12話 決着
イスカは、むき出しの憎悪を宿した目で俺を睨みつけたまま、ゆっくりと腕を振り上げた。
次の瞬間。
ズシャァッ!
直感に従って、俺はとっさに横へ飛び退いた。
コンマ数秒前まで俺が立っていた場所を、青白い火花を散らすムチが激しく叩きつける。アスファルトが砕け、細かな破片が足元まで跳ね飛んできた。
「っ……!」
俺はすぐさま体勢を立て直し、イスカの手元へ視線を走らせた。
いつの間に仕掛けたのか、俺とイスカの周囲には、幾重ものロープが張り巡らされていた。
駐車場に放置されていた廃車や、錆びた車止めを利用して複雑に張り渡されたロープ。その表面を青白い火花が走り、耳障りな放電音を響かせている。
ただのロープじゃない。
電流を流すための導線か何かだろう。
俺が周囲の状況を確かめている間にも、イスカは手にしたムチをしならせ、ロープの配置を利用して逃げ道を塞いでいく。
「あたしの体をこんなボロボロにしやがってッ! バラバラに刻んで豚の餌にされるか、生きたままジワジワと感電死するか、どっちがいいか選ばせてやるよぉ……ッ!」
狂気に染まったイスカは、バチバチと火花を散らすロープへ、破れた服の切れ端を放り投げた。
布切れがロープに触れた瞬間。
バチィッ!
激しい放電とともに布が燃え上がり、あっという間に灰へと変わった。
「……マジかよ」
思わず呟きが漏れる。
触れただけでこれか。
まともに食らえば、耐性呪文を使っていても無事では済まないかもしれない。
「誰も来やしないよ。……ここは、あたしが作った処刑リングなんだからねぇ……っ!」
イスカはムチをしならせながら、一歩ずつ間合いを詰めてきた。
駐車場の一角を囲むロープには、絶え間なく青白い火花が散っている。逃げようとすれば電流に触れる危険がある。かといって、イスカを無視して突破しようにも、あのムチをかいくぐって安全圏までたどり着くのは容易じゃない。
さっきまでの無機質な動きとは違う。今のイスカは、俺をいたぶって殺すことしか頭にないらしい。
SFのサイボーグというより、得体の知れないホラー映画の怪物だ。
「久遠ッ!」
純花の姉が、久遠に向かって声を張り上げた。
「分かってるッ! 君ッ、今すぐ俺が代わ……!」
久遠さんがこちらへ踏み込もうとする。
だが、その行く手を電流の流れるロープが阻んだ。
無理に突破すれば、久遠さんまで感電する危険がある。かといって、ロープの配置を見極めようにも、イスカがムチを操っているせいで迂闊には近づけない。
「……本当は代わってほしいんだが、ここから出る方法がわからない。結局、この女をぶちのめすしかないみたいだ」
俺は久遠さんに向かって声を張り上げた。
子供相手に、本気になりすぎだろ、このポンコツは。
そんな軽口を頭の中で叩いてみたものの、腹部の傷がズキリと痛んだ途端、現実に引き戻された。
全身が重い。さっきまでの戦闘で、体力も魔力もほとんど残っていない。立っているだけでもつらいのに、ここからもう一戦なんて冗談じゃない。
出来る事なら、今すぐ久遠に丸投げして休みたい。
好奇心は猫をも殺すとはよく言ったものだ。
廃車に興味を向けなければとか思うけど、後の祭りだな。
過ぎたことを悔やんだところで、目の前の状況が変わるわけでもない。
それにしても、目の前のイスカは、俺を逃がすつもりなど欠片もないようだった。
なら、やるしかないな。
ほかに選択肢はない。そう判断するしかなかった。
この電流だらけの檻を抜けて、あの怪物をもう一度ぶちのめす。
……とはいえ、具体的にどうするかは別の話だ。
さて、どうしたものか。
「選ばせてやる、だと? さっきの一撃で吹っ飛んだ無様なポンコツが、偉そうなこと言ってんじゃねえよ」
腹部の傷が激しく痛む。それでも俺は、傲岸不遜な笑みを浮かべて痛みを押し隠した。
ここで弱気を見せれば、一気に食われる。
必要なのは、相手の心をへし折るための「はったり」と「強気」だ。
アンドロイドに、それが通用するかどうかは知らん。
それより、自分自身にもそのはったりを通して、乗り切れるかどうかだな。
少なくとも、俺にはまだ手が残っている。
それを使う余裕があるかどうかは、別問題だが……。
「……スクラップにされる覚悟は、できてるんだろうな?」
俺は夕姫を構え直した。
炎の刀身が揺らめき、パチパチと火花を散らす。その熱を感じながら、極限まで集中力を研ぎ澄ませ、ムチの軌道を見据えた。
「――このあまぁああああああああああああああああああああ!」
イスカの顔が憎悪に歪む。俺の挑発が、どうやら最後の一線を踏み越えさせたらしい。
次の瞬間、イスカは獣のような叫び声を上げて襲いかかってきた。
ムチが唸りを上げ、青白い火花を散らしながら、俺めがけて迫る。
俺の挑発に、イスカの中で何かが千切れる音がした。
般若のような形相で、イスカが襲いかかってくる。
ムチが唸りを上げ、青白い火花を散らしながら迫った。
だから、俺は男だと言ってるだろ!
