こっそり魔王城に帰――おかえりなさい魔王さま!
「ようお帰りなさいましたのう、魔王さま――」
そう言って暗がりから出てきたのは爺やだった。
爺やは一五〇センチもない小柄な男だ。腰が曲がって杖を突いているのでさらに小さく見える。外見は俺たちとは違い、その身体はトカゲ。真っ白な髪と真っ白な髭が特徴的な小さなリザードマンという感じだ。
……トカゲって体毛あるんだな……。
魔界の住人だから何でもありだけど。
「久しいな爺や」
「まこと久しく」
俺はぐるりと闇に沈むロビーを見渡した。吹き抜けの二階も含めて、あちこちから気配を感じる。
その中で唯一、光を浴びて立つのが俺。
この目印のような輝きがあれば、幼子であっても弓で俺を狙い撃てるだろう。
もちろん、簡単には当たってやらないけどな。
侵入者を仕留めるための完璧なる布陣。
首謀者は明らかだ。目前に立つこの男。俺の旗揚げ直後から付き従った忠臣――爺や。
そうか。お前が、俺を裏切るのか。
俺の精神はすでに臨戦態勢へと移行している。
胸の奥に闘争の炎がぼっと燃え上がっていた。
「これはどういうことだ? なかなかの『歓迎』じゃないか?」
「もちろんですわい。魔王さまのご帰還、『歓迎』しなければ家臣の名折れというもの」
「あ、今の『歓迎』って言葉、お互い違う意味で使ってますよー」
後ろからルシフェルが小声でぼそっと言ったが、とっさに意味がわからなかったので俺は聞き流して話を進める。
「城主にでもなったつもりか、爺や? 俺をハメてまで城を挙げた『盛大なパーティー』としゃれ込むと?」
「ふぉっふぉっふぉっふぉ。長いつきあい。こうでもせんと魔王さまは渋るじゃろうと思いましてな。本家本元、魔界の魔王城にふさわしい『盛大なパーティー』を準備しております」
「あ、今の『盛大なパーティー』も違う意味ですよー。ていうか魔王さま、ややこしいから比喩表現を使うのやめたほうがいいですー」
相変わらずのルシフェルのささやき声。
えーい、水を差さないでくれるかな、ルシフェル。俺は長年の忠臣の謀反に気持ちが昂ぶっているところなんだから!
俺は両手を広げて、ふっと笑った。
「そうか……ならば見せてくれ。お前たちが手間暇かけて準備した『余興』の数々を。そのすべてを受け止めてみせよう!」
「ふぉっふぉっふぉっふぉ。『余興』の準備にまで気づかれるとは――さすが魔王さまですのぅ」
「あ、今の『余興』も違う――もういいですよね。言わなくても?」
なんか知らないうちにルシフェルがさじを投げていた。
「始めますぞ、魔王さま」
ぱちんと爺やが指を鳴らした瞬間。
かっとホール全体に光が灯った。
同時――
「魔王さま、おかえりなさ~~~~~~~~~い!!!!」
四方八方から、そんな言葉が飛んできた。
「え、え!? ええええ、え!?」
俺は動揺して身体を震わせる。
ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱん!
