飼われるか?変われるか?
翌日、アキトは筋肉痛で起き上がれなかった。
「……いってぇ……っ!」
身体中が悲鳴を上げている。
腕は鉛のように重く、太ももは一本一本に鋼の棒が刺さったみたいに痛む。
しかし、アキトは笑った。
「これ……成長してる証拠だよな……?」
痛みさえ、もはや喜びへ変換されていた。
布団から転がるように起き上がり、水を飲み、軽いストレッチをする。
「よし……今日も行く」
誰も褒めてくれない。
誰も期待していない。
だがアキトには、たった一人だけ“見てくれている存在”がいた。
――師匠。
その存在だけで、アキトは立ち上がれた。
◆
支援センターに到着すると、受付の女性が苦笑した。
「真木くん……本当に毎日来るのね」
「はい」
「倒れないようにね。新人さんは、無理して怪我する人も多いから」
アキトは軽く頭を下げ、訓練室へ向かう。
扉を開けた瞬間、昨日の自分がそこにいるような感覚に襲われた。
この部屋はもう、アキトにとって“戦う場所”になっていた。
◆
《走れ》
脳内に蘇る師匠の声に従って、アキトは全力疾走を始めた。
昨日より速い。
足が自然と前へ出る。
腕も無理なく振れている。
筋肉痛の痛みはあるが、動けないほどではない。
“動くための痛み”だ。
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
《肩の力を抜け》
「すぅ……!」
《無駄な上下動をするな。水平に進め》
「はいっ……!」
息は荒く、喉は焼けるように痛い。
しかしアキトは止まらない。
走るたびに、師匠の声に一歩でも近づいていく気がした。
◆
反応速度測定器。
赤。
叩く。
青。
避ける。
数分前には思いもよらなかった“流れで動く感覚”が彼の体に生まれていた。
思考していない。
ただ反応している。
考えるより体が先に動いていた。
《その調子だ》
「っ……はい!」
“褒められた”という事実だけで、アキトの視界が鮮明になる。
◆
そして模擬戦闘ロボとの実践訓練。
アキトは昨日とは違う構えで臨んでいた。
膝が柔らかく、重心が低い。
腕ではなく、体幹で武器を扱っている。
「……来いよ」
ロボが突進する。
《右へ》
アキトは半歩右へ滑るように動き、攻撃をかわした。
《踏み込め》
「っ……!」
アキトはロボの死角へ入り込み、鉄パイプを叩きつける。
ガンッ!
ロボが大きく揺れる。
「よしっ!」
《気を抜くな。次が来る》
「っく!」
ロボが肘打ちを繰り出す。
アキトは寸前で身を引き、攻撃を避けた。
その動きは昨日よりも速く、正確だった。
《悪くない。だが近い》
「くっ……!」
《避けると同時に次の位置を考えろ》
「あっ……!」
アキトは後退しすぎて壁にぶつかった。
ロボがさらに殴りかかる。
《しゃがめ》
「っ!」
アキトは咄嗟にしゃがみ、攻撃を回避する。
頭上でロボの腕が空を切る。
《跳べ》
「跳ぶっ……!」
アキトは地面を蹴って横へ跳び、ロボから距離を取った。
心臓が激しく脈打つ。
息が荒い。
汗が目に入って視界が揺れる。
それでもアキトは立ち続けた。
「まだ……やれます……!」
《やれ。倒れたら終わりだ》
「終わりませんっ!」
◆
そして――訓練開始から40分が経った頃。
アキトの動きが一段階“変わった”。
ロボの動きが見えるのだ。
正確には、ロボの動きの“予兆”を感じられるようになっていた。
重心が前に乗る――殴りが来る。
肩が開く――フックが来る。
足が滑る――距離を詰めるつもりだ。
《気づいたな》
「……はい……見えます……!」
《それが“戦闘の感覚”だ》
「戦える……!」
アキトは踏み込む。
鉄パイプを振る。
ロボの腕を避ける。
反撃する。
それらすべてが、“昨日のアキト”では考えられない動きだった。
そして最後の一撃。
アキトは渾身の力でロボの胸部を打った。
ガンッ!!
