10話 状況は良くなったと思ったら、最悪な状況に
流石はリゾートホテルだった場所だ。敷地が広すぎて、外に出るだけでも一苦労だった。
ようやく廃ホテルの広大な駐車場までたどり着いた。隅には錆びついた廃車が何台も放置され、敷地を囲むフェンスもあちこちで歪んでいる。すぐ後ろには、窓ガラスの大半が失われた廃ホテルがそびえていた。
隠れながら逃げるには都合がいい場所だが、正門まではまだ遠い。そこまで走り切ることを考えると、思わずげんなりしてしまう。
「……しかし、まずいな」
思わず独り言ちる。
あのヘタレナルシストはともかく、控えているメイドさんの戦闘能力は洒落にならない。
まともに戦えば、こっちの消耗が激しくなるのは目に見えている。しかも、今は純花とシエラが一緒だ。
俺一人なら、多少無茶をしてでも逃げる手はある。だが、二人を守りながらとなると話は別だった。
それに、相手が温度センサーのようなものを使っていたら、廃車の陰に隠れたところで見つかる可能性もある。そもそも、あのメイドがどんな能力を持っているのかさえ、まだわかっていないのだ。
……こんな時、お約束の援軍でも現れてくれればいいんだが。
「純花ッ! シエラちゃんッ!」
不意に、駐車場の向こうからこちらを呼ぶ声が響き渡った。
「純花お嬢様、シエラお嬢様」
もう一人、女性の声が続く。
「お姉ちゃんとメルさんの声だ!」
純花がパッと顔を輝かせた。
「これできっと大丈夫ね」
シエラも、張り詰めていた表情を和らげる。
二人の顔に、希望の灯がともった。
……なるほど。知り合いが迎えに来てくれたわけか。
だが、俺はすぐには喜べなかった。
聞こえてきたのは、どちらも女性の声だ。
もちろん、女性だから戦えないなんて決めつけるつもりはない。現に、さっきのメイドはとんでもない化け物だった。
助けに来てくれたのはありがたいが、その二人は戦えるのだろうか?
もし戦えないのなら、足手まといが増えるだけだ。
……いっそ、純花とシエラを引き渡して、俺が殿を務めるか。
まったく、損な役回りだ。
しかし、その直後だった。
肌を刺すような鋭いプレッシャーが、こちらへ向かって駆け抜けた。
「……っ!」
反射的に息を呑む。
気配は二つ。そのうち一つから感じる圧力は、間違いなく場慣れした強者のものだった。
単に腕が立つだけじゃない。実戦をくぐり抜け、敵を前にしても動じない。そんな人間がまとっている、独特の気配だ。
生前でも、こんな圧力を感じたことがない。
もし敵だったら、逃げ出したくなるほどだ。
俺は即座に、先ほどの考えを撤回した。
「なら合流しようか。まだ走れるか?」
俺は二人を地面に下ろし、それぞれの顔を確かめた。
「大丈夫です!」
純花が力強く答える。
「ここで動かないと、どうにもならないでしょ」
シエラも頷いた。
さっきまで逃げ続けていた二人だ。疲れていないはずがない。それでも、ここで立ち止まっていては状況が悪くなると、ちゃんと理解しているらしい。
「よし。無理はするなよ」
二人の返事を聞き、俺は援軍の声がした方向へ向き直った。
これなら、少しは状況を変えられるかもしれない。
そう考えて、俺が走り出そうとした瞬間だった。
背中に、何かがこびりつくような感覚が走った。
足を止めた。誰かに見られているような感覚が背中を走る。
いや、単なる視線ではない。
逃がすつもりなどない。
そんな無機質な意志が、背中に突き刺さってくる。
俺はゆっくりと振り返った。
駐車場の向こう側。放置された廃車の陰から、こちらを見据える人影があった。
……やはりか。
体温センサーか、それに類する探知手段を使われているのだろうか。
まだ距離はある。だが、さっきの声が聞こえた可能性もあるし、俺たちが向かおうとしている先にいる強者の気配を察知したのかもしれない。
どちらにしても、俺たちの居場所はとうに捕捉されていたらしい。
「行くんでしょ? どうしたのよ」
怪訝そうに問いかけるシエラに、俺は苦い顔で首を振った。
「……予定変更だ。望まない客の方が、足が速かったらしい」
直後、遮るもののない駐車場を悠々と歩いてくる集団が現れた。
先頭に立つ男は、周囲の荒れ果てた景色など意に介していない。まるで自分こそがこの場の支配者だとでも言いたげに、ゆったりとした足取りでこちらへ向かってくる。
その後ろには、先ほどのメイドがいた。
さらに、表情一つ変えずに歩く量産型のメイドたちが続いている。
人間の集団というより、命令を待つ機械の群れだ。
「逃げ足だけは速いな、下等種族。無駄な足掻きだというのに」
先頭に立つ鷹上が、嘲るように口を開いた。
「いえいえ、ヘタレナルシストさんの言う『選ばれた種族』がたいしたことないだけですよ」
「……貴様だけは、生かしておかん。行け、イスカ!」
「了解」
イスカと呼ばれた、鷹上の横に控えていたメイドが短く答えると、わずかに腰を落とした。
その瞬間、周囲の空気が張り詰める。
地面を蹴れば、一気に間合いを詰めてくるだろう。
そう思わせるほど、彼女の構えには隙がなかった。
後方に控えていた自動人形たちも、俺たちへ顔を向ける。無機質な視線が一斉に突き刺さり、逃げ道を塞ぐように包囲を狭めていった。
だが、俺はすでに次の手を打っていた。
敵が動き出すより早く、意識をリュックへ向ける。
『物品察知』の術式を発動させた。
少し離れた場所に置いていたリュックの位置が、頭の中に鮮明に浮かび上がる。
次の瞬間、俺の目の前にリュックが出現した。
俺はそれを受け止めると、すぐさまファスナーを開いた。
中に入っているのは、ステータス画面で確認した『神刀夕姫』。
俺が掴み出したのは、刀身のない「柄」だけだった。
だが、これでいい。
この刀は、『コマンド』を流し込めば、通常の刀身とは別に、炎を纏う刃を顕現させられる。
俺は柄を真っ直ぐに構え、その名を紡いだ。
「『着火』」
言霊に呼応し、虚空から奔流のような熱量が溢れ出す。
ゴウッ!
