9話 逃げるが勝ち
「お、お前ら何してるッ!? 銃なら大丈夫だ! このバケモノを撃ち殺せええええッ!?」
鷹上が血走った目で絶叫した。
どうやら、機械人形を失ったことで完全に余裕をなくしたらしい。
さっきまで俺を見下していた男が、今では顔を引きつらせ、黒服たちに銃を向けさせている。
……バケモノ、ね。
先に子供を誘拐して、数で囲んで脅してきたのはそっちだろうに。
とはいえ、銃を向けられている以上、言い返している暇はない。
俺は二人を背中に庇い、即座に次の力ある言葉を唱えた。
『飛び道具保護!』
魔法が発動した感覚が、身体の周囲に広がった。
目に見える壁ができたわけではない。けれど、俺と背後の二人を包み込むように、弾丸を阻む見えない障壁が展開されたようだった。
「撃てえええええッ!!」
鷹上の命令と同時に、黒服たちが一斉に引き金を引いた。
乾いた銃声が連続して響き渡る。
パンッ、パンパンッ、パンパンパンッ!
耳をつんざく音とともに、無数の弾丸が俺たちへ向かって飛んできた。
純花とシエラが息を呑む気配が、すぐ背後から伝わってくる。
振り返る余裕はないけど、二人がどれほど怖がっているかは痛いほどわかった。
普通なら、こんな距離から銃を撃たれたら終わりだ。恐怖で身体がすくんでもおかしくない。
実際、俺だって怖い。
本当に防げるのか。もし魔法が失敗したら、全員助からないんじゃないか。
そんな不安が頭をよぎる。
それでも、今は自分が唱えた魔法を信じるしかなかった。
俺は頭の中で繰り返し湧き上がる「無理だ」という声を押し殺し、目の前の弾丸を見据えた。
飛んできた弾丸が、俺たちの目の前で何かに弾かれたように軌道を変える。金属音が立て続けに響き、、弾丸が次々と地面へ落ちていった。 カンッ! キンッ! カカカンッ!
銃弾は一発たりとも、俺たちの身体には届かなかった。
……よし!
思わず胸の内で声を上げる。
信じた通りに魔法は、ちゃんと俺たちを守ってくれた。
ただ、この魔法がどんな攻撃まで防げるのか、いつまで効果が続くのかはわからない。今の銃撃を防げたからといって、安心するのはまだ早い。
俺は弾丸が落ちた地面を一瞥し、ゆっくりと顔を上げた。
「……バ、バカな……」
鷹上が呆然と立ち尽くしていた。
黒服たちも、撃ち続けるべきか迷っているのか、動きが鈍っている。
そりゃそうだろう。
普通なら、銃弾を浴びせれば相手は倒れる。ところが、目の前の子供には一発も当たらず、弾丸だけが地面に転がっているのだから。
俺だって、あっちの立場だったら信じられなかったと思う。
「あんた……何者なの?」
背後から、シエラの震える声が聞こえた。
振り返ると、シエラも純花も、俺の背中越しに前方を見つめていた。
二人とも、驚きと戸惑いが入り混じった顔をしている。
まあ、そうなるよな。
いきなり魔法を使い、機械人形を破壊したかと思えば、今度は銃弾まで防いだのだ。事情を知らなければ、俺自身だって何者なのか問い詰めたくなる。
「そうか、自己紹介してなかったな」
俺は二人を守る位置から動かないまま、少しだけ表情を和らげた。
「俺の名前は綾だ。つい昨日、東雲の姓を貰ったばかりだから、東雲綾だな」
「……東雲」
「……綾さん」
二人が、俺の名前を繰り返した。
その声を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ締めつけられた。
東雲綾。
この世界で、初めてその姓を自分のものとして口にした。
隆行父さん。栞母さん。
俺は、二人と一緒に暮らすことさえできなかった。
会えるはずだったのに、その機会は突然奪われてしまった。
