる。私立光風聖母付属小学校だ」
「……は?」
聞き覚えのある名前に、俺は思わず固まった。
「そこってもしかして……」
「あぁ、二人が通ってる学校だ。来週からお前もそこに行くことになってる」
「…………」
終わった。
俺のささやかな希望は、ものの見事に打ち砕かれた。
よりによって、あの二人が通っている学校だと?
いや、待て。学校なんて、ほかにもいくらでもあるだろう。どうしてわざわざ、同じ学校に通わせる必要があるんだ。
そもそも、聖母なんて名前がついている時点で、普通の学校じゃない気がするんだが?
いや、名前だけで判断するのは早いかもしれない。だが、私立の小学校なのは間違いないはずだ。公立の学校なら、こんな名前にはならないだろう。
「試験とかあるだろ?」
俺は最後の悪あがきとばかりに、抵抗を試みた。
普通、私立の小学校に入るなら入学試験があるはずだ。いくら何でも、何の準備もなしに入れるわけがない。
そうだ。試験があるなら、今から入学するなんて無理に決まっている。少なくとも、俺が知らないうちに手続きまで済ませられるはずがない。
そんな淡い期待を抱きながら、おやっさんの返事を待った。
「大丈夫だ」
「裏口じゃねえかよ……」
「二人の家からのお礼らしいな」
「マジで勘弁してくれ……」
俺は片手で顔を覆った。
お礼って何だよ。
いや、俺が助けたことへの感謝なのかもしれないが、その結果がこれというのは、さすがに割に合わない。
しかも、どうせお約束みたいに同じクラス確定なんだろうな。
絶対にサボれないじゃねえか。
……ああ、もう。
俺の平穏な生活は、どこへ行ってしまったんだ。
「今日は?」
これ以上考えても仕方がないので、俺は話を戻した。
「移動するのも面倒だろう。ここからスタートだ」
「了解」
どうやら、今日の宿泊先はレディルーチェ家で決まりらしい。
なんてご都合主義なんだよ。
俺は内心で悪態をつきながら、今後の行動方針を決めた。
学校では、あいつらとは極力離れて行動しよう。
男と女なんだ。きっと大丈夫だ……はず。
自分にそう言い聞かせてみたものの、どうにも嫌な予感が拭えない。
「お前はここでゆっくりしてろ。俺は仕事があるから、また金曜に来る」
「了解」
おやっさんはそれだけ言うと、踵を返して部屋を出ていった。
ドアが閉まる音を聞き届けてから、俺はベッドに倒れ込んだ。
柔らかなマットレスが身体を受け止める。
……マジでバックレたくなるわ。
俺は枕に顔を埋めた。
神様の野郎、何が楽しんでだよ。
厄介事ばっか降ってきやがって。
せっかく転生したんだから、もう少し平穏な生活を送らせてくれてもいいだろうに。
ため息をつきながら天井を見つめていると、ふと頭に浮かんだ。
――来週から、あの二人がいる学校に通うことになる。
純花とシエラと、あと一匹増えるんだっけ。
確か、早く親友に紹介したいと言っていた。
ということは、あのタイプがもう一人増えるのか……。
核弾頭級のお人好しトリオと、同じ教室で毎日顔を合わせるなんて。
俺の平穏な隠遁生活は、もう完全に終わりを告げた気がした。
それに――あのティアとかいうデバイス。
あれに関わった以上、人外の力が絡む世界に、俺が本格的に足を踏み入れることになる。
あの決断を下したのは、確かに俺自身だ。状況に押し流されるように決めたとはいえ、今さらなかったことにはできそうにない。
……いったい、これから何が起きるんだろうな。
俺はステータス画面のことを思い出した。
あんなものが存在するなんて、まるでゲームの主人公にでもなった気分だ。もっとも、ゲームのように都合よく進む保証なんてどこにもない。
むしろ、待ち受けているのは厄介事や荒事ばかりだろう。
……はぁ。
俺は深いため息をついた。
「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……平穏なんていうのは無かった」をお楽しみいただけましたか?
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