白蛇の王アシュタロト(下)
「で、魔王が魔界に戻ってきた、と?」
アシュタロトは自分の心が沸き立つのを感じていた。
もうアシュタロトの頭には寵姫たちの美しい肢体も、うまい酒も豪勢な食事も消えていた。
あるのは魔王への憧憬のみ。
現世の最強。
己が超えるべき存在――
「はい。数日前に帰還したと諜報部から報告がありました」
「そうか……ようやくか……」
アシュタロトは満足げな表情を浮かべた。
アシュタロトは魔王と会ったことがない。
数年前、アシュタロトはこの領を継いだ。アシュタロトの領は魔界でも最大。代替わりを魔王に直接報告するのが通例だが、すでに魔王は人間界に移動した後だった。
「だが、なぜ何の発表もない? 久しぶりの魔界への帰還だろう? 魔界全土に発布し、盛大に迎えるのが常識では?」
アシュタロトは何事も派手を好む。
それこそが君主のたしなみ、君主の権利。だから当然、他人もそうであろうと考えてしまう。
まさか魔界の最高権力者である魔王が「メンドくさいから」などという理由で地味に帰還しているとは思いもしなかった。
「魔王は質素な男だという話です。注目されるのを嫌ったのでは?」
サルガタナスの返答をアシュタロトは一笑に付した。
「あるか、そんなこと!」
実際は大正解なのだが、アシュタロトの常識が受け付けない。
だが、これはアシュタロトの不明ではない。どの諸侯も彼らの身分や権力に応じた贅沢をしている。それが普通なのだ。魔界最大の権力者である魔王が貧乏な地方領主レベルの生活を送っていると思えるはずがない。
魔王がおかしいのだ。
「きっと何か裏があるのだろう……。俺たち外部のものには知られたくない狙いが……!」
盛大な勘違いをしたまま、アシュタロトが語気を強める。
「調べさせますか?」
「悪くはないが……本人に会ってみるのも一興だろう」
「魔王城に向かう――そういうことですか?」
「久しぶりに魔王が戻ってきた。謁見を希望したい――そうおかしな話でもあるまい? 代替わりの挨拶もまだだしな」
自分のアイディアを気に入ったアシュタロトは満足した様子で喉の奥で笑った。
サルガタナスがうなずく。
「わかりました。早急に調整しましょう」
「丁重な祝辞と豪華な献上物を用意してくれ。俺の恥にならないように。魔界の王に捧げるに足るように」
そして、アシュタロトの口が三日月を形作る。
「いずれ首を取る相手だ。礼儀くらいは尽くそうじゃないか」
魔王の座。
それこそが――
すべてを手に入れた魔界最大の領主アシュタロトが唯一その手に入れていないもの。
同時に彼が今もっとも欲している称号だ。
アシュタロトは代替わりで父から領土を得た。だが、それは人間の貴族たちのような『ただ子供だから』という理由で得たものではない。魔界に貴族という概念はなく、力こそすべての世界である。愚かな子供に継がせたとしても、あっという間に他の魔族たちに奪い取られてしまうだろう。
つまり、アシュタロトはそれだけの力を持っているということだ。
魔界最大の領土を維持するに足る才覚と実力を。
それゆえにアシュタロトには自信と自負がある。
自分こそが魔界で最強であると。自分の力は魔王すら超えると。
産まれた時代が悪かったとアシュタロトは思っていた。
アシュタロトに物心がついた頃、もう魔界は統一寸前だった。アシュタロトが一人前になる頃、魔界の統一は成し遂げられていた。
アシュタロトが戦場に出る前に、すべては終わっていたのだ。
アシュタロトは思う。
あともう少し争乱が長ければ。あともう少し早く自分が産まれていれば。
魔界の王の座は自分のものであっただろうと。
力が足りなかったのではない。
時代に愛されなかっただけだ。
アシュタロトは自分のその考えを過信とは思っていなかった。
アシュタロトの脳裏に敗北という言葉は存在しない。
あるのは栄光と勝利と万能感のみ。
だから――
「どうせ会いにいくのだ。いつ魔王がまた魔界に戻ってくるかもわからぬ。謁見の間で勝負を挑むか?」
そんな言葉すらもアシュタロトは半ば本気だった。
もしもサルガタナスがうなずけば、あるいは興が乗れば本当に魔王に斬りかかるだろう。
サルガタナスは首を振った。
「それは蛮勇というものです、アシュタロトさま。魔王城に巣くう腹心たちを魔王と同時に相手取って勝てるはずもありません」
「そうか。お前がそう言うのならやめておこう」
アシュタロトはあっさりうなずく。
「お前の判断はいつも的確だ。あてにしているぞ」
「ありがたいお言葉です。お任せください、アシュタロトさま」
サルガタナスが頭を下げた。
そのサルガタナスへアシュタロトは質問を投げかける。
「サルガタナス、俺は魔界で最強か?」
「……それはいずれ魔界の王となって証明することでしょう」
「ならば、俺は魔界の王になる器か?」
「あなたは魔界の王になられる御方です。アシュタロトさま」
アシュタロトは満足げにうなずく。
「俺とお前だ」
アシュタロトが言った。
「俺とお前、俺たち二人で魔王を討ち、魔界を手に入れる」
それは大昔からの誓いだった。
時代に取り残されし覇王アシュタロトがずっと吐き続けた夢の言葉。
いや、夢ではない。
アシュタロトにとって、それは約束された未来なのだ。
時代が彼を取り残したのならば――
時代に追いつき、服従させるまで。
その強烈な覇気を真正面から受けて、サルガタナスがうなずいた。
「はい。必ずや成し遂げましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふぁぁ~あ……よく寝たな」
俺は大きなあくびをしながらベッドで身を起こした。
俺が目覚めたのは魔王城にある俺の部屋。部屋自体はとてもバカでかい。勇者学校の寮の部屋がいくつ入るんだろう……というくらいの大きさがある。
こんなに大きくても困るんだけど、城を建てたときに爺やが「君主の部屋がウサギ小屋では示しがつきません!」と言って勝手に大きくしてしまったのだ。
もうとっくに昼を回っている。
完全に自堕落な生活になってしまった。
仕方ないのだ。
こっちに戻って五日が過ぎて――
連日連夜ずーっと爺やプロデュースの大宴会が開かれているのだから!