……いや、今そこを気にしてる場合じゃない!
俺は反射的に回避へ移ろうとした。
だが、その瞬間。
極限まで酷使した足が、一瞬だけ動かなかった。
「しまっ……!」
回避が間に合わない。
咄嗟に耐性呪文を発動させた直後、最大電圧を帯びた電気鞭が、俺の身体を容赦なく打ち据えた。
バチバチバチッ!
青白い閃光が視界を埋め尽くす。
「ぐわぁぁぁあああッ!」
「しののめ~ッ!」
「あやさーんッ!」
シエラと純花の悲鳴が聞こえる。
電流が身体の奥まで突き抜け、筋肉が意思に反して跳ね上がった。歯を食いしばることすらできず、喉の奥から悲鳴が漏れる。
耐性呪文のおかげで、電撃による致命的なダメージは免れた。だが、鞭の衝撃までは防ぎきれない。
俺の身体は地面へ叩きつけられた。
「きゃははは! 丸焦げになった感想はぁ? 何か言ってみろよ! ああ、人間は炭になったら喋れもしないかぁ!」
イスカの耳障りな高笑いが響く。
あいつは俺が完全に動けなくなったと思ったらしい。倒れた俺の身体へ、さらに容赦なく拳を叩き込んできた。
鈍い衝撃が走る。
腹部の傷に激痛が走り、思わず息が詰まった。
全身が痺れ、手足に力が入らない。身体を起こそうとしても、腕が震えるばかりで思うように動けなかった。
助かったとはいえ、身体の痺れも痛みも消えちゃいない。
「……いてーな」
俺が低く呟くと、イスカの顔から笑みが消えた。
「……は? 嘘でしょ……?」
信じられないものを見るように目を見開いたイスカは、短い悲鳴を上げて後ずさった。足がもつれ、そのまま無様に尻餅をつく。
仕留めたはずの相手が、まだ意識を保って喋っている。その事実が、よほど信じられないらしい。
俺は地面に片手をつき、ゆっくりと上体を起こした。
身体のあちこちが焼けるように痛む。指先は震え、息を吸うたびに腹部の傷が悲鳴を上げた。
それでも、夕姫を手放すわけにはいかなかった。
「人間を自称するならともかく、ガラクタ風情が、よくもここまでしてくれたな。……ロボットのルールを忘れた奴は、スクラップがお似合いだ」
全身の痛みに耐えながら、俺は静かに詠唱を始めた。深淵の底から響くような言葉が、ひとつ、またひとつと口をついて出る。
イスカの顔が強張った。
「な、なによ、その変な言葉は……何、このおぞましい魔力はっ!? いくら魔力があろうと、アタシが人間にやられると思うなーーっ!」
恐怖を振り払うように叫び、イスカが再び鞭を振り上げる。
青白い火花が鞭を走り、ロープが不気味な音を立てた。狙いを定めた先は、間違いなく俺だ。
だが、その腕が振り下ろされるよりも早く、俺の詠唱が完成した。
「――『物質破壊』」
力ある言葉を発した、その瞬間。
イスカの鞭が俺に届くより先に、鞭の先端から細かな粒子へと変わり始めた。崩壊は一瞬で柄へと広がり、握っていたイスカの手まで呑み込んでいく。
「えっ……?」
イスカが目を見開いた。
だが、驚く暇すら与えない。
鞭だけでは終わらなかった。腕から肩へ、胴体へ、そして脚へ。イスカを構成する金属や装甲が次々と形を失い、砂の城が崩れるように細かな塵へと変わっていく。
「な……っ、あ……?」
イスカの声が途切れた。
手を伸ばそうとしても、腕はすでに崩れ始めている。逃げようにも、脚は地面を踏みしめる形さえ保てない。反撃しようにも、頼みの鞭は跡形もなく消え失せていた。
機械仕掛けの身体が、音もなく崩壊していく。
やがて、イスカの姿は完全に塵へと変わり、吹き抜けた風にさらわれていった。
生物には効かない。
だが、所詮は「モノ」でしかないお前には、これが最高の餞だ。
俺は夕姫を構えたまま、イスカがいた場所に残る塵を見下ろした。
これで、ようやく終わった。……と思ったのも束の間。
鷹上が驚愕のあまり唸り声を上げた。顔を引きつらせたまま、こちらに背を向け、情けなく逃走を始める。
そう言えば、まだ残っていたな。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!」
鷹上は悲鳴を上げると、正門へ向かって一目散に走り出した。