柄の先端から紅蓮の炎が噴き上がった。炎は瞬く間に形を変え、鋭い刀身となって伸びていく。
燃え盛る刃が周囲を赤く染め、足元のアスファルトに揺らめく影を落とした。熱気が頬を撫で、焦げた空気が鼻腔を刺激する。
駐車場の隅に放置された廃車のボディにも、炎の赤い光が揺らめいていた。 俺は夕姫の柄を力強く握り直す。
使い手の意志一つで長さを変えるという、炎の刃。
これなら、数で押し寄せてくる相手にも対処できる。
「さて……誰から消し炭になりたい?」
俺の言葉に、鷹上の顔がわずかに歪んだ。
その隣で、イスカが右手を振り下ろす。
それを合図に、後ろに控えていた自動人形が一斉に動き出した。
ガシャン、ガシャンッ!
無機質な駆動音を響かせながら、何体ものメイドが地面を蹴る。正面から迫る個体だけではない。左右に散った連中も、俺たちの逃げ道を塞ぐように回り込んできた。
あっという間に包囲網が狭まっていく。
「鉄クズから片付けるか。二人とも、目をつむってろ。絶対にグロくなる」
「えっ?」
純花が声を上げたが、返事を待つ余裕はない。
俺は夕姫を振り抜き、迫り来る自動人形たちに向けて呪文を唱えた。
「『爆炎障壁』!」
轟音と共に、巨大な火柱が地面から噴き上がった。
紅蓮の炎は瞬く間に壁となって立ち塞がり、正面から突っ込んできた自動人形たちを呑み込んでいく。炎を避けようとした個体も、勢いを殺しきれずに次々と火の中へ飛び込んだ。
炎の向こう側から、金属がぶつかり合う耳障りな音が響く。
赤熱した装甲が歪み、腕や脚の関節が焼き切れていく。動きを失った機械仕掛けの身体が、次々と地面へ崩れ落ちた。
熱気が駐車場を吹き抜け、アスファルトに溜まっていた砂埃が一気に巻き上がる。舞い上がった煤が黒い粉となって降り注ぎ、放置された車のボンネットを薄く覆った。
やがて、炎の壁が少しずつ勢いを失っていく。
その向こうには、焼け焦げた金属片と、自動人形の残骸が転がっていた。
だが、まだ終わりじゃない。
炎の壁を迂回した数体が、左右から俺たちへ迫ってきていた。焼け残った連中も、足を止めることなくこちらを狙っている。
「……掃除の続きだ」
俺は間髪容れず、さらに呪文を重ねた。
「『火炎球』!」
夕姫の加護を受けた熱量は、通常の呪文とは比較にならない。
炎が凝縮され、夕姫の切っ先に紅蓮の球体が生まれる。渦巻く炎が周囲の空気を揺らし、球体の表面で火の粉が弾けた。
俺は狙いを定め、残った量産型のメイドたちへ向けてそれを放つ。
紅蓮の球体が一直線に飛び、敵の集団の中央へ突き刺さった。
次の瞬間、爆発。
耳をつんざく轟音が駐車場に響き渡り、衝撃波が周囲の砂埃や紙くずを一気に吹き飛ばした。
爆炎が敵の集団を包み込み、赤い光が駐車場を照らし出す。爆発の中心にいた自動人形たちは、衝撃に弾き飛ばされ、硬い地面へ叩きつけられた。
金属の破片が飛び散り、焦げた部品がアスファルトの上を転がっていく。
やがて爆炎が収まると、そこには動かなくなった自動人形たちが転がっていた。
俺は夕姫を構えたまま、周囲に残る敵の姿を確かめる。
これで、量産型は片付いたか。
だが、まだイスカがいる。
あのメイドだけは、ほかの連中と同じように簡単に倒せる相手じゃない。
そう思った瞬間だった。
「ぐっ……!」
胃の奥から、激しい吐き気が込み上げてきた。
「う、ぐぼっ……!」
思わず口元を押さえる。
同時に、異常な量の汗が噴き出した。額を伝った汗が目に入り、視界が滲む。シャツはびっしょりと濡れ、呼吸するたびに胸の奥が重くなった。
くっ……!
