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白蛇の王アシュタロト(上)

 サルガタナスがトンネルを抜けると――

 風景が一転した。

 そこはとんでもなく広い空間だった。無数の明るいライトの下、いくつものエリアに切り分けられた巨大なプールが視界いっぱいに広がっている。


「あははははははは!」

「きゃー、冷たいー!」


 プールのあちこちで水着を着けた女性たちが笑い声を上げながら水遊びに興じている。

 きれいに整備されたタイル張りのプールサイドでは、遊び疲れた女性たちがおしゃべりしたり、寝そべったり、果物を食べたりして思い思いに過ごしている。


 女、女、女、女女女女女女女女女女女。


 サルガタナスの視界の端から端まで、半裸の女性たちで埋め尽くされていた。

 若くて美しい女ばかり。それも、当主アシュタロトの目にかなった極上の――

 その数は一〇〇をくだらない。


「サルガタナスじゃん。元気ぃ?」


 水着姿の寵姫のひとりがサルガタナスに話しかけてくる。手にはカラフルな液体の入ったコップを持っていた。


「お久しぶりです。アシュタロトさまは?」

「あいかわらず、アシュさまアシュさまね~。こんなに美人がたくさんいるのに脇目も振らず。一途すぎじゃない?」

「仕事ですから」

「仕事? 趣味じゃないの?」


 女がくくくと笑うと、指を伸ばした。


「アシュさまならあっちよ」

「ありがとうございます」


 サルガタナスは頭を下げて女が指した方向へと歩き出す。

 あっさりとした会話だったが、それはサルガタナスの決めごとだった。彼女たちはアシュタロトの所有物。馴れ馴れしくならないよう、男としての視線を向けないよう一線を引いているのだ。

 そんなサルガタナスの気苦労も知らず、彼の主は――


「お前は硬すぎるな、サルガタナス。ここで好きなだけ遊んでいけよ。お前だけは特別に許してやる。好みの女がいれば言え。何人でもくれてやる」


 などと言っているが。

 サルガタナスは苦笑しただけで返事をごまかした。

 サルガタナスはそんなことに興味がなかった。彼の興味はたったひとつ、己のすべてを捧げる主アシュタロトの願いを叶えること。


 つまり――

 魔界の王になるという夢を。


 サルガタナスが歩を進めると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「もう、アシュさまばっかりずるいー。わたしも桃が食べたいー」

「わかったわかった。ほら、食べさせてやるよ」

「わーい、おいしー、あまーい!」

「お前ばかり食べるなよ。ほら、俺にも食べさせろ」

「はい、あーん」

「食べてやらん」

「いけずぅー」

「はははは! 冗談だ冗談!」


 サルガタナスがアシュタロトの前に立ったのは、彼の主が寵姫の差し出した桃を口に含んだところだった。

 サルガタナスが声をかける。


「お邪魔ですか?」


 アシュタロトはプールサイドにある、背もたれの大きなベンチに座っていた。桃をくわえたまま、その金色の瞳をすいっと動かしてサルガタナスを見る。

 アシュタロトはサルガタナスと同じくらいの若い魔族だ。下半身に丈の短いズボンをはいていて上半身は裸のまま。細身ながら鍛え抜かれた筋肉を身にまとっている。

 褐色の肌とは対象的に、髪は雪を思わせるほどに真っ白だった。

 顔はとても整っているが、野性的な目つきと軽薄な表情のせいで高貴な印象はまるでない。

 アシュタロトの左右には裸同然のきわどい水着を着た二人の寵姫が座っていた。

 アシュタロトが桃を呑み込む。


「お前を邪魔だと思ったことなどないさ。用は?」

「魔王が魔界に帰還しました」

「ほぅ」


 金色の瞳が楽しげに揺れ、サルガタナスを見る。かぱりと開いた口腔がまるで血のように赤かった。


「面白い」

「場所を変えたいのですが」

「もちろんだ」


 アシュタロトが立ち上がった。

 二メートルを超える長身だった。だが、大柄な印象は薄い。

 長いのだ。縦に長い。手足が長く、首も長い。

 だから、山のような大男というよりは――

 蛇のような姿だった。

 移動しようとするアシュタロトの腕を、さっきアシュタロトに桃を食べさせた寵姫がつかんだ。


「だめぇー。もっと一緒に遊ぼうよぉ、アシュさまぁ」


 甘えた声。

 それが彼女の思う、彼女の正しい行動だったのだろう。だが、逆側に座る寵姫が顔を真っ青にした。


「や、やめな――!」


 彼女の助言は遅かった。

 アシュタロトの表情が変わる。さっきまでのへらへらとした顔から氷壁のような感情のない顔へと。

 その片手が甘えた寵姫の喉を容赦なく締め上げた。


「誰に口をきいている? 俺は行くと言ったのだ。俺が行くと決めたのだ。お前ごときがそれを邪魔していいとでも?」

「あ……ぎ……」


 寵姫が苦しそうに顔をゆがめる。

 もう少しこの時間が続けば、彼女の首はへし折れていただろう。


「……アシュタロトさま。お許しを」


 サルガタナスがアシュタロトの腕に手を置き、言った。


「そうか? だがこいつは――」

「殺すほどの大罪でもありますまい」

「わかった。お前がそう言うのならそうしよう」


 アシュタロトの表情がへらへらとしたものに戻る。

 そして、突き放すようにその手を寵姫から離した。

 アシュタロトは喉を押さえて咳ごむ寵姫の肩をぽんぽんと叩く。


「言動には気をつけることだ。言葉には立場がついて回る」


 恐怖で怯える寵姫の顔へとさらに続けた。


「大丈夫だ。俺はもう怒っていない。今宵は寝所にこい。仲直り代わりに相手をしてやろう」


 一方的にそう言うと、アシュタロトは近場の小屋へと歩いていく。

 サルガタナスはがたがたと震える寵姫に背を向け、アシュタロトの後を追った。

 夜までに彼女の気分が落ち着くことを、サルガタナスは彼女のために祈った。

 アシュタロトはもう怒っていないと言った。

 これは言葉どおりの意味で、すでにアシュタロトの頭のなかで『どうでもいいこと』に分類されている。

 そして、それは相手も同じことだとアシュタロトは考えている。

 だから、アシュタロトが許す、忘れると言ったことを引きずってはならない。

 それを怠って、もしもアシュタロトに対して嫌悪の気持ちを持って接すれば――彼女の命は無事ではすまない。

 ためらいなくアシュタロトは彼女の白い肌を引き裂くだろう。

 アシュタロトのハーレムに入るということはそういうことだ。触れてはならない逆鱗を知ること。

 それができず若い命を散らせていった女たちは数多い。


 サルガタナスたちは木で造られた簡素な小屋へと入った。


「座っていろ。飲み物を用意してやろう」


 テーブルのイスを引き、アシュタロトが気軽な口調で言う。

 機嫌さえ良ければ――

 部下にも気さくに接する気のいい若者なのだが。


「ありがとうございます」


 飲み物を用意した後、アシュタロトはサルガタナスの対面に座って話を切り出した。


「で、魔王が魔界に戻ってきた、と?」


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