「ふぉっふぉっふぉっふぉ! 人間界の魔王城は三日間の宴会を催したと聞き及んでおります! 本家本元の魔界側としては負けておられませぬなあ!」
と爺やが謎の対抗心を燃やしている。
そこ頑張んなくていいんだけど……。
というわけで、ついつい夜遅くまで顔を出すことになり、俺は毎晩ふらふらになってベッドに倒れる日々を送っていた。
「いかんなあ……」
俺は部屋を出、城内を歩きながら頭をかく。このままだと勇者学校での規則正しい生活リズムを失ってしまう。
さいわい爺やプロデュースの宴会地獄も昨日の五回目で終了した。少しばかり節制した日々を送らないとな……。
俺は高級官職向けの食堂へと向かった。
こことは別に普通の一般官職向けの食堂もある。俺としてはどちらでもいいのだが、高級官職のほうが部屋から近いのだ。
昼を過ぎた時間帯なので誰もおらず閑散としている。
メイド服を身にまとった女魔族が近づいてきた。
「いらっしゃいませ。一名さま――」
言った瞬間、メイドの顔が凍り付いた。
「ま、まま魔王さま!? 一魔王さまですか!?」
「一魔王だけど。二魔王とか三魔王ってあるの?」
なかなかおかしなことを言う娘である。
ちなみに、俺の食堂利用は初めてである。ずっと宴会が続いていたからね……。食べ過ぎで日一回の食事で充分だったのだ。
「魔王さまでしたら、お部屋からお呼びいただければ、こちらからお持ちしますので!」
「……ああ、そういう仕組みだったね……」
すっかり忘れていたけど。
「いいよ。そういうの、柄じゃないんだよね」
俺はさっさとテーブルにつき、軽食を頼んだ。
魔王になってからもう何十年となるが、こういう『王としての扱い』にいまだに慣れない。
何でも人にやらせる――爺やによるとそれが王のあり方、権威の見せつけ方らしい。
自分は立っているだけで服の着替えまで周りにさせるとか。
いまいち意味がわからない……そんなの労力の無駄だろうと思っているのだが……。
爺やは戻ってきた俺にお付きのメイドを何人かつけようとしたが、こればかりは譲らずに断った。
もともと俺はずっと一人で底辺生活を送ってきた。そういう貧乏生活が身に染みついているのだ。なので、こういう贅を尽くした王宮生活には死ぬまで慣れないのだろう。
そういう意味では、勇者学校の気楽な寮生活は俺にあっていると言える。
そう思った瞬間――俺の脳裏にフレイア、ミファー、アルカシオンの笑顔が浮かんだ。
俺は心が温かくなるのを感じる。
あいつら今ごろどうしているのかな……。
運ばれてきた軽食を俺が食べ終わる頃、俺を呼ぶ声がした。
「探しましたぞ、魔王さま!」
爺やだった。爺やの後ろには三人の屈強な兵士が控えている。
「……何か用か? 今日も宴会がしたいとか言っても却下だぞ」
「いえいえ、そういう用件ではございません」
爺やは俺の顔をのぞき込み続けた。
「魔王さま、そろそろ身を固めてはいかがですかな?」
「は?」
身を、固める?
ぽかんと口を開ける俺。テーブルの上に爺やがふところから取り出した写真の束をざらっと広げた。
そこに映っているのは美しき魔族の女たち。
「魔王さま、お見合いをしてもらいますぞ!」
爺やの目がきらりと輝いた。