呪文の使いすぎか。
頭の奥がズキズキと痛む。意識を保とうとするだけでも、頭の中が削られていくような不快感に襲われた。
魔法を使うたび、身体の内側から何かを引き剥がされていくような感覚がある。さっきまでは勢いで押し切れたが、連続して大きな魔法を使ったせいで、身体が限界を訴え始めたらしい。
しかも、今の俺は腹が減っているわけでも、ただ走り疲れているわけでもない。
魔法を連続して行使した反動が、まとめて襲いかかってきているのだ。
魔法使いって、実は相当な体力が必要なんじゃねえか……。
今さらながら、そんなことを考えた。
いや、感心している場合じゃない。
俺は込み上げてくる吐き気をどうにか堪え、夕姫を握り直した。指先に力を込めても、さっきまでのように身体が動いてくれる保証はない。
それでも、気を抜くわけにはいかなかった。
俺は黒煙の向こうを睨みつける。
まだ、鷹上もイスカも残っている。
「――――純花ッ! シエラちゃんッ!」
遠くから、先ほどの声が響いた。
ようやく救援部隊が到着したらしい。
よかった。これで少しは気が抜ける。
そう思った、その刹那だった。
「ぐっ……ぐぼっ……!」
突然、腹の奥に熱い衝撃が走った。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
「「きゃぁああああああああああああああああああああ!!」」
純花とシエラの悲鳴が、耳をつんざくように響き渡る。
腹が熱い。
いや、熱いなんてものじゃない。焼けた鉄を押しつけられたような激痛が、腹の奥から全身へと広がっていく。
俺は思わず腹を押さえ、片膝をついた。
「……は?」
視線を落とすと、腹部に細い光の筋が走っていた。
背中側から入り、腹を貫通して前へ抜けたらしい。衣服には穴が開き、その周囲から白い煙が立ち上っている。
傷口が焼けるように痛む。呼吸をするたびに腹の奥が引きつり、歯を食いしばっても、呻き声が漏れそうになった。
いったい、何を食らった?
俺は痛みに耐えながら、光が飛んできた方向を確かめようと振り返った。
そこには、先ほど焼き払ったはずのメイド型オートマタが転がっていた。
胴体は黒く焼け焦げ、片腕も失われている。どう見ても、まともに動ける状態じゃない。
それなのに、そいつは地面に倒れたまま片目だけを開き、こちらへ向けて光を放っていた。
目から破壊光線だと……?
ゲームじゃあるまいし。
……いや、この世界じゃ普通にあるんだろうな。
油断した。完全に油断した。
敵をまとめて焼き払ったことで、すべて片付いたと思い込んでいた。残骸の一つ一つまで確認する余裕がなかったのも事実だが、それを言い訳にはできない。
頭は痛い。吐き気も止まらない。そのうえ、腹には穴まで開けられた。
最悪の状態だ。
それでも、目の前の敵を放置するわけにはいかなかった。
俺は夕姫を杖代わりにして、どうにか身体を起こした。足元がふらつき、視界も揺れる。柄を握る手に力を込めても、指先が思うように動かなかった。
「ちっ……! おとなしく燃えてろ!」
俺は残った力を振り絞り、夕姫の切っ先を倒れたオートマタへ向けた。
「『炎の矢』!」
切っ先から放たれた炎の矢が、一直線に飛んでいく。
狙いは逸れなかった。
炎の矢はオートマタの頭部を正確に捉え、そのまま全身を炎で包み込んだ。
激しい炎が上がり、金属が溶ける嫌な音が響く。
オートマタの身体が一度だけ痙攣するように動いた。だが、それきり動かなくなる。やがて炎の中から崩れ落ち、今度こそ完全に沈黙した。
これで……本当に終わったはずだ。
「ちょっと……東雲、大丈夫なの?」
シエラが心配そうに声をかけてきた。
「あ、あやさん……」
純花も不安そうに俺を見つめている。
「あそこにいるわよ! 早く向かいましょう!」
続いて、先ほど純花とシエラを呼んでいた女性の声が聞こえた。
そうか。ようやく合流できたのか。
「俺は、大丈夫だ。……ようやく、助けが来たみたいだな」
なんとかそう答えたものの、自分の声が思った以上に掠れていることに気づいた。
大丈夫なわけがない。
腹部の痛みはもちろん、全身から力が抜けていく。
夕姫を握っていなければ、今にもその場へ倒れ込んでしまいそうだった。
それでも、今は意地を張るしかなかった。
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