ロボが後退し、膝をついた。
「……やっ……た……!」
《その一撃は“攻撃”になっていた》
昨日まではただの振り回しだった。
だが今日は武器として成立していた。
アキトはゆっくりと鉄パイプを下ろし、壁に手をついた。
息が上がり、視界が霞む。
膝が震え、今にも倒れそうだった。
しかしその表情は、勝者のものだった。
「師匠……俺……やれました……!」
《まだ弱い。だが確かに……成長している》
「成長……!」
《お前は、弱者から“戦う側の人間”へ変わりつつある》
アキトは涙をこぼしながら笑った。
「俺……ほんとに……変われるんだ……!」
◆
訓練は三時間続いた。
倒れ、立ち上がり、転び、殴られ、それでもアキトは一度も諦めなかった。
その姿を見て、支援センターのスタッフが呟く。
「あの子……あんなに動けたっけ?」
「いや、昨日までは……普通の少年だったはずだが」
「誰かに教わってるんじゃない?」
「いや、あれは……自己流じゃない。誰かの指導だ」
アキトは誰の声も聞いていなかった。
彼の耳に響くのは師匠の声だけだ。
◆
訓練後、アキトは汗を拭きながら空を見上げた。
夕暮れの赤色が、どこか“明日の光”に見えた。
「師匠……俺、強くなります。絶対に」
その声は、もう迷いを含んでいなかった。
◆
翌朝。
まだ日の出前の薄暗い時間帯、アキトは誰もいない訓練室に入った。
「……よし。今日も来たぞ……」
昨日の筋肉痛が、身体のあちこちをじわりと締めつける。
だが、その痛みは嫌ではなかった。
“生きている”ことを実感できる痛みだった。
アキトはスマホを三脚に立て、配信モードにする。
視聴者はまだ十数人だが、問題ない。
画面の隅に、あの名前が現れた。
《s_opt が入室しました》
「おはようございます、師匠! 今日もよろしくお願いします!」
コメント欄が一行流れた。
《筋肉痛は正常。昨日の動作を“記憶している証拠”だ》
「えっ……俺の動き、覚えてくれてたんですか?」
数秒後──
《お前の軌道は記録してある》
アキトは一瞬だけ目を丸くし、そして照れたように笑った。
「……じゃあ、今日の俺、見ててください」
◆
まず走る。
アキトは訓練室に設置されたランレーンを全力で駆け出した。
スマホの画面越しに、コメントが流れる。
《肩の力を抜け》
《足が重い。地面を“押す”意識で走れ》
《呼吸が乱れている。鼻から吸え》
アキトは走りながら、画面をちらっと確認する。
視線を落としすぎると危険なので、タイミングは一瞬だけ。
そして、指示を即座に修正に変換する。
「はぁ……っ……! 押す……押す……!」
フォームが整う。
速度が上がる。
筋肉痛は消えないが、痛みに上書きするように動きが滑らかになっていく。
◆
次は反応速度訓練。
赤が光ると叩き、青が光ると避ける。
昨日より明らかに速い。
アキト自身もそれを自覚していた。
画面にコメント。
《視界の中心だけで判断するな。周辺視野を使え》
「周辺視野……!」
アキトは意識を変える。
“見る”のではなく“感じる”。
赤、青、赤、青。
叩く。避ける。叩く。避ける。
昨日はできなかった流れが、自然と形になっていた。
スマホ画面に、短いが重い一文が現れる。
《昨日の限界を越えている》
アキトの胸が跳ねる。
「……ほんとに……?」
《事実だ》
たった5文字。
だがその5文字が、身体の奥に熱を灯した。
◆
最後は模擬戦。
可動ターゲットが二体、同時に動き出す。
「よし……来いよ!」
画面にコメント。
《間合いを測れ》
《攻撃を“見る”な。予兆を感じろ》
《膝が甘い。もっと沈め》
アキトは動きながらコメントを拾う。
まるでリアルタイムで“師匠が隣にいる”ようだった。
一体目の腕がうねる。
《右へ》
アキトは即座に右へ飛ぶ。
二体目が背後から腕を振り下ろす。
《しゃがめ》
アキトは瞬時に身体を落とし、攻撃をかわす。
「っっ……!」
そのまま踏み込んで鉄パイプを叩き込む。
ターゲットが後方へ弾かれる。
画面にコメント。
《判断は悪くない。だが踏み込みが浅い》
「浅い……わかりました!」
《最後まで動け。そこで止まるな》
アキトはターゲットへ二撃、三撃と連打する。
動きが昨日と違う。
“考えながら”ではなく、“感じながら”戦っている。
◆
訓練が終わった頃には、アキトの呼吸は荒く、シャツは汗で張り付いていた。
「はぁ……はぁ……今日……どうでしたか……?」
数秒の沈黙。
そして、画面に文字が現れる。
《お前は昨日の自分に勝った》
アキトの目がゆっくり見開かれた。
「……勝った……!」
《それができる人間は少ない。お前は成長している》
「っ……はい!!」
《明日から武器を変える》
「武器……変える?」
《鉄パイプではお前の動きに追いつけない》
スッと、喉の奥が熱くなる。
アキトはスマホを両手で持ち、深く頭を下げた。
「……師匠。俺……もっと強くなります。
必ず……番人を倒せる人間になります」
画面に、たった一行だけコメントが返ってきた。
《なら鍛えろ。俺が見ている》
アキトの目が強く光る。
「はい!!」
◆
その日の帰り道、アキトの影は昨日よりまた少し濃く、太くなっていた。
スマホの画面には、師匠の最後のコメントが静かに残っている。
《俺が見ている》
それだけで、少年はまた走り出せる。
また立ち上がれる。
そして──
その強さが、いずれ第二層の門番を倒す力へ変わっていくことを、
佐藤はまだ知らない。




