16話 朝食と家族の団らん
朝、俺はおやっさんと一緒に、レディルーチェ家の食堂で朝食を摂っていた。
目の前に並ぶ料理を眺めながら、俺は早くも頭を抱えたくなっていた。
正直、朝から何だ、この暴虐的な豪華さは。
大きなテーブルの上には、朝食とは思えないほど贅沢な料理が並んでいる。その中でも、ひときわ俺の目を引いたのが、黄金色に輝くスクランブルエッグだった。
ふんわりと仕上げられた卵の表面を、黒い破片が惜しげもなく覆い尽くしている。
まるで、焦げた夜の残骸をぶちまけたような見た目だった。
鉛筆の削りカスか、それとも干からびた泥団子の欠片か。
少なくとも、食べ物の上に振りかけられているものとしては、あまり食欲をそそられる外見ではない。
席に着いた瞬間、俺の脳が真っ先に発した感想はこれだった。
「……なあ、おやっさん。この卵の上に乗ってる『黒いカス』、何なんだよ?」
思わず隣に座るおやっさんへ身を寄せ、小声で耳打ちする。
料理を用意してくれたレディルーチェ家の人たちに聞こえたら、さすがに失礼だろう。いや、そもそも食べ物を前にして、黒いカス呼ばわりすること自体が失礼なのかもしれない。
だが、こっちだって気になるものは気になるんだ。
「あぁ? 黒トリュフだろ。見たこともないのか、お前?」
おやっさんは、そんなことを聞くのかと言わんばかりの顔で答えた。
「これが……。もっと上品な見た目かと思ってた」
名前だけなら知っている。
世界三大珍味の一つだとかで、非常に高価な食材だという話は聞いたことがあった。
もっとも、名前を知っていることと、実物を見たことがあるかどうかは別問題だ。
そして、実際に目の前に現れた黒トリュフは、俺が想像していたものとは大きく違っていた。
いや、これ、本当に高級食材なのか?
そんな疑念を抱きながらも、俺は試しに鼻を近づけてみた。
その瞬間だった。
ふわりと立ち上った香りが、俺の鼻腔を一気に満たした。
熱を帯びたスクランブルエッグの上で、トリュフの香りが目覚めたように広がっていく。土を思わせる独特の香りの奥に、濃厚で複雑な風味が感じられた。
見た目だけでは想像もつかなかった存在感に、俺は思わず目を瞬かせる。
……ああ、なるほど。
これは確かに、ただの黒いカスじゃない。
嗅いだだけで「これは本物だ」と思わせるだけの、圧倒的な香りがあった。
さらに、皿の上を見れば、ほかの料理も負けてはいない。
脇には、薄く切られたベーコンが並んでいる。表面はこんがりと焼き上げられ、脂の輝きと黄金色の焼き目が食欲を刺激していた。少しでもフォークを入れれば、パリパリと小気味よい音が響きそうだ。
その隣には、バラの花を模して盛りつけられたアボカド。
鮮やかな緑色の果肉が幾重にも重なり、完熟した柔らかな質感まで伝わってくるようだった。
そして、ひときわ目を引くのがメロンだ。
果肉はみずみずしく、今にも甘い蜜が滴り落ちそうなほど。切り口から漂う香りだけでも、最高級の品だということが伝わってくる。
……いや、待て。
これ、本当に朝食なんだよな?
高級ホテルのフルコースじゃなくて?
目の前の光景を眺めているだけで、前世の自分がどれほど縁のない世界に生きていたのか、否というほど思い知らされる。
「こんなもん、生前じゃ一生縁がなかったな……」
俺はおやっさんだけに聞こえるよう、ぼそりと呟いた。
「それに、所詮は口の中に入れば全部一緒だろ」
口ではそんなことを言いながら、俺はフォークを手に取った。
まずは問題の黒トリュフだ。
黄金色のスクランブルエッグを大きめにすくい、黒い破片ごと口の中へ放り込む。
ふんわりとした卵が舌の上でほどけた、その直後。
「……っ、うめぇ……!」
思わず声が漏れた。
見た目の不気味さなんて、もうどうでもよかった。
口の中に広がる濃厚な旨味。卵のまろやかさに重なるトリュフの香りが、鼻の奥まで一気に突き抜けていく。
噛むたびに風味が広がり、飲み込んだあとでさえ、その余韻がしっかりと残っていた。
添えられたベーコンの塩気も絶妙だった。香ばしく焼き上げられた脂の旨味が卵の味を引き立て、トリュフの濃厚な香りとも見事に調和している。
……なんだ、これ。
さっきまで黒いカスだの何だのと好き勝手に言っていた自分が、急に恥ずかしくなってきた。
いや、見た目が不気味だったのは事実だ。
だが、味については文句のつけようがない。
「…………」
俺は黙って、もう一口食べた。
今度はベーコンも一緒に口へ運ぶ。
やっぱり、うめぇ。
口では「全部一緒」なんて言っていたくせに、いざ食べてみればこの有様だ。自分の舌が、目の前の料理に完全降伏している。
ならば、ほかの料理も試さないわけにはいかない。
俺はフォークを伸ばし、バラの花を模したアボカドを口に運んだ。
滑らかな舌触りと、まろやかで濃厚な味わい。
続いてメロンを一口。
口いっぱいに広がる甘さと、みずみずしい果汁。その味わいは、前世で知っていたものとは明らかに違っていた。
……同じ食材でも、ここまで変わるものなのか。
素材そのものが違うのか、それとも育て方や調理の技術が違うのか。
詳しいことは分からない。
ただ一つだけ確かなのは、俺が今まで食べてきたものとは、何もかもが別格だということだった。
気づけば、皿の上の料理を次々と口に運んでいた。
さっきまで見た目に文句をつけていた黒トリュフでさえ、今では一欠片も残したくないと思っている。
……いや、だって、うまいものはうまいんだから仕方ないだろ。
そんなふうに料理を堪能していたところで、ふと視線を感じた。
顔を上げる。
レディルーチェ家の面々が、揃ってにこやかにこちらを見ていた。
……ん?
