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ダンジョン配信で指示厨してたら師匠になってた。  作者: 指示厨


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7/22

少年は鋼を覚える

 ダンジョンから帰還した翌朝、アキトはほとんど眠れていなかった。興奮ではない。恐怖でもない。胸の奥に、どちらでもない奇妙な温度があった。熱に似ているが、燃えているわけではない。冷たくはないが、落ち着かせる力もない。ただ確かに“動かそうとする力”が体の奥に居座っていた。


 それは生まれて初めて感じた種類の感情に近かった。


 「強くなれるかもしれない」という、可能性の熱だ。


 アキトは朝日も見ずに部屋を飛び出し、《探索者支援センター》へ向かった。通りを歩く人々は誰も彼に気付かない。彼はこれまで通り、世界の“背景ノイズ”のような存在のはずだった。だが胸の奥の熱だけは、確かに彼を主役の位置へと押し上げていた。


 受付の職員が驚いた顔で言った。


「……真木アキトさん? 今日は任意訓練の予約なんて――」


「お願いします、訓練室、空いてますか」


 声が震えていたが、迷いはなかった。


「空いてますが……体調は?」


「問題ありません」


 本当は全身が痛かった。第二層で全力で逃げ、転がり、汗まみれになった。その疲労が今になって押し寄せている。だが、それを理由に休めば、自分の中の熱が冷めてしまう気がしていた。


 訓練室の扉を開けた瞬間、冷たい人工空気が頬を打つ。広い空間に設置された白線、跳躍マット、反応速度測定器、模擬戦闘ロボ。


 アキトは思わず息を吞んだ。


「……ここで強くなれるんだ」


 鉄パイプ一本だけで第二層まで行った少年には、過剰すぎる設備だった。だが今日のアキトの目は、怯えよりも欲望に近い光を宿していた。


 その瞬間、スマホの通知が鳴る。配信アプリではない。今回だけは公式チャットではなく、彼がこっそり開いた“師匠のコメントログ”を読み返すためのアプリだった。


《動け。走れ。跳べ。避けろ。迷うな》


 アキトは息を吸い込んだ。


「……やります。師匠」



 まず走った。十分。いや体感では一時間に感じた。訓練室を何度も往復し、足の裏が熱を持ち、ふくらはぎが悲鳴を上げる。


《腕を振れ。肩を使うな。地面を押せ》


 昨日の戦闘のときに画面越しに聞いた声が脳内で再生される。


「地面を押す……地面を……」


 フォームは不格好だ。それでも徐々にスピードが出てきた。走るたびに汗が目に入り、視界が滲む。


《呼吸が乱れている。鼻から吸え》


 アキトは呼吸を整える。


「すっ……はっ……!」


 そこに初めて、“走っている意味”を感じた。これまでアキトは走ることを嫌っていた。体育でも常に遅れ、笑われ、からかわれた。それがいつしかコンプレックスになり、“走ること=苦痛”という認識を作ってしまっていた。