さっきまでの尊大な態度はどこへやら。選ばれた種族だの、下等種族だのと偉そうにほざいていた男が、仲間を見捨てて逃げ出したのだ。
「逃がすかよ……ッ!」
俺は夕姫を握り直し、残った力を振り絞って魔力を練り上げた。
「『魔法の矢』!」
放たれた光の矢が、鷹上の足元へ向かって飛翔する。直後、アスファルトに激突した矢が爆ぜ、爆煙と衝撃波が周囲へ広がった。
「うわぁぁっ!」
爆風に煽られた鷹上は、足をもつらせて転倒した。そのまま地面に尻餅をつくと、逃げようとするのも忘れ、這いずるようにして俺から距離を取ろうとする。
俺は夕姫を手に、ゆっくりと近づいた。
腹部の傷が痛み、足取りは重い。一歩進むたびに傷口が疼き、全身に蓄積した疲労が身体の動きを鈍らせる。
それでも、ここで逃がすつもりはなかった。
「逃げるんじゃねえよ……ッ!」
「ひっ……!」
鷹上が情けない声を漏らし、さらに後ずさる。
俺は夕姫の炎を弱め、目の前で怯える男を見下ろした。
「さて、俺も疲れた。機械人形ならいざ知らず、生きてる人間を殺すのは趣味じゃない。代わりにある呪文をかけてやる」
「い、命だけは……っ!」
……おいおい。
さっきまでの威勢はどうしたんだよ。
「こういう時こそ強がりを言うもんじゃないのか? ノブレス・オブリージュとやらは、そういうものだろ。さんざん選民意識をひけらかしてた意地はどうしたよ」
皮肉を投げかけても、今の鷹上に言い返す気概は残っていないらしい。
地面に手をついたまま、必死に首を振っている。先ほどまで人間を下等生物と呼んでいた男が、今では自分の命乞いに必死だ。
まったく、見事なまでの手のひら返しだな。
俺はそんな男を見下ろしながら、静かに拘束の詠唱を開始した。
「――『強制』」
重苦しい魔力が鷹上の身体へと刻み込まれる。
目に見える鎖が現れたわけではない。だが、術式が完成した瞬間、鷹上の身体がびくりと震えた。何かを振り払うように身じろぎしたものの、すぐに動きを止め、怯えた目で俺を見上げる。
「この呪文は、俺の命令に逆らえば全身に激痛が走る戒めだ。……まあ、俺以上の使い手なら解けるかもしれないがな」
そう告げた直後、俺は溜めていた怒りを拳に込め、鷹上の顔面へ叩き込んだ。
「ぶべっ!」
拳が顔面を捉え、鷹上の身体が横へ転がる。頬をアスファルトに擦りつけた男を見下ろし、俺はようやく息を吐いた。
……少しは、すっきりした。
もっとも、俺の身体はすっきりどころじゃない。
腹部の傷は相変わらず痛み続け、全身の筋肉が悲鳴を上げている。夕姫を握る指先にさえ、まともに力が入らなくなっていた。
「凄い……」
「本当に、何者なの……」
「あのイスカや鷹上を、たった一人で圧倒するなんて……」
上から順に純花、シエラ、そして純花の姉が、呆然とした様子で感想を漏らした。
いや、圧倒したというか、最後は本当にギリギリだったんだけどな。
特に、あの電気鞭は危なかった。
耐性呪文を使っていなければ、今ごろ俺も地面に転がったまま動けなくなっていたはずだ。
……まあ、わざわざ説明する気力もないけど。
俺は小さく息を吐き、夕姫の柄を握り直そうとした。
しかし、指が思うように動かなかった。
おかしい。
さっきまでは、どうにか身体を動かせていたはずなのに。
視界が揺れた。
駐車場のアスファルトも、倒れた黒服たちも、崩れた廃車も、すべてが水の中に沈んだ景色のようにぼやけていく。
まずい。
さすがに、もう限界らしい。
「悪い……もう、無理……っ」
腹の傷。
全身の痛み。
そして、枯渇した精神力。
これ以上、意識を保つことはできなかった。
夕姫の炎が消え、柄を握っていた手から力が抜ける。
急速に冷えていく世界の中で、俺はゆっくりと意識を手放した。
地面に倒れ込む直前、誰かが温かく支えてくれた感触が、微かに残っていた気がした。
「転生したら女の子みたいな見た目の男の子になってたけど……平穏なんていうのは無かった」をお楽しみいただけましたか?
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