俺、何かしたか?
食べ方が汚かったとか、そんなことはないよな。
いや、待て。もしかして、さっき黒いカス呼ばわりしたのが聞こえていたのか?
だとしたら、かなりまずい。
だが、彼らの表情に怒りや不快感は見当たらない。むしろ、こちらの様子を楽しそうに眺めているように見えた。
「……何が楽しいんだ。全くわからん」
「ふふっ。ごめんなさいね。あまりにも美味しそうに食べてくれるものだから」
俺の疑問に答えたのは、茉莉花さんだった。
「美味しそうにって……普通に食べてただけだろ」
「そうかしら? 最初はずいぶん警戒していたように見えたけれど」
「そ、それは……」
思わず言葉に詰まる。
そりゃそうだろう。見た目は黒い削りカスだし、そもそも何なのかもわからなかったんだからな。あんなものをいきなり出されたら、誰だって警戒するだろ。
「黒トリュフをあんなふうに表現する子は、初めて見たわ」
「っ!?」
聞こえていたのかよ!
俺は思わず顔を引きつらせた。
「いや、あれは見た目の話であってだな。別に、料理を馬鹿にしたわけじゃ……」
「ええ、わかっているわ。だから怒ってなんていないのよ」
茉莉花さんは、くすくすと笑いながら俺を見つめていた。
その表情を見る限り、本当に怒っているわけではないらしい。どうやら、俺の反応そのものが面白かったようだ。
……いや、だからって笑うことはないだろ。
「それに、気に入ってもらえたのなら、料理人も喜ぶと思うわ」
「……まあ、美味かったのは確かだけど」
そこは素直に認めるしかない。
悔しいが、あの黒いカス……じゃなくて、黒トリュフとやらは、文句のつけようがないくらい美味かった。見た目だけで判断したのは、さすがに失礼だったかもしれない。
「ふふっ。素直でよろしいこと」
「実際に喜んでもらえて、私としてもうれしい限りだ」
茉莉花さんとのやり取りを見ていたレディルーチェさんも、満足そうに頷いた。
それにしても、こうして改めて見渡してみると、レディルーチェ家の人たちは食事の仕方まで綺麗だった。
きちんとしたマナーというものを詳しく知っているわけじゃない。それでも、一人ひとりの所作が自然で、無駄な動きもないことくらいはわかる。
シエラ自身も、普段の騒がしさが嘘みたいに丁寧に食事をしていた。
こうして家族が揃って食卓を囲み、談笑しながら食事を楽しんでいる。
……家族の団らん、か。
俺はしばらく、その光景を眺めていた。
「綾、どうしたの?」
ふいに声をかけられ、俺は我に返った。
「どうしたって?」
「なんか遠い目をしていたから」
「遠い目? 朝だからって、まだ寝ぼけているのか?」
「はぁ? 誰が寝ぼけてるって?」
シエラの眉がぴくりと動いた。
次の瞬間、彼女はバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。
おいおい、何をそんなにムキになってるんだよ。ちょっとからかっただけだろ。
「シエラ、お行儀が悪いわよ」
茉莉花さんの声が飛んできた。
「…………」
シエラはぴたりと動きを止めた。
さっきまでの勢いはどこへやら。反論することもなく、黙って椅子に座り直すと、何事もなかったかのように黙々と食事を再開した。
……母親には逆らえないらしい。
そんな平和なトラブルもあったものの、その後も多少の会話を交わしながら、俺たちは朝食を終えた。
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