 だが今は違う。


 走るたび、師匠の言葉が背中を押した。


 走るたび、二層の恐怖が薄れていく気がした。


 走るたび、“自分が変われる”と信じられた。



「……次は、反応速度のやつ……!」


 反応速度測定器の前に立つ。円状に並んだライトがランダムに光り、それを叩いたり避けたりする装置だ。


 ピッ。


 赤が光る。


「っ、はっ!」


 叩く。


《遅い》


 頭の中で再生される冷淡な声に、アキトは続ける。


 ピッ。


 青。


「避けるっ!」


 だが肩がぶつかり、バランスを崩して転んだ。


「痛っ!」


《反応する前に“見た”だろう。見るな。感じろ》


 アキトは再び立ち上がる。

 動きがまだぎこちない。しかし彼は――諦めない。


 何度転んでも、何度遅れても、顔をしかめながら立ち上がる。


 そして七回目、アキトの重心が一瞬だけ軽くなった。


 ピッ。


 赤。


「……っ!」


 腕が自然に伸び、赤いライトを叩く。


 ピッ。


 青。


 アキトは無意識に頭を下げ、青の光線を避ける。


《今のは悪くない》


 その幻聴に近い師匠の声に、アキトの胸が熱くなる。


「師匠……見えてますか……俺……!」



 だが、そこからが本当の地獄だった。


 模擬戦闘ロボとの対人訓練。

 アキトは一発目で顔面を軽く殴られ、尻もちをついた。


「うわああっ!」


《立て》


 アキトは顔を押さえながら立ち上がる。


「い、痛い痛い……!」


《痛みを数値化しろ。曖昧に感じるな》


「す、数値……?」


《殴られたときの痛みを“何割か”で把握しろ。恐怖が減る》


 アキトは拳で殴られた頬を押さえ、呼吸を整えた。


「……三割……くらい……?」


《なら動ける》


 簡潔で冷徹な声が脳内に響く。


 アキトはうなずき、構え直す。

 腕は細く、鉄パイプは未だに馴染んでいない。

 だが目だけは、昨日より強くなっていた。


 ロボが突進する。


「来いよ……っ!」


 アキトが横へ跳ぶ。

 ロボの腕が空を切る。


《いい。次は踏み込め》


「踏み込む……!」


 アキトは勢いのまま鉄パイプを振り下ろし、ロボのボディに叩きつける。


 “ガンッ”


 手が痺れた。


「あっ……くそ……!」


 しかし、ロボが少しだけよろめいたのを見て、彼は笑った。


《お前は“戦える側”の人間になりつつある》


「……師匠……!」


 胸が熱くなる。

 それは恐怖でも絶望でもない。

 初めて得た“自信”という名の熱だった。



 訓練は三時間続いた。

 アキトは汗でシャツをびしょ濡れにし、腕は震え、膝は笑っていた。

 だが、その顔には確かな“光”が宿っていた。


「俺……変われる……変われますよね……師匠……?」


《変われる。変わり始めている》


「っ……!」


 アキトは涙を拭き、鉄パイプを握り直した。


「明日もやります。俺は……絶対に強くなる」


 それは幼い頃から一度も抱くことができなかった、人生で初めての“野心”だった。



 訓練室を出ると、外は夕焼けに染まっていた。

 アキトの影は昨日よりも濃く、長く伸びていた。


 影は弱者の象徴ではない。

 “光を浴びる者”にだけ生まれるものだ。


 アキトは立ち止まり、スマホの画面を開いた。


 通知は一つだけ。


《お前はまだ弱い。だが──強くなる素質がある》


 それが師匠からの唯一のコメントだった。


 アキトはそれを見て、小さく呟いた。


「……見ててください。師匠」


 そして歩き出した。


 その背中は、もう二層の入口で震えていた少年ではなかった。









 翌日も、アキトは夜明けより早く起きた。

 いや、正確にはほとんど眠れなかった。ベッドに倒れ込んでも、身体には昨日の疲労が残っているはずなのに、内側の熱が目を覚まさせる。胸の奥で脈打つような衝動が、アキトを布団から引き剥がした。


 「今日も、強くなるんだ……」


 日常はこれまで、アキトには“耐えるもの”だった。

 だが今は違う。

 “進むために必要なもの”へ変わり始めていた。


 探索者支援センターに着くと、受付の女性は驚いた顔で言った。


「今日も来たんですね。すごいわね」


「はい。続けないと意味がないので」


 その返事はまるで別人のようだった。

 アキト自身も、自分が変わりつつあるのを感じていた。



 訓練室へ入ると、人工空気の乾いた匂いより先に、昨日の自分の息遣いを思い出す。


「よし……やろう」


 彼は鉄パイプを握り、まずは軽くストレッチをする。動きはぎこちないが、昨日より柔らかい。筋肉痛はあるが、痛みを「効いてる証拠」として受け入れられるようになっていた。


《走れ》


 スマホの通知ではない。脳内で再生される“師匠の声”だ。


 アキトは全力で駆け出した。


 昨日と違う。

 両足の蹴りが強くなっている。

 腕の振りも自然で、重心が低く安定していた。


《呼吸を忘れるな。鼻で吸って、口で吐く》


「すー……はー……っ」


 訓練室の床を蹴る音が、昨日より軽く響く。

 自分の体が少しずつ“戦う身体”へ変わっていくのがわかる。


 十秒、二十秒、三十秒。

 息が切れ始め、視界が揺らぐ。


《限界は“思い込み”の方が先に来る》


「っ……まだ……いける……!」


 アキトはさらに速度を上げた。

 昨日の自分を抜き去るように。



 次は反応速度測定器。

 ライトがランダムに光り、叩いたり避けたりする。


 ピッ。


 赤。


「っ!」


 迷いなく叩く。

 反応が昨日より速い。


 ピッ。


 青。


 アキトは自然に後退し、光線をかわせた。


《お前の長所は素直さだ。考えすぎず、指示に合わせて動ける》


「長所……!」


 アキトにとって、“長所”という言葉は人生でほとんど言われたことがなかった。

 教師にもクラスメイトにも、家族にさえ。


 両目が熱くなる。


「俺……長所あるんだ……」


《ある。伸びる人間は必ず“素直”だ》


 アキトは胸が震えた。

 その言葉だけで、彼は何度でも立ち上がれる気がした。



 そして模擬戦だ。


 昨日と同じロボットが起動し、アキトの前に立つ。

 その姿を見た瞬間、アキトの心に微かな恐れがよぎる。しかし、その恐れはもう足を止めるものではなかった。


「来いよ……昨日の俺じゃないぞ……!」


 ロボが突進。


《左へ避けろ》


 アキトは横跳びでかわす。

 動きが軽い。昨日とは違う速度だ。


《今だ、踏み込め》


 アキトは一気に距離を詰め、鉄パイプを振り下ろす。


 ガンッ――!


 手が痺れる。しかしロボが後退した。


「っしゃ……!」


《まだ甘い。体重が乗っていない》


「体重……!」


 再びロボが殴りかかる。

 アキトは直感で身を沈め、ロボの腕をすり抜けた。


《今のはよかった》


「よかった……!」


 この“よかった”というたった三文字が、アキトにとってどれほどの栄養になったか。

 彼は自覚していなかったが、師匠の言葉はもはや彼の生存本能そのものになっていた。



 その後、アキトは五回転び、三回殴られ、二回泣きそうになった。

 それでも立ち上がる。


「俺は……強くなるんだ……強くなりたいんだ……!」


 胸の奥で燃えるものは、昨日より強かった。

 倒れ、起き、また倒れ、それでも起きる。


《お前は、昨日の自分に勝てる》


「勝つ……! 勝ちます!」


《戦え。逃げるな》


「逃げませんっ!」


 アキトの叫びは、昨日までの虚ろな少年のものではなかった。

 これは生まれて初めて“意志で動く人間”の声だった。



 汗が床に滴る。

 息が荒く、腕は震えている。

 だがアキトの目は、まだ戦う光を失っていなかった。


 訓練室の鏡に映る自分を見て、彼は小さく笑った。


「……俺、ちゃんと戦えてる……」


《戦えている。昨日より一歩、前へ進んだ》


 その言葉だけで、アキトの胸は熱くなる。


「師匠……見ててください。俺は……絶対に強くなります」



 訓練が終わる頃には、外はもう夕方だった。

 橙色の光が訓練室へ差し込み、アキトの影を長く伸ばす。


 影は昨日よりも、さらに濃く、深くなっていた。


 影には意味がある。

 弱者の影は薄く揺れ、強者の影は濃く刻まれる。


 アキトはその影を見つめ、拳を握った。


「俺は……昨日より一歩強くなれた」


 その言葉は嘘ではなかった。

 実際、データ上の反応速度も、持久力も、動きの精度も昨日より明らかに向上していた。


 だが何より――アキトの心が変わり始めていた。


 もう“影の中で生きる”存在ではいられない。


 彼の影は、自分の足で未来へ延び始めていた。




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