続いて破裂音。
俺たちを囲むように立っていた魔族たちが手持ちのクラッカーを鳴らしたのだ。
終わると同時、今度は中空に浮かんでいた複数の大きな風船がぱんぱんぱんぱんと次々に割れていく。そして、中に入っていた色とりどりの紙吹雪がホールを覆い尽くさんばかりに舞い落ちてくる。
魔族たちがわーと言いながら手をぱちぱちと叩いた。
あー……。
なるほど。文字通りの歓迎だったのね……。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ! どうですかな、この趣向は?」
爺やが満面の笑みで言う。
「いやー、照れくさいけどやられてみると嬉しいもんだな」
俺はそう言って周りの連中に両手を振った。
「だけど、爺や。俺、こういうのいらない、気を遣うなよって言わなかったっけ? ひっそり帰るって」
「ふぉっふぉっふぉっふぉ!」
俺の言葉に爺やが仰け反らんばかりの大笑いをした。
「主の遠慮。部下たちに気苦労をかけまいとする気高いお気持ち。本当は歓迎して欲しいお気持ちを押し殺した発言であること、爺やはお見通しでございます」
い……いや……そういう部下への配慮とかじゃなくて、単純に純粋にやらなくていいという話だったんだけど……。
「ですが! だからこそ! 尊敬に足る主君だからこそ爺やは敬意の念を込めて会を催すことにしたのです! それはここに集うものたちも同じ!」
気持ちはすごくありがたいんだけど……爺や……お前はルシフェルの言うとおり気を回しすぎだ……。だけど親切心というか俺への気遣いでやってるから強く注意もできないんだよな……。
というわけで、俺は言った。
「あ、ありがとう……」
俺の言葉に爺やは満足げにうなずく。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ! やはり長年お仕えする爺やだからこそできる繊細な気遣いですな! ぽっと出の新参者にはできない素晴らしい対応!」
そう言った爺やの目がぽっと出の新参者――ルシフェルを見る。
この二人はとても仲が悪い。
……とても、仲が、悪い……。
「これはこれは爺やさまでしたか。お久しぶりです。挨拶が遅れて申し訳ありません。背が低いので気づきませんでした」
「なぁに、気にするな。儂の素晴らしい歓迎に言葉を失っても仕方がない。心のないお主にも響いたようでよかったのぅ」
「ええ、わたしにはとてもできないお手並みです。魔王さまが不要と言ったことをわざわざやるなど。老いて耳が遠くなりましたか?」
「主の真意をくみ取ってこその臣下よ。と言っても、つきあいの短いお前では無理なことだろうがのぅ」
そして、二人の敵意だらけの視線が空中でぶつかる。
そもそも無理なのだ。頑固だけど情の深い爺やと論理と効率の権化のようなドエスの堕天使が仲よくやるなど。
う、胃が……。
爺やが俺の手を引いた。
「魔王さま、こちらへ! 宴の準備が整っておりますから!」
「宴か……フルコースなのね、この歓迎会……」
「行くところまで行きましょうぞ! 先ほど申されましたからな、我らが準備した余興の数々、そのすべてを受け止めてみせると!」
あー……言っちゃったねー……。
まさか飲み会の話だと思わなかったからなー……。
えーい!
やめやめやめやめ!
そういうのはいいから!
と言ってもいいのだが。
爺やに引きずられていく俺の周りを配下の魔族たちがついてくる。彼らの顔は俺との再会を喜ぶ笑顔に満ちている。
……こいつらがやりたいって言うのなら――
それに乗るのも主の務めってところかな。
「よーし! やるぞ! 久しぶりの再会だ! お前ら騒げ!」
やけっぱちになった俺の言葉に、周りの連中が喝采の声を上げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アシュタロト領――
それは魔界において最大の領土を誇る勢力である。
サルガタナスはその統治の中心、魔界でも随一の壮麗さと美しさを兼ね備えると名高い白蛇宮の中を歩いていた。
サルガタナスは若い魔族の男である。若くして領土の支配者となった彼の主と同じく五〇年も生きていない。
外見は人間で言えば二〇歳くらい。髪の色はオレンジ色。線の細い体つきで理知的な顔立ちをしている。
彼は丁寧な物腰ですれ違う同僚たちに挨拶をかわしながら白蛇宮の奥へ奥へと歩いていく。
そして、彼はたどり着いた。
白蛇宮の最奥に。
固く閉ざされた門の前には腰に剣を差した二人の女が立っている。
女――
そう、この区域に入れるのは女だけ。ただ二人の例外がサルガタナスと彼の主アシュタロトなのだ。
「アシュタロトさまに面会したいのだが」
「わかりました」
女の衛兵がうなずく。彼女が壁のレバーを引くと、重い音を立てて門が左右に開いた。
「ありがとう」
サルガタナスが門をくぐった直後、背後でそれが閉ざされる音がした。その音は許可なきものには、決してこの門をくぐらさせないという絶対の意志の現れ。
当然だ。
ここはこの領土の支配者アシュタロトのハーレムなのだから。
許可のないものの侵入も――
寵姫たちの勝手な外出も許しはしない。
サルガタナスは無骨な岩作りのトンネルを歩き始めた。曲がりくねった道の先から、女たちの嬌声と水の音が聞こえる。
トンネルを抜けた。