それでも、二人が俺を家族として迎えようとしてくれたことは、手紙を読んで知っている。
だから、この名前を捨てるつもりはない。
俺にとって東雲という姓は、この世界で受け取った大切なもののひとつなのだから。
……もっとも、今は感傷に浸っている場合じゃないけどな。
まったく、身体は子供なのに、頭の中は四十五歳を超えたおっさんだ。こんな状況でも、つい感傷的になって涙もろくなってしまう。
俺は改めて、鷹上と黒服たちへ視線を向けた。
まだ戦いは終わっていない。
銃撃を防いだからといって、こいつらが大人しく降参するとは思えなかった。
むしろ、ここまで追い詰められたことで、何をしてくるかわからない。
ならば、二人を安全な場所へ連れていくためにも、ここで相手の戦意を折る必要がある。
「小学生の子供を泣かせるなんて、普通じゃ信じられないよね」
俺は鷹上を見据え、静かに言った。
「こんなことが二度とできないように、貴様の心と体に『恐怖』という二文字を、骨の髄まで刻み込んでやる」
自分でも、ずいぶん物騒なことを言っていると思う。
けれど、脅しだけで済ませるつもりはなかった。
こういう連中は、中途半端に痛い目を見せただけでは、後になって必ず仕返しをしてくる。
自分が負けたことを認められず、今度はもっと用意周到に、もっと卑怯な手段を使ってくるかもしれない。
俺は、そういう人間を見てきた。
弱い相手を見つけては威張り散らし、自分より強い相手には媚びへつらう。
都合が悪くなれば平気で他人を裏切り、相手が反撃できないとわかれば、どこまでも踏みにじる。
……俺自身も、かつてはそちら側の人間だった。
だからこそ、そんな連中に情けをかけてやる余裕なんてない。
逆らえばどうなるのか。
子供だからと侮れば、どんな目に遭うのか。
二度と同じことをする気が起きなくなるくらい、身体に叩き込んでやる必要がある。
それが、ドブネズミのように生きてきた俺が学んだ、数少ない教訓のひとつだった。
「か、かかか……下等生物の分際で、調子こいてんじゃねえぞ! 舐めるなよ、クソガキッ! お前ら何してるッ! 相手はやるっていっても所詮ガキなんだぞッ!? 一斉にかかれよ!」
鷹上は俺を指差しながら、顔を真っ赤にして手下たちに喚き散らした。
……いや、お前が行けよ。
自分の手駒があれだけやられて、銃弾まで通用しなかったんだぞ。それなのに、本人は安全な場所から怒鳴るだけ。いい加減、自分で動くという選択肢はないのだろうか。
それにしても、周りの部下たちは、どうしてこんなナルシストの言うことを素直に聞いているんだ?
金でも積まれているのか。それとも、逆らったら何かされるのか。
まあ、事情なんて俺にはわからないし、今はどうでもいい。少なくとも、あんな奴のために命を懸けるなんて、俺なら御免だ。
「し、しかし……」
「あんなわけのわからねえガキとやれってのかよ……」
鷹上の命令を受けた黒服たちは、互いに顔を見合わせるばかりだった。
銃を持っている連中まで、すぐには動こうとしない。
そりゃそうだろう。
目の前で機械人形が破壊され、銃弾は見えない壁に弾かれた。おまけに、子供だと思っていた相手が、訳のわからない現象を起こしている。
そんな得体の知れない相手に、何も考えず突っ込める奴のほうがどうかしている。
誰だって命は惜しい。
自分の常識では、理解できないものを目の当たりにすれば、誰だって恐怖を覚えるものだ。
動けなくなっても当たり前だろう。
……そういう俺だって、自分の魔法の威力には驚いているんだけどな。
そんなことを考えていた、その瞬間だった。
背筋に冷たいものが走った。
上からだ。
鋭い殺気を感じ取った俺は、反射的に顔を上げた。
まずい!
考えるよりも先に身体が動いていた。俺は純花とシエラを両腕で抱え込むように引き寄せると、ほぼ同時に二つの力ある言葉を唱えた。
『加速!』
『肉体強化!』
身体の奥で魔力が弾けた。
次の瞬間、世界の動きがわずかに遅くなったような感覚に包まれる。
手足が軽くなり、目に映るものがいつもよりはっきりと見えた。
俺はその感覚に身を任せ、二人を抱えたまま地面を蹴った。
直後、頭上から黒い影が降ってくる。
ガァンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、足元から地面の振動が伝わってきた。
先ほどまで俺たちが立っていた場所に、巨大な刃物が叩きつけられていた。刃先がアスファルトを深々と抉り、砕けた破片が周囲に飛び散る。衝撃の中心には、まるで小さなクレーターのような窪みができていた。
……おいおい、冗談だろ。
あんなものをまともに食らったら、俺の身体なんて簡単に真っ二つだ。
俺は二人を抱えたまま着地すると、すぐさま攻撃してきた相手へ視線を向けた。
コンテナの陰から飛び出してきたのは、先ほどのメイド風の女性だった。
いや、正確には、鷹上の横から一度も離れなかった、あの別格のメイドだ。
ほかのメイドたちとは明らかに違う。立ち姿にも無駄がなく、手にしたナタ包丁のような大刃を構える姿には、一切の隙が見当たらなかった。
その顔には、相変わらず何の感情も浮かんでいない。
こいつ……今まで、ずっと俺の隙を窺っていたのか?
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
俺は二人を抱える腕に力を込めた。
あんな化け物と正面から戦っていられるか。
こっちは、ついさっき魔法を手に入れたばかりなんだぞ。使える魔法も、その効果も、まだ十分に把握できていない。そんな状態で、あの一撃を平然と放ってくる相手と戦うなんて、いくら何でも無謀すぎる。
面倒くさい。
いや、面倒くさいどころの話じゃない。
ここで意地を張って全員を危険に晒すくらいなら、逃げたほうがずっといい。
三十六計逃げるにしかずだ。
俺は純花とシエラを自分の左右へとりあえず置いた。
俺は空いた手をポケットに滑り込ませた。
ホテルの部屋に線香があったので、何かあったときのために作っておいた煙球だ。
俺は煙球を取り出すと、指先から火を出して火種に点火した。そして、地面へ向かって思いきり叩きつける。
パシュッ!
煙球が地面に当たった瞬間、白い煙が勢いよく噴き出した。
濃密な煙は瞬く間に広がり、俺たちの周囲を包み込んでいく。
視界が白く塗り潰され、数歩先にいるはずの相手の姿さえ見えなくなった。
「なっ、何だ!?」
「煙だと!?」
「おい、どこに行った!」
黒服たちの困惑した声が、煙の向こうから聞こえてくる。
よし、今だ!
俺は純花とシエラの身体に腕を回し、二人をしっかりと抱き寄せた。
「二人とも、しっかり俺に掴まってろ!」
「えっ、ちょっ、綾さん!?」
「わ、わかった!」
二人が慌てながらも、俺の腕や服を掴んだのを確認する。
よし、これなら大丈夫だ。
俺は二人を抱えたまま、すぐさま魔法の発動を意識した。
加速の魔法によって、景色が一気に後ろへ流れていく。肉体強化のおかげで、二人の身体を支えても、走るのに支障はなかった。
二人が振り落とされないように腕に力を込め、俺は地面を蹴った。
いや、走り出したという表現では足りない。
足が地面に触れるたび、身体が前へと弾き出される。あっという間に煙の中から抜け出し、俺たちは廃ホテルの敷地を駆け抜けていた。
背後では黒服たちが怒鳴り合い、俺たちを探しているようだったが、今さら相手をしてやるつもりはなかった。
戦って勝てるかどうかなんて、まだわからない。
なら、勝てるかどうかを確かめるために、わざわざ危険を冒す必要もないだろう。
俺の目的は、鷹上を倒すことじゃない。
純花とシエラを、無事に安全な場所まで連れていくことだ。
そのためなら、逃げることに何のためらいもない。
俺は二人を抱え直し、さらに速度を上げた。
……くそっ。あのメイド、いったい何者なんだよ!
胸の中で悪態をつきながら、俺は、廃ホテルの敷地外へと走り出